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断章・異瀬杏と異瀬恵子

 林檎をごまかしごまかし四人で遊んでいたが、二対二のゲームで俺とペアになって遊ぶうちすっかり機嫌が良くなった。

 俺はいつの間にか不同の事を大吉と呼ぶようになったが、大吉は常に名前に『殿』をつけていたが、本人曰く『拙者は名前に殿が最も親愛なのでござる。それまでは名字に殿づけでござる』と。

 最初から杏殿じゃなかったかと追及したら、そんなことは忘れた、といって帰った。

 晩御飯中には林檎と鉄二が兄が帰ってきて嬉しいという話から、煉次さんまで喜びを示して大団円となったように見えた。

 しかし俺が風呂から出て、林檎達が録画してくれたアニメを見ているうち、鉄二と林檎が寝た後に、恵子さんに呼び出されたのである。

「杏、ちょっと話があるんだけど」

 恵子さんの、話があるんだけど、は全く普通の言い方で怒る時もあれば褒める時もあるという心底恐ろしいものなのである。

 俺はひとまずアニメを停止し、おそるおそる下の階に行く。

 リビングは電気だけがついていて、恵子さんはそこで座布団を敷いて座っていた。

 普段は立って褒めるか怒るかなので、俺はさらに震え上がった。

「ここに座りなさい」

 と恵子さんは真正面に置いた座布団を示す。

 心臓を鳴らしながら座ると、早速恵子さんは話を始める。

「杏、あんた私の事好きか?」

「何をいきなり」

 言いかけて俺は口を噤んだ。

 つい本日、似たような事があったではないか。

 永沢芯祢という人物。

 もしかして恵子さんも同じような性的嗜好の持ち主で、既に可愛らしい男児であった俺は引き取って自ら育てて何かいやらしいことをしようという魂胆では……。

 考えただけで少し身震いをした。

「どうなの?」

「い、いや。俺は母親としてあんたのことは好きだが、年の差だってあるし、そもそも貴方には煉次さんという人が」

 と言ったところで軽くグーで殴られた。

「どうしてそんな話になるんだい!?」

「いや、好きかって聞かれたら……」

「母親としてだよ! まあ、それは好きと今言われたけど、それは本当か?」

「ええ」

 とごくごく普通に頷く。

「嘘だろ」

「なんでそう思うんですか?」

 恵子さんの意味不明な疑いに疑問を持ちつつ、その理由を訊ねる。

「いや、色々あったじゃん。養子の紙破くし、それ以来あんまり懐かないし、今回の件だってあるし。煉次さんは今日完全に気を許したみたいになったけど、アンタは変わらないし」

「それと恵子さんの事を好きかどうかは関係ないでしょう」

「本当に好きと思っている?」

「ええ。まあそれと母親扱いするかは別ですけど」

「それって嫌いなんじゃないか?」

「そんな事はないです」

 と言ったところで沈黙が続く。

 はっきり言ってアニメの続きが見たいので早く立ち上がって部屋に戻らないが、会話の途中なので戻るに戻れず、そこで座り続けるはめに。

 そしてようやく恵子さんは口を開く。

「じゃあ、私の好きなところ言ってみろ」

「ええー、恥ずかしい」

 事実であるのに、何故か棒読みになってしまった。

「冗談言う空気じゃないでしょ!」

「はいはいすみません!」

 と、いうことで真剣に考えて、少しずつ口に出していく。

「そうですね……」

 やっぱり本当に恥ずかしい。しかし恵子さんの顔も怖いので仕方なく。

「俺の事を本当の子供として扱っているところとか?」

「誰に聞いてんの?」

「いえ、なんというか……」

 一度言葉を切ってしまったが、また改めて口にする。

「林檎や鉄二が生まれても俺のことほっといたりしないし、俺の事本気で叱るし、ってなもんですかね」

「それは普通のことでしょ」

「普通の事ができない人って多いですよ?」

 実の子が生まれても養子を可愛がるっていうのは、俺にとっては嬉しかった。

「なんか他にないの? 私が納得できる理由」

「いや、そう言われましても」

 しかし、今度は沈黙になる前に恵子さんが新たな話題を提示する。

「じゃあ、なんでお母さんって呼ばないの?」

 今まで同様に険がある言い方だが、なんか悲しさのようなものを感じた気がする。

 俺にとって恵子さんはいつも怒っていて笑っていて楽しんでいる人で、俺が悪い事をした時に冗談で悲しむ事は多々あるが、実際に泣いているような姿は見たことがないから、実感が湧かないだけかもしれない。

「お母さんって呼ばないと不満ですか?」

「そりゃね。まだ取り戻せてない気がするのよ」

「取り戻す?」

 あまりに良く分からない言葉に思わず聞き返す。

「あんたがあの紙を見つけて破り捨てた日に、どこかの悪い奴があんたをさらって入れ替えたんじゃないかって、本気で思っているの。素行の悪さは全く変わらないのに、私達に対する態度が凄く変わったから」

 なんじゃそりゃ、と思ったが笑うことはできなかった。

 なぜなら、恵子さんの目に涙が浮かんでいたからだ。

「杏は、ずっと杏なのよね。私達があんたを変えただけで……」

 恵子さんは両手で顔を隠した。

 思わず寄って泣かないで、などと言いかけたが、少し前のめりになっただけで止まった。

 俺が一体恵子さんに何を言えるのか。俺は恵子さんの実の子でなければ、恵子さんがこうなったのは俺が原因ではないか。

 しかし恵子さんが泣いているところを見ると、異様に、俺まで悲しくなってくる。

 けど、泣かない。俺は泣かないように言った。

「俺は! 子供の頃からたくさん迷惑かけて、その度に恵子さんが怒ってくれて嬉しいし、恵子さんが俺のお母さんだってことはちゃんと知っているんだ! でも、俺が、俺が遠慮するんだ。恵子さんも煉次さんも俺のお母さんでお父さんって分かってても、どこかで俺は所詮養子だからって思うと、なんか……」

 俺は立ち上がって自分の部屋に戻った。

 テレビはビデオのまま消して、電気も消して、ベッドに飛び乗って、枕に顔を押し付けてそのまま寝た。


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