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水曜日午前・三人目の部員

 翌朝、憔悴しきった紅華の目覚めが俺の心を突き刺す。

「う、すまん紅華。俺のせいで……」

 彼女は隈ごと目つきをギラリと傾けた。

「そう思うならせめて『うごー』とか『うぼあー』とか言わないでよ!」

 そして紅華は「着替えるから!」と俺を部屋から追い出した。

 そういえば、俺は風呂にも入らず学生服のまま一夜を過ごしたのか。

 恵子さんから逃げ、瑠璃華さんと交渉し、誘惑を打ち切った、たった二日の出来事というのに我が人生の目ぼしい修羅場全てを潜り抜けている気分だ。

 ふと、そう考えると急にこの学生服が恋しくなった。俺の人生で最も辛かったと思われる場面、肌身離さず着ているこの学生服は俺の唯一の味方かもしれない。

 ぎゅ、と腕を組むように、自分を抱きしめるように、学生服を抱いた。

 …………、小学生の時は辛かったが、色々と寛容バレてないだけだがな分幸せだった、それにグッズの処分もなかった。

 今が一番、不幸なのかもしれない。

 止め処なく溢れる涙を抑えることはできない、この際どこか遠くに逃亡しようか……、しかしたかが中学生、悲しいかな体力もなければ世を渡る術も持ち合わせていない。

 精神の成長が早すぎたために、俺にはのんびり大人になるのを待つ余裕がない。

 どうしようもない。仕方なくこの日常に甘んずるとしよう。

 一階の広い部屋では瑠璃華さんが茶碗にご飯をよそっていた。

「瑠璃華さん、それは……?」

「朝御飯ですよ」

 一つ言おう、我が家の朝御飯とは店屋のパン一つである。

 だがこの食卓に並べられた三組の食事。

 ごはん、おひたし、焼き魚、納豆、そしてお漬物。単純で粗末、しかしそのどれもが恐らく俺なんかには想像もつかないようなちゃんとした手順でこさえられたものだろう。

 眩しい。まるでゲーム、はたまた家庭科の教科書でしか見たことのないような理想の食卓。

「あ、お味噌汁を忘れていました」

 彼女はエプロン姿でぱたぱたと走っていく。危ない危ない、これで割烹着だったら本当に俺は人妻を口説くところだった。

 俺が食卓に臨み動かないところ、紅華が訪れた。

「どうしたの杏? あっ、朝御飯……杏がいるからってお母さん張り切ったのね」

 それを聞いて俺は安堵の息をつく。やはりこんな食卓今時の日本ではナンセンスか。

「お漬物なんて普段は……」

 俺は紅華の言葉をそれ以上聞かないようにした。


 三人で食をともにし、歯を磨いたり、(歯ブラシは新品)顔を洗ったりし、ついに登校となった。

「それじゃ行ってきまーす」

「瑠璃華さん、できれば今日も……」

「はい、いってらっしゃい紅華さん。杏さんは毎日泊まってもいいのよ?」

 笑顔で見送る彼女に真の主婦なる姿を見た俺は、少し満足げに吐息を漏らした。

 こんな空間に三日も住めば、恐らく俺は二度と家に帰りたいなどと思わないだろう。

 何が二次元だ! この充実した現実があればゲームやフィギュアなんて……いや、やはり俺には『サヤちゃん』も『ミサオちゃん』も見捨てる事もできない!

 何より林檎だ。たとえ鬼婆がいようが、最近俺と紅華の仲についてあれこれ詮索する馬鹿弟鉄二(てつじ)がいようと、男から見ても格好いい父の煉次(れんじ)さんがいようと、林檎がいるだけで相殺、いやそれ以上のアドバンテージがある。

 けれど、その環境とこの環境ではどちらが幸せかは明白。

 とはいっても、このままここで厄介になるわけにはいかない、母親同士の付き合いもあるし、夏休みには帰りなさいとか言われそうだし、何よりやっぱり紅華と俺が結ばれちゃ紅華自身が不憫だ。

「どうしたの、考え事?」

「う、そうです考え事です」

「私にも手伝えることがあるかもしれないから、相談してよ!」

 彼女の朗らかな笑顔は強力だが、それを受け入れるわけにはいかない。

「なら言うが、紅華、俺と結婚しないでほしい」

 笑顔が一瞬で真顔になる。これもまたが俺にとっては強力な攻撃だ。

「ん、結婚してくれじゃなくて、結婚しないでくれって?」

 小首を傾げる紅華に、俺は頷く。

「あのね、杏、結婚って普通はしないものだから、そういう宣言はいらないと思うなぁ」

 エヘヘ、と普通に、しかし目に見えて力のない笑いは精神的にくる。

 ここは俺にその意志がない事を伝え、後腐れのない形で居候させて貰う。それが一番綺麗なやり方だ。

 そうすれば、別の部屋だって分けてもらえるだろうし、俺が悶々苦しむこともない、と思う。

 徐々に学校に近づいてきた。無言は気まずいが、今何も言ってくれないほうが気が楽ですむ。気の弱い彼女なら今言えないときっともう切り出せないだろうから。

 ここが山場だ! という所で紅華は「よし!!」と視線を集めるほどの声で言った。


「私もオタク部に入るよ!」


 オタク部の存在は、学校一の有名人と言われる変態「高畠赤兎」の所為で知名度が高い。

 そんな部活に入ると紅華は言っているんだからこいつは一体何を言っているんだと皆が注目する。

「杏は私の事が嫌い? ……なんだよね、結婚したくないなんてわざわざ言うぐらいに」

 俺はどこで間違えたのか? わざわざ結婚しないでくれなんて言ったから? 西條の家に厄介になったから? 多分全ての人生での身の振り方だな、俺が全て悪かった。

「だから、少しでも杏と一緒にいて、私の魅力をありありと感じさせてあげよう!」

 ふふんと、紅華は鼻を鳴らした。しかし顔は真っ赤で泣きそうなのか恥ずかしいのかの判別すら出来ない。

 俺が悪かったから、許してくれ。まともな道を歩んでくれ……。


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