08.5 けっして消えない傷あと【ハシュ視点】
苦い記憶と、ちょっぴり成長したハシュ様。
空をとべるようになってから、ぼくはからだも頭のなかもひやく的に成長した。
頭の成長っていうのは『ずのう』や『ちのう』のことだけだと思っていたけど、お父さまやお母さまいわく、『せいしん的な成長』っていうのもふくめるんだって。
どういう意味なのかいまいちピンとこないけど、たぶん悪いことじゃないんだろうと思う。
これまで聞いたこともなかった『せいじ学』とか『ていおう学』とかいうむずかしい勉強もはじまって、ぼくにたいするまわりのたいども少しずつ変わってきて、じぶんでもどんどんおとなに近づいていっているのがわかる。
――早くおとなになって、リセにプロポーズしたい!
そう思っていたから、あまり愉しくない勉強もがんばれたし、日に日に強く大きくなっていくことがとてもうれしかった。
……だけど。
「…痛っ」
まるくてやわらかいほおにふれようとしたとたんに聞こえた、ちいさなひめい。
そして、次から次へとリセの手からこぼれ落ちる、血、血、血。
ぼくが傷つけた。
この、おとなの竜のようにのびた鋭いつめで。
ぼくが、リセを。
心臓がどくりと大きく脈うって、いっしゅん眼のまえのすべてが血の色にそまった。
「ギャウ、ギャウッ!!」
――リセ! リセ! リセ!――
ぼくはくるったように叫んだ。
気がどうてんして、そうすることしかできなかった。
「ハ、ハシュ様、だいじょうぶですから」
やさしいリセはなんどもそう言ってなぐさめてくれたけど、パニックになったぼくは何もできずにただただわめきつづけた。
じぶんが竜のすがたであることを、こんなにも歯がゆくにくいと思ったことはなかった。
泣きながら謝って、謝って、謝りつづけて、ぼくは心から切望した。
――早くリセとおなじ人間に……人型になれるようになりたい
人型になれば、もうリセを傷つけることはない。
力かげんができずに、あの細く弱いからだを抱きつぶしてしまうこともない。
何より、二度とあんなくるしい思いをしなくてすむ。
ぼくはもう絶対に、リセを傷つけない――傷つけたくない。
リセが傷ついて血を流すすがたを見たくない。
さいわいリセのほおに傷がのこることはなかったけど、あのできごとは痛みといっしょにけっして消えない傷あととなってぼくの心のなかにのこっている。
あれは、あってはいけないことだった。
だから、いくらリセが「大丈夫」「気にしないで」と言ってくれても、忘れてはいけないんだ。
『きょうくん』として、おぼえておかなければならないくるしみなんだ。
なぜかはわからないけど、そんな気がする。
リセがゆるしても、ぼく自身がゆるさない。
どれだけ謝っても、このつみが消えることはないんだから。
大好きな、大切なリセ。
ぼくは今、ふれても、だきしめても、きみを傷つけないでいられる腕が、手が、指がほしいよ。