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火曜日の夜・西條家のトリックスター


 西條という名字の人はこの家に現在この二人いる。

 一人娘の西條紅華と、その母である西條瑠璃華(るりか)

 瑠璃華さんはいかにも母親といった風な、東京ドーム何個分にも及ぶ心の広さ、寛容さを備えていて、その母性はどんな凶悪犯罪者でも自らお縄を頂戴すると俺は思う。

 他にメイドさんがたくさんいるが、二人の西條に比べると劣る。メイドの官能的な破壊力を過小評価しているのではなく、それほど西條親子とは強力な存在なのだ。

 あと父親のなんとかっていうオッサンがいるが、大会社西條グループの一番偉い人で家に帰らないから関係なし。あいつはうるさいし、くさいし、気に食わん。

 ともかくつまり、家に帰れない今俺は西條家に泊めてもらおうとしているのだ。

 そしてリビング、まるで宮殿にあるようなテーブルとティーセットが置かれ、足の手当てまでしてもらっていて、俺は瑠璃華さんに土下座をした。

「これからここで御世話してください」

 という頼みのために。

 林檎と会えなくなる事、俺が人生十二年そこらで集めたそういう系のグッズの一切と別れることは非常に辛い。

 だが美少女と戯れるのもグッズを集めニヤニヤするのも命あっての事。ミセス恵子がいなくなるまでの辛抱だ。

「お願いします」

 暖かな絨毯に額を擦りつけても誠意が感じられないだろうか、俺は「靴でも何でも舐めます」と付け加え、改めて絨毯に頭を擦りつけた。

「杏……どうしたの?」

 紅華の心配を他所に瑠璃華さんは余裕たっぷりで「紅華さんは部屋に戻ってて」と、相変わらずののんびり口調で言った。

 メイドもいない二人だけの空間、いろんな気持ちがあって顔を見れない。土下座は誠意の表れと思っていたが、顔を見るのが怖いからこうしているんじゃないかと、新たな発見をした。

「杏さん、顔を上げて」

 その発見の事を考えると、顔を上げる瞬間は一番緊張する。

 だが、瑠璃華さんの顔は相変わらず、糊塗したような笑顔。

「杏さんのお母さんも心配していたわ、『杏が帰ってこない』って」

 心配、確かにその感情も恵子さんにはあるだろう。

 だが、俺への心配は一パーセント程度。残りは憎悪と世間体への心配だ間違いないそうに決まっている。

「大丈夫です、恵子さんは言う程心配していないと、十年ちょっと付き合ってきた俺が保証します」

 瑠璃華さんは「困ったわねぇ」と頬に手を当てる。いちいち色っぽい、恵子さんと同い年とは思えない。

「でもねぇ、中学生とはいえ、男と女、一つ屋根の下で暮らすのって、どう?」

 俺は乾いた笑いと妙な演技を交えてそれを突破する。

「何を今さら。お嬢さんと僕の仲じゃないですか」

「そうよねぇ、将来結婚する仲だものねぇ」

 彼女もまた、乾いた笑いを放ってきた。

 そしてその威力は絶大だ。俺が自分の慰めに使った冗談交じりの空笑いを彼女は兵器として扱っている。

「どうしたの杏さん、固まっちゃって?」

 本当に心配そうに訊ねてくるが、これは罠だ。

 この人は最近俺が紅華と距離を開けている事を知っていて、それでいて紅華に対してより積極的になれと言っている人のだ。

 迂闊だった、これが年季の違い……いやこの人のスキルは時間が経てば身に付くものでもない。

 将来有望な若手社員に言い寄り、自ら助言する事で西條グループにまで発展させたという逸話があるほど、西條にこの人ありとまで言われた存在だ。この人の凄さは本当にそうなんじゃないかと思わせるほど老獪だということだ。

「あのですね瑠璃華さん、結婚なんて気が早いですよ。まだ我々は中学生、たくさんの出会いと別れの可能性のある存在です。我々はこないだ小学生だったチビガキです。幼稚園児のお嫁さんになってなんていう口約束じゃないんですから……」

「貴方は幼稚園の時に口約束して、そのうえで小学一年生の時に紅華がいると知ってて女子トイレ侵入を果たして、同年紅華を転ばして覆い被さって、同年紅華の服を脱がして、同年……いえ、聡明な杏さんならもう言わずもがなよね?」

 いやはや、一年の間にいろんな事したものだ。

 そしてそのどれもが記憶に残っている。そして思い出しついニヤけてしまう。

「不思議よね、普通そんな事をされたら『杏君なんて嫌い』って言うはずなのに、いつもいつも紅華は事件を喜々として家族の私や建治さんに話すのよ」

 それは確かに摩訶不思議。もしかして紅華は変態だったのかもしれない。

「私としては優秀なお父様をお持ちな異瀬家様とも親睦を深めたいし、娘の意見も尊重してやらないと……ね」

 彼女の笑顔が振り撒かれるたびに、背筋が寒くなる。味方だと心強いが敵だと戦闘自体を諦めてしまう、まさしくそんな存在。

 さて、俺の選択肢としては、紅華といちゃつきここに泊まるか、瑠璃華さんの意見を無視し家に帰って全グッズを廃棄され妹と弟と両親から冷たい目で見られながら狭苦しく暮らすか、だ。

 グッズは恐らく、家に帰ろうが帰らまいが廃棄されるから考えに含まなくてもよい。

 パッと考えると、前者が好条件だが、その場合紅華の才能と幸福を食い潰し寄生虫が誕生する事は避けられない。

 かといって、後者を選ぶ変人は世の中広しといえども、いないだろう。

 瑠璃華さんはそれが分かっていてこの問いを出したのだ。

 すっかり変態じみた小学校生活のせいで、他に友達は……。

 一縷の希望が見えた。

 俺が不適に笑い出すと、初めて瑠璃華さんはたじろいだ風に見えた。

「どうしたの杏さん?」

「俺には第三の選択肢がありましたよ……」

 瑠璃華さんはさも楽しげに「それは?」と訊く。そして俺はとっておきを答える。

「他の友人の家に泊まる!」

 瑠璃華さんが首を傾ける。

「ふうん、例えば誰に?」

 彼女ののんびり喋りでは実感しにくいが、結構驚愕、かつ敗北感が見て取れる。なんてったって小学生上がりの中学生だから、普通はお泊りできる友達の一人や二人はいるから。

 まず、高畠赤兎はそんなに仲良くなってないし義理のある奴だとは思うが無理だ。家も知らん。

 次に武田勤(たけだつとむ)、小学生の時の友人で既にエロゲ信奉者であり同じ中学に入学したはずだが、なにせ小学三年生ぐらいの時以来一切学校に来ていない。いまさら会いに行くのも気まずいし、無理だな。

 あと闇野恭平(やみのきょうへい)、一番仲が良いというか、共存関係ではあるが……確か中学を機に引越して家はまだ知らない。それに中学ももう別のところだから無理だろう。

 最後に額田鉄一、真面目な七三わけ、俺のようにまだ子供らしさが残る彼は……そうだ、名古屋にいって廃線になる電車を録りに行ったままイギリスの地下鉄めぐりに行っていた。そして彼も家が近くないし、結局無理……。

「そうですね……瑠璃華さん、娘さんは僕が貰います」

「え? ああ、はい」

 結構時間を掛けたのに、結果は惨敗だった。

 いや、決して不幸な結果ではない、むしろ幸せな人生の到来と言うべき状態である。

 だがやはり負けは負け。それを悔しがらないほど俺は大人ではない。

「じゃ、瑠璃華さん。俺はどこで寝たらいいでしょうか?」

「別に紅華の部屋でもいいのよ? そ・れ・か・私の部屋?」

「いや冗談は今必要じゃないです」

 瑠璃華さんは否定も肯定もせず、ただ笑った。


 紅華の部屋はハンガーをかけるための棒が部屋の真ん中を横切っており、それにレース生地のカーテンのようなものがついていて、部屋を二分しているように見える。

 だから俺はてっきりそれで部屋を半々にすると思っていた。

 だが、紅華は部屋を改造することなく、堂々とそのピンクのベッドのスペースを開けて「来て」などと言うものだから、当然紳士として床で寝た。

 薄いカーペット越しの堅いフローリングが肌を襲う。

 せめて部屋にソファでもあればそこで寝るのだが、生憎クッションすらない。

 唯一眠れそうなのが勉強机の椅子、それだったら俺は横になりたい、ということで床で寝ることを選んだわけだ。

 ただ、この状況は尚更紅華の誘惑を際立たせる。

 あのふわふわのベッドに、パジャマ姿の紅華がいるのだ。どんな男でもイチコロ、浮浪者がエアコン完備の家を貰うような気分かな。

 そんな環境にいけるのに行かない浮浪者は普通いない、が今回は別。

 寝る前恒例行事と化した幼馴染&妹妄想も、現実が傍にいてはできない。

 生殺しとはまさにこのこと、寝る前の妄想へと頭をシフトチェンジしなくては精神がポッキリ折られてしまう。

「うごおおおおおお、うごおおおおおお」

「杏、うるさい」

 俺がカーペットの上で奇声を発しながら輾転反側(てんてんはんそく)しようが、泊めてもらう条件には関係ない。

 元々夜型の俺は寝付くことなく、しかし奇声を発し紅華を眠らせることもなく、まんじりとしない夜を過ごすのであった。


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