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火曜日放課後・逃避喜劇

 結局俺と高畠はソフトボール部でさんざ叱られ、解放されたのはなんと部活終了の午後六時半であった。

 仮入部体験の始まりが正午で、運動部のうら若き純情乙女を見るのに三十分程度、なんと六時間もソフトボール部につき合わされたのだ。

 もっともその半分以上は高畠とアニメ会議だの不毛に過ごし、その半分を永沢の本気ではない説教タイム、と結局不毛に過ごしただけだ。

 校門にてようやく高畠と別れる。今日一日の付き合いだが、なかなか面白い男だ。

「それではな異瀬杏、明日も第二視聴覚準備室で」

「ええ、先輩さよなら」

 暢気に一人歩きながら、これからの予定を考える。

 このまま高畠とのんびり不埒な見学をするのもまた、楽しい放課後を送れるだろう。

 だが、二人では限界が訪れる。

 毎日学校で部活する女子を眺めるだけでは、一年過ぎて新入生が来るまで楽しい事がなくなってしまう。

 この活動に必要なのは人脈だ、二人では部活動の女子を眺めるだけだが正式な部活になればその活動はおおっぴらになり、社会見学と称してオフィスウーマンを眺め、アイドルの楽屋に行けて、他校の有名なマドンナの詮索だってきっと可能だ、きっと、たぶん。

 人数だ。オタク部を仮部ではなく正規の部活にする必要がある。

 自然と拳が熱く握り締められている。こんなそれらしい青春を俺が謳歌するとは思わなかった。

 俺は今、三年間をスポーツで費やし女性と付き合う主人公達と同じほど、心を熱く滾らせているのだ。方向性は相当違うけれど。


 無事に帰宅した瞬間、紅華と一緒に帰宅していない事に気が付いた。

 小学校の時は部活なんてないから関係ないが、中学校は別の部活になると一緒に帰れない。

 少し寂しさ、孤独を感じた。

「お兄ちゃんお帰り!」

 そんな孤独は一瞬で吹き飛んだ。

「ただいまただいま愛しい林檎よ、お兄ちゃんがいなくても元気にしてたか?」

異瀬林檎(いせりんご)、我が異瀬家唯一にして最上の存在である我が妹。

「お兄ちゃん帰ってくるの遅いから、元気なかったかなぁ」

 おお、なんと可愛いことを言うのだろうか。これで俺より身長が低ければ完璧なんだけど。

「林檎よ、お兄ちゃんはこれから部活が毎日あるから、お兄ちゃんのお人形を作りそれをお兄ちゃんだと思って我慢しなさい」

 兄を思い寂しがる可愛い林檎、なんと微笑ましい図なんだろう、俺は今、人生で最も幸せな時間を過ごしているのか。

「お兄ちゃんの人形って、あの部屋にある女の子の?」

 …………。

「そういえばお兄ちゃんの部屋で一回、裸の女の人の……」

 おっと、思考停止してしまった。恐らく友から譲り受けたアブナイゲームのフィギュアのことだな。この話はすぐに止めなくては。

「林檎、その事を誰かに話したか?」

 林檎が言うと同時に、

「あ、お母さんにこれなあに? って……」

 両腕で弧を描く恵子さんの姿を俺は見た。

 この動きは間違いなくプロレスか何かの技。

 ところで本日、俺は学校から教科書を渡されたのだ。

 つまりノートをどうにかすれば一日家に帰らずに済む。

 俺は全力で逃げた。捕まれば命の保証はない。


 三十を過ぎた年増と、五十メートルをろくに走れない男のレースは意外にも拮抗していた。

 なんせ今回は、永沢に何時間の説教などとはレベルが違う。命がかかっているから。

 窮地に追い詰められ発揮した野性、俺はどこをどう走ったのかはもう記憶になかった。

 ふと気が付いた瞬間には、西條家と金箔で記された赤レンガで造られた、ヨーロッパの古城のような、時代と場所を間違えたような豪勢な三階建ての三階の窓にへばりついていたのだ。

 これが西條紅華の住む家であり、子供の頃からよく通った家だ。

 俺は昔から走るのを中心とした運動は苦手だったが、上り棒というやつは得意で、よくこの家の紅華の部屋の窓からよく侵入して怒られた思い出がある。

 周りに恵子さんがいない事を確認すると、俺は窓を叩いた。

「紅華、いるかぁ、紅華?」

 部屋にいないのだろうか、だとすれば降りて玄関から入ればいいか。

 とは思った。が、思うだけで行動に移す事はできなかった。

 靴はいつの間にか片方脱げ落ち、足から血が滴っている。鞄の重みが体を地のコンクリートに引っ張る。

 命の危険はまだ、終わっていなかった。

「紅華! 紅華いるか!? こっうっか! こっうっか!」

 いやいや、足が重い重い。本当に死ぬ。この華奢な体じゃ三階から落ちただけで本当に木っ端微塵になってしまう。

「西條さぁーん、西條さぁーん? お宅の敷地で死人がでますよ!? 死にますよ!?」

 まだ時間は七時ぐらいだ。晩御飯の途中で部屋にいないか、はたまたリビングでだらけているか。

 リビングで寝転がっていたらもう諦めるしかないが。

 食事が終わり速やかに部屋へくることを祈るしかない。

 祈って叫ぶ事しかできないのだ。

「ヘルプミー紅華! ヘルプミーと言うかもう駄目だ! 警察より救急車、いや霊柩車よんでくれ!」

 限りないユーモアとブラックユーモア、そして助けを求める人の気分になろう。

 俺は極限の状況におかれて、何故か頭は爽快だった。

「世界の恵まれない子供に愛を!!」

「あれ、杏?」

 よりによって、一、二を争う恥ずかしい台詞の時に彼女は窓を開けた。

「何してるの? ……でも懐かしいね、そうやってここから部屋に入るの。久しぶりに来たんだから何か食べる? 紅茶なら用意するよ」

 こんな状況なら、どんな女性でも女神に見える。俺は泣きながら言った。

「ひとまず引っ張りあげて……」


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