金曜日の午前・針のむしろ
「ねえ杏、起きて起きて」
金曜日、実は俺は既に起きているが、紅華が馬乗りになるまで俺は寝たフリをする!
「毒島さんまだ帰ってないんだって」
「マジで!?」
紅華の呆れた顔と溜息が目に映った。
その話は事実らしく、三人の食卓はその話題で持ちきりだった。
「瑠璃華さん、マジなんですか」
「ええ、電話で連絡もあったし、若いメイド二人大目に見るわ」
「一体何があったのかなー」
紅華の呆けた言葉、全く無知ほど恐ろしいものはないと確信した。
「紅華、あの二人に関わってやるんじゃないぞ」
「なんで?」
「そりゃお前、人には決して誰にも知られたくないことの一つや二つ。今、二人はそんな状況なんだよ」
「へー」
本当にこいつは、これでも頭は滅茶苦茶良いはずなのに、凄くバカっぽい。狙っているのだろうか、そういうキャラを。
昨日二人の様子を見ていたが、仲良しこよしの友人以上の関係になりつつあるわけだ、あの無愛想な毒島が、か。
不埒な妄想が過ぎるだろうか、それとも……?
お馴染みになりつつある通学路、紅華が口を開いた。
「杏、それでオタク部の顧問はどうする気?」
生徒が五人集まったのだから、最後は当然顧問の問題だ。
「ああ、それなら永沢が……」
してくれる、という言葉を飲み込んだ。
あんな口約束、覚えているかすら怪しい。
「永沢って、担任の永沢芯祢先生? もうソフトボール部の顧問でしょ」
「一応、本人が五人集めたら考えてやるって」
我ながら自信がない。
紅華は疑問の眼差しのまま、言葉を俺に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で何か言った。
少なくとも俺には、無理じゃないかなぁ、という致命的な言葉が聞こえたが、聞こえなかったフリをした。今、数少ない自信を削ぐのは非常に心苦しい。
一度自ら話をやめた毒島の話に戻してまで俺は紅華の気を紛らわし、そのまま学校に着いた。
しかし、挨拶しゅうかんは続いており、そこにはやはり永沢芯祢がいた。
「おはよう」
「おはようございます!」
紅華は相も変わらずガキみたいに挨拶をする。
「異瀬、おはようといっているんだ」
「そうですか」
素通りしようとすると、またも体が宙に浮いた。
「異瀬、お・は・よ・う」
「離せよおい! 恥ずかしいだろ」
じたばたもがくが、本当に女かと思うほどの力で抑えられ、もう挨拶も脱出も考えられないほど苦しい。
「ぐぅう、なが……死ぬ……!」
しかしベアハッグ状態なため手も足も出ず、頭を永沢の頭にぶつける程度しか出来ない。
「おお、すまんすまん」
ようやく解放され顔を見上げると、奴はにやにや笑っていた。普段は無表情のくせに。
「笑ってんじゃねえぞ!」
「はは、ほら挨拶は?」
「おはよさこい!」
ちなみにこういった意味不明な挨拶の意味は特にない。強いて言うなら最後まで相手の意思に背こうとしているだけである。
永沢はともかく挨拶じみたことを言わせて満足なのか、またくっくっと笑っている。
「行くぞ紅華!」
「う、うん」
教室までの道で紅華は言った。
「あの人、本当に顧問してくれるの?」
あっという間に昼休み。
俺は紅華を説得し、不同と石目の四人で食事をすることに決めた。
俺自身、あの二人と交流を深めたく思っているし、紅華は石目を苦手扱いしている、その二つの問題を一挙解決できる画期的かつ論理的な手段だと自分を褒めたくすら思った。
ということで向かったのだが、不同は石目と第二視聴覚準備室で食事をする計画を立てていたらしいので、結局四人でそこへ向かった。
向かう途中、俺はぽろっと呟いた。
「奇妙なメンバーだよなぁ」
石目が否定する。
「そりゃお前と不同はな。俺と西條さんは……、いや西條さんは西條さんですごいから、俺だけか、普通なのは……」
「その口が自分を普通だと言うでござるか!」
と、二人で笑っている。
確かに奇妙な人ばかりだ。もう三十代以上に見える不同大吉、普通であり変態である石目魔爪、で、俺と天才ご令嬢西條紅華。
「普通なのは俺だけか……」
無論ささやかなボケだが、俺が呟くと今度は紅華までツッコミを入れた。
第二視聴覚準備室には既に高畠はいて、暢気に弁当を食っている。
「おお皆の衆、早いな」
「拙者たちもここで破子を食うでござる」
「わりごってなんだ?」
「石目、破子っていうのは悪い子供のことで、お前を食べちゃうぞと言っているのだ」
ちなみに、それが弁当だという事は既に知っていた。闇野といると博識になるのだ。
「へえそうなんだ。でもそれが本当なら食べられるのは杏だよ?」
西條は信じてバカみたいなことを言っている。そのせいで不同まで父親のように穏やかな笑顔を浮かべている。
「ぶはは、みんな無知でござるな」
なんだと?
「破子とは弁当の事でござるよ」
「なんだ、脅かすなよな」
石目も不同も和やかな雰囲気で笑っている。
が、俺は一人怒り心頭で言う。
「知ってるけど!」
「またまた、杏は強がっちゃって」
ジョークだと気付かれず挙句自分まで無知者扱いとは!
「俺はみんなを和ませようと」
「はいはい、和んでますよー」
くそう、全く信じられていない。
「……ところで、高畠殿」
と、急に不同が真剣な面持ちで彼に向き合った。同時に石目も。
一体何があったのかと思ったが、そういえば俺が知っている限り、三人はなんだか不穏な空気のまま。昨日どういう別れ方をしたか詳しく知らないが、解決しなかったのだろう。
呼ばれた高畠は何の考えもないように「うん?」と飯を食いながら受け答える。
一方で不同と石目が差し出したのは、判が押された入部届。
「拙者たちの入部は認めてくれるのでござろうか?」
「え、もちろん」
というや否や、肩の荷がおりたと言わんばかりに二人は脱力する。
「よかった~」
と何故か紅華まで俺にもたれかかる。倒れそうになるのを必死にこらえ、軽く睨む。
「なんでお前まで安心してるんだ?」
「いやぁ、なんか緊迫してたから」
全く、愛い奴よ。
「それにしても、随分あっさりと決まったな。昨日の必死のあれはなんだったんだ?」
「それは解決してただろう。入部は君達自身が決めることだと」
なんてことのないように言う。後輩達はもっと真剣に考えていたと言うのに、この男はその場で完全に決めていたらしい。
「ともかく受領してもらうでござる!」
「お願いします!」
と、二人分の入部届が高畠の下にわたる。
これで五人、もう安心だ。
「よし、飯食ったらとりあえず永沢のところ行ってみるか」
紅華を除く三人がこっちを見た。
「永沢って誰だ?」
と石目。
「あの教師の中でも胸の大きい方ですな」
と不同。
「なにっ! 異瀬二等、気でも触れたか!?」
これは無論高畠だ。
そして、経緯を説明してやる、がすぐに彼らは口をそろえる。
「無理だろ」
「無理でござる」
「馬鹿にされているぞ、異瀬三等」
「格下げするな! こんなもんな、いいか、こんなもん……」
正直俺だって無理な話と思っているから言葉に詰まっている。
けれどここで食い下がらずにはいられない。顧問さえつけば正式な部に、そうすれば俺たちの夢と下心は!
「ねえ、杏、言わせてもらっていい?」
「どうした?」
紅華が何かを言いづらそうにしているが、それを言わせてみると。
「永沢先生ってさ、昔小学校でもジュニアのチームを色んな大会で優勝に導いた人で、この金崎中学が是非来てくれって呼んだ先生らしく、いまだにいくらかチームを優勝させている凄い顧問なんだって。だから絶対からかわれてるだけだと思う……」
「お前はなにが言いたかったんだ!?」
「無理って伝えたいの!」
助け舟かと思えばとんだ泥舟である。
「杏殿、こんなもん、どうするでござるか?」
「変わってやりたいほど酷いポジションだな、おい」
「では健闘を祈るぞ、異瀬見習い!」
三人して、これである。
「~~~~~~ッ!!」
俺はとりあえず声にならない叫びを発して。
「五人分の入部届を寄越せぇ!」
と高畠の後ろにあるガラス棚についた引き出しからそれを出した高畠から奪い取り。
「俺が顧問を連れてきてやる!」
大見得を切った。




