土曜日の午後・創部戦争
職員室は二階にあるのに校長室は来客のために一階に設けられている。
その入り口の隣には数々の優勝トロフィーや盾、賞状が置かれてある。
「我々とは縁のなさそうなものだな」
「ぶふっ、先輩がそんなことを言ってはおしまいでござる」
「じゃあ、入るから静かにしろ」
永沢が人差し指を口元に当てて扉を開けた。艶っぽい。
中にはより多くのトロフィーなどが飾ってあり、黒革のソファがいくらかある。
その更に奥、校長という題字の置かれた机にはげて枯れた校長が座っているのだが、その机の前にまた険しい表情の老人が立っている。
「だれ?」
と俺が言うと
「さぁ~、拙者は知らんでござるが、校長ではないでござるな」
と不同。
石目と紅華にも顔を向けたが首を振っている。
「理事長だ」
永沢は少し呆れ気味に言った。
校長が怒って何か言おうとしたが、それは理事長が止めた。
「いやいやいいんだよ。僕みたいな人は名前も顔もそう覚えられたもんじゃない。人前に出る役は彼に任せているし、雇われみたいなものだからね」
このように穏やかに笑う姿は、瑠璃華さんの所為かどうも強い大人の姿として目に映ってしまう。
「じゃあ早速話に入るよ?」
「はい」
と永沢が先頭に立って答える。
直後、緊張がその場を占める。
「えっと、まぁ部活名は後から変えられるから今はこれで良いとして、内容は……ちょっと苦しいところがあるよね?」
「何がでしょうか?」
しれっと永沢は流すが、もちろん理事長は追及する。
「だってこれ実質何もしてないじゃない。帰宅部で全員で集まってすればいいじゃない。その集合場所をこの第二視聴覚準備室にしてさ」
軽く笑いながら理事長が言うが、永沢も負けていない。
「確かに部室は必要ないですね」
永沢、負けてる?
「ですが、運動をする身としては他の運動部の内容を見るだけでも充分価値はあるものです。確かにプロサッカーやプロ野球を見るだけではプロに慣れませんが、先人から何も学ばずに上手になった人も一人もいません。そのため、部活として成り立ちますし、必要ない部室をこの誰も使わず、これからも誰も使いそうにない第二視聴覚準備室にするんです。無駄はないでしょう」
非常にそれっぽい! 思わず行けると思った。
だが理事長はそれほど甘くはない。
「うん、君の言う事は正しいよ。でも見学する幅が広すぎやしないか? 高畠君、運動部以外にも出没しているじゃない?」
「書道部茶道部華道部弓道部……と、弓道部は運動でしたね」
一度こほんと咳払いし、永沢の反論が再開する。
「書の道も、茶の道も、花の道も、運動とは違いますが心を清め事を為す、立派なものです。それらも作品を見るだけであるより、創作過程を見たほうが学ぶことがあると思われます」
「じゃあ、君達の部活は文化も運動も全てやるっての?」
「私は詳しい説明を受けていませんが……」
「受けてないの?」
「はい」
理事長は、瑠璃華さんと違って感情豊かに反応する。それゆえか妙に目ざとくて、厄介だ。
「じゃあどうしてそんなに評価しているんだ?」
「熱意です」
「熱意?」
校長が聞き返す。
「私の所に来た異瀬杏というこの生徒は、入学式の時に事件を起こしましたが、ご存知ですよね?」
「高畠もしてたな。確か君が指導していたはずだが」
校長の言葉に永沢が頷く。
「その時にも、その後にも、彼は私に話をしてなんとしてもこの部を完成させたいという話をしたのです。一人で頑張っていた先輩のために、他の部員を集め、私のところへ来て顧問をして欲しいと頼んで。確かに考えられる部活動の内容は雑多ですが、彼らは精力的でやる気に溢れています」
精力的でやる気に溢れてはいるが。
永沢は今いくらか嘘を言った。俺は永沢に高畠が頑張っているから応援しているなんて話していないし、部を完成させたいなど永沢が間接的に知ったことではないか。
しかし、この嘘はばれない。紅華や高畠は知りえぬことだし、俺と永沢が黙っていれば絶対にばれない、しかも効果的。
永沢は想像以上に曲者だ、しかしだからこそ、いけるかもしれない。
校長はその言葉を聞いて口をつぐみ、また理事長が口を開いた。
「うん、やる気があるのはいいことだね。高畠君が色んな部に出没するのも説明がつく」
まあ、主に性的な方向に精力的でやる気に溢れているから嘘を言ってはいない。
「じゃあ、ここからはぶっちゃけた話でもしようか?」
迫力、理事長からそれが感ぜられた。
「正直な話、この学校にはたくさん部活があるし、その中には全く無意味なものもいくらかある」
「り、理事長!」
当然校長が動揺する。生徒の活動を無意味と言ったに等しいからこれは問題である。
「まあ良いだろ、少しくらい?」
良いわけがない。自らの立場を雇われと言った人間がその大切な立場を失うも同然の発言だぞ。
嫌な予感がする。この理事長はそれを自覚したうえで、諸刃の切り合いをするような危険さがある。
「永沢くん、君が顧問をしている女子ソフトボール部は期待の星……いや、もう我が校最高の部活になりつつある。君が顧問をしているから、監督をしているから、そんな理由でわざわざ遠くからこの中学に通う人だっているし、君を引き抜きたいといくらかの高校から話も来ているほどだ」
公立の中学校でそんなことがあるのか!?
しかしそれはつまり、それほど永沢が凄い人だと言う事なのだろう。
「小学校でゆっくり体育教師をしている私を無理矢理ここに連れてきたのも、貴方でしたね、理事長」
「そうそう、そういう風にぶっちゃけてよ、今日は」
普段無表情な永沢の目が鋭くなった、笑っている理事長を貫くように。
「今は生徒がいるから本音もそこまで語れないけど、女子ソフトボール部の顧問じゃない君なんて……ねぇ」
女子ソフ部の顧問じゃなくなるなら学校を辞めろ、理事長は暗にそう言っている。
「ひ、酷い」
紅華が呟いた。純粋な、穢れをいまだ知らない紅華はこういった悪意に敏感なのだろう。
「あ、勘違いはしないでくれ。僕は永沢くんが兼任さえしてくれれば構わないんだから」
永沢は顎に手を当てたまま考え込んだ。
「永沢先生、もう良いです、顧問なんかしてくれなくてもいいですから……」
「紅華、何を言っている!」
しかし紅華はもう泣き出しそうにすらなっている。
「だ、ってぇ……」
確かに、ひしひしと感じる。
どうして、なぜ永沢は専任にこだわるんだ?
「永沢女史! 我々は兼任でも一向に構わないんだぞ!?」
「永沢、別に俺もそれで……」
と俺と高畠の言葉に永沢は。
「嫌だ!」
こっちを向いて叫び、否定した。
「ぶっちゃけるか、ぶっちゃける……ふふふ」
間違いなく、理事長も、校長も、俺達も、この後の永沢の行動を予測していた人間はいない。
そして、永沢芯祢という人間を理解していた人間もいなかったのだ。
「いいか、ぶっちゃけるぞ? ぶっちゃけていいんだな理事長先生よぉ」
ヤケのように、ヒステリーのように。
無表情は既に半笑いと化し、もう俺が知っている永沢芯祢の原型をとどめていないと言ってもよかった。
「ソフトボールが嫌いなんだよ!!」
普通の時に聞けば笑っちゃうような、冗談でしょと言いたくなる様な言葉、この時この場合についてのみ真実味があった。
「確かに私はなぁ、小学生、いやそれより前から野球とソフトやってたよ。でもな、下心から始めたんだ、好きだからじゃないんだよ! プロの誘いだってあったね! 高校卒業の時に。でも断った。先生にばれて色々言われたが気にしないで頑張ってきたさ!」
何者にも喋る隙を与えず、彼女の独白は続く。
「あのなぁ、得意なことを好きなことと一緒くたにするなよなぁ。普通に考えろよ誰が好き好んで球投げて棒で打って走り回って……くだらね、本当にくだらねぇ!」
正直凄く怖かった。野球の延長に何度も悩まされてきて、野球を多少嫌った俺でさえ、そこまで言うか、全世界の野球やソフトしている人に謝れ、と思い、どんだけ嫌いなんだと心の底から聞きたくなるほど、永沢はその時憎悪に満ちていた。
「でもなぁ……」
また、永沢は動き始めた。
「でもこの才能には感謝しているんだよ。くっくっく……」
一人笑い始めた永沢に、ようやく理事長が声を掛けた。
「ソフトボール部の顧問を辞めたいことは、もう分かった。だがなぜこの部の顧問をするんだ? それならソフトボール部の顧問を辞めるだけでよいではないか?」
首を理事長の方に向けると、直後彼女は俺を抱きかかえた。
「この子がいるからです」
「え?」
俺である。異瀬杏である。
「な、なぜ?」
「可愛いじゃないですか」
理事長も校長も、他の四人も、俺も、何も言えなかった。
「女がロリコンじゃいけませんか!?」
誰も何も言えるわけがない。だが俺は自分の顔からサッと血の気が引くのを感じた。
「ソフトボールは良い。走って転んで、跳んで投げて、打って滑って……色んな姿が余すところなく見ることができる。小学生ぐらいの時、ボールを股の間にトンネルするのを見て私はソフトボールをしようと思い立ったんだ……」
それは最低の思い出話。
「最初は女の子が好きなだけかと思ったんだが、どうも中学ぐらい、いや小学校の高学年ぐらいから好きじゃなくなったんだ。なんでか分からなかったがすぐに気付いたんだよな、私はそういう人間だって。だから教師を志した! 表向きではこの鍛えた技術を伝えるためと言って、女の子がソフトボールをする姿を見るためにだ!」
話を聞けば聞くほど、自分と重なる部分をいくつか見出し、不安に駆られた。
「本当に、中学教師になった時は最低の気分でしたよ。小学校ですら半数以上は対象外なのに、中学では全然興奮しないんだから」
「さ、西條女史……」
「ま、マジかよ……」
紅華など涙目だったのに、失神でもしているのかというほど目と口を開いて微動だにしていない。
不同は目を閉じて何か考え込んでいるらしい。自分が対象外だからと悩んでいるのだろうか。
「でも! 今回、この子が入学して! 私は感動した! こんなに可愛くて、興奮できるのに、異性! 結婚できる!」
恐怖を感じた時も鳥肌は立つと、思い知らされた。
「ふふ、ほ、本当は硬球で気絶させた後、持ち帰ろうかとも考えたんだけど、親がすぐに来てねぇ……」
恵子さん、入学式来るなって言ってごめんなさい。今、俺を引き取ってくれたこと以来の感謝の意を持ちました。
と、ここで理事長が永沢の言葉を遮った。
「永沢くん、君の今までの言葉を脅しにでも使えば、君はソフトボール部の顧問を続けてくれるかい?」
「なっ、汚いのではないか、理事長殿!」
と、高畠が敵意を剥きだしにするが、永沢は気にしない。
「へぇ、まぁ、ぶっちゃければいいじゃない」
「正気か、永沢くん」
と理事長が不審そうに訊ねる。
その顔に自信はない。恐らく苦肉の策なのだろう。道連れにする程度の愚策。
が、無論永沢も何の考えもなしにこういうことを言う程馬鹿ではなかった。
暴言は永沢も理事長もしている、問題はどちらが引き下がり場を落ち着かせるか。
「ええ、ま、その場合理事長が生徒の部活動を無意味扱いしたこともPTAや教育委員会にバラしますけどね。雇われ理事長の暴言は響きますよ? 校長も平気ではいられない。一方平の教師である私はたとえその立場を追われてもその有能さを持って他の場所でも平然と生きていく自信も実力もありますけど」
「……だが、私達の方が立場は上。一介の平教師と理事長と校長二人が言う事のどちらを世間が信じるか?」
「この五人の生徒は!? 異瀬と西條はともかく、他の三人にいたっては受け持つクラスも違うし、現在この部の生徒ですらない無関係の生徒。そんな子達の言葉なら何よりの証明になる!」
食い下がろうとするも、永沢の気迫に理事長は言葉を失った。
さらにダメ押しと永沢は満足そうに俺を抱き上げ、頬ずりをしてくる始末。
「本当に、可愛いなぁ。嫌がる顔もまた可愛い」
「ひぃぃ……」
俺とて幼女は好きだ。だが、幼女はこんな気持ちなのだろうか……。
「きょ、杏は私のなんです!」
ようやく意識が戻った紅華は、なんかずれた事を言う。
最後に高畠が一言。
「うむ、異瀬杏はモテモテだな。これにて一件落着!」
何にも落ち着いてないぞ! どうしてくれるんだ!




