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断章・メイド毒島事変

 家族とすっかりお別れをした俺は、再び西條家に戻った。

「と、いうわけで今日から改めて御世話になります。異瀬杏です」

「はい杏さん、晩御飯はできていますよ」

「杏、貴方は先に家に帰ったのね?」

 どうやら紅華は結構遅くまで残って変人探しをしていたらしく、顔が怖いことになっているが二人は相変わらず俺を迎えてくれた。もてる男の特権だね。

「瑠璃華さん、着替えとか日用品一式は家から持ってきたんで」

「あら、助かるわ」

「杏? 無視なの?」

 相手にしたら負け、そんな言葉が頭によぎった。

 紅華の視線を必死で受け流しながらの晩御飯は味を上手くつかめなかったが、我が家より一段と豪奢だということは分かる。

 全く羨ましい家庭だが、以前のように鬼気迫った状況ではない分楽しめる。この豪勢で自由な家に住めるなど、庶民的な立場として最高の気分だ。


 食事が終わり、紅華が部屋に戻った直後瑠璃華さんが俺を呼び止める。

「あ、杏さんお風呂入りますか? 今なら紅華さんも一緒に入りますよ」

 食事中にビックリさせられて飲み物を噴出すなどなかったが、息をすることすら忘れ飲み物をゴクゴク飲んで息苦しい事この上ない。

「えっと? つまり瑠璃華さん、漫画でよく見る噴出すぐらい驚かないといけないって話でしたっけ?」

「何の話ですか? いやですね杏さんらしくもない。中学生のうちだけですよ、同級生の女子とお風呂だなんて」

 そっ、それは確かにそうだ!

 紅華と縁を持つことを拒否している俺の立場で考えると、これはまたとないチャンス。だが、ここで一緒に風呂など入れば、その後何もないなんて甘い話があるのか?

「いやその前に! その前に紅華が拒否するでしょう!?」

「いえいえ杏さん、紅華さんがなぜか貴方に好意を持っているのは知っているでしょう? 口ではいやよいやよと言っても、あの子がお風呂にいる時強引に入ってしまえばいいのです」

 爽やかな作り笑顔に下衆発言、瑠璃華さんに不思議と似つかわしい。

 しかも言っていることが魅力的で現実的なのも事実。この誘惑に勝てるほど我が理性は強くない。

「いいのかいアンタ、げへへ、自分の娘がどんな風になっても!?」

 少し強気に、少しいやらしく。

「娘だからこそ幸せになって欲しいんです。杏さんって妙にしっかりしたところあるから、絶対に紅華さんを不幸にはしないでしょ?」

 確かに本当に紅華が嫁になったら、そりゃ自分の身を挺してでも守るだろう、守るだろうが、俺と一緒になる時点で彼女は不幸ではないのか?

「瑠璃華さん、魅力的な話だが遠慮しておくよ」

「将来いくらでも一緒にお風呂入れるから?」

 またも瑠璃華さんの変わらぬ笑顔が下卑たものに見えた。食えない人だ。

「俺が風呂に入る、なんやかんやで俺が失神する、次の日の朝になっている、この流れが容易く読めたからだ」

「へぇ~、あ、そう」

 意外とあっさり瑠璃華さんは身を引いた。

「杏さんの部屋は紅華の隣の部屋でいいわね。そこに一人メイドをおいたから」

 彼女は洗い物の片付けをし始めた。

 無論、今の俺はもう紅華や風呂より興味深いものに惹きつけられた。

 階段を上り部屋に入る。

 紅華の部屋と広さは同じだが、右奥のベッド、左奥の勉強机とその手前の箪笥しか家具がないため広く感じられる。

 メイドさんは、メイドさんはどこだ!

 血眼になってベッドの下、箪笥の中、椅子をどけて勉強机の下、と探し回ったが人はいない。

 だが部屋の入り口から右手前、気付かなかったが取っ手が着いている。

 ウォークインクローゼットと言うやつだ。

「へへ、へ、もう逃がしゃしねえぞ」

 一人で部屋をバタバタ漁り回り、挙句独り言まで呟くのだから気持ち悪く気味悪い。

 しかし現役中学生である俺が本物のメイドさんにご奉仕して貰うなどありえない経験なのだ。

 普段紅華や瑠璃華さんはどんな事をしてもらっているのか、不埒な妄想を始めつつ、俺は叫びながら取っ手を引っ張る。

「往生せいや!!」

 そこにいたのは、漫画のキャラのような重力に逆らった水色ツインテール、何故か右目に眼帯をしている歴戦の勇士のような眼差しのメイド服を着た女性。

 違うんだ、本当にいるとは思わなかったんだ。

 メイドさんと聞き、テンションが最高にまで上がった俺は、部屋に入った瞬間誰もいないだろうと思いながら部屋をがたんがたん音を立てて広さとかを確認していただけで、あの奇妙な言動と行動を全て見られているなんて、思わなかったんです……。

 水色絵の具のように毒々しくも爽やかな髪の彼女は、板についたような無表情で、小さく溜息をついた。

独眼老比奈鳥(どくがんろうひなとり)と申します。これからあなたの身のお世話をさせて頂きます」

 どこから突っ込んでいいのか、分からない。

 人生初メイドさん体験より、人生初けばけばした髪の色より、奇妙な名字と名前……より、よく見るとわかる後ろ手に持った青龍刀を突っ込むべきだろうか。

「あの、独眼老さん、それって銃刀法違反ですよね?」

毒島(ぶすじま)で結構です」

 じゃあ独眼老は誰だよ、何がしたいんだこの人は。

 違う、俺が予想していたメイドさんとは大きく違う。

 もっとこう、御主人様っていうような、フリルもスカートも想像のソレと同じはずだが、どこかが決定的に違う。

 そもそもありえないだろう、色々と、人として。

 あと、恥じらいだ。

 親友のメイド服姿を想像し、真っ先に来るのが恥じらい、頬を紅潮させ、なんでこんな恰好しているんだろう、という葛藤。

 メイドを仕事にしている人だからそれはなくて当然だが、それでもこいつは堂々と、というか凛々しすぎる。

 中学生であり女みたいな見た目でも俺は一人の男だ、男に仕えるということがどういうことか思い知らせねばならない。

 俺は青龍刀があるにも関わらず、手を広げ天に仰がせ、彼女の揺れる布にあてがい天に向かわせた。

 つまり、大袈裟な手振りでスカートを捲っただけだ。

 褌だった。赤かった。

「女たるもの、堂々とあるべきでしょう」

 肉感的な太腿だとか、無駄毛一本ない美しきふくらはぎだとか、そんな物で恥じらい一つない彼女に対する俺の心の傷は癒えない。

 違うだろこいつは。メイドじゃなくて異次元から来た女侍かなにかだ。

「もういい、寝る」

「いえ、貴方には入浴が義務付けられています」

 メイドなら口答えをするな、とも思ったがこいつは既にメイドじゃない、メイド服を着た毒島(自称独眼老)だ、そう覚えよう。

「分かった分かった、風呂に入ればいいんだろ、お前も一緒に入れよ?」

 俺は必ずこういうアピールをする男だと、そろそろ皆気付いているだろうか。

 毒島はしばし無言で佇んでいたが、口を開いた。

「構いませんよ」

 今俺は、表面でクールを装っているが、心の中で本能は歓びに包まれアルカイックスマイル。

 侍といえども人に仕えるメイド、御主人様の意見には逆らいませんってか。

 笑いを噛み殺しきれず口の端が歪むが、構う必要はない。俺に下心があろうとなかろうと従うのがメイドなのだ。

 自分でも心底下種な奴だと、今更自覚したが構いやしなかった。意気揚々と風呂場へ向かった。


 昔覗いた事があるので……覗いたとは人がいる時ではなく、遊んでいて走り回っていて『ああ、ここが風呂なのか』という風に理解したわけであって、決して覗き魔のようなことはしていないと断言しよう。

 要するに俺はこの家の風呂の場所とその広さはよく知っていた。

 ジャグジーは大の大人三人ぐらいでやっと動かせる滑らかな陶器でできていて、広さは意外と普通の家庭と同じぐらい。数ある西條家スポットの中でも比較的庶民っぽいところである。

 床はプラスチックだかリノリウムだかよく分からないが、水を効率的に排出できるタイルで、カビやぬめりがなく清潔な印象を持つ。

 そこで正座させられているのが今の俺である。

 意気揚々と、バスタブを泡まみれにしてやろうと全裸で風呂に入ってみると、なんと西條家のご令嬢がいらっしゃったのでプラスチックの風呂桶をパコーンと情趣溢れる音で投げられて云々。アワアワしたのは俺だけだったという話だ。

「どうしてお風呂場の明かりが点いてるのに、飛び込んできたの?」

 威圧感溢れる語気で、水が滴るシャワーをハンマーのように持つのだから答え方次第では俺の昇天もあるだろう。

「いえ紅華お嬢さま、わたくしめは瑠璃華様のご許可を頂き、参上仕ったのです」

 礼儀を尽くし、嘘一つつかない誠実な態度。

 しかし紅華は決して油断せず、体にタオルを巻き母を呼ぶ暴挙に出た。

「どうかしま……あらぁ、杏さん」

「本当にお母さんがお風呂に入れって言ったの?」

 驚き瑠璃華さんを見るフリをして、俺は必死でアイコンタクトを試みる。

 少し驚いた様子だった瑠璃華さんも、ようやくいつも通りの笑顔に戻った。

「ええ、言いましたよ。紅華さんと一緒にお風呂に入りなさいって」

 ま、一応事実だし。

 紅華は少し恥じらい、ジャグジーに体を沈めて、水泡に混ぜていった。

「一言ぐらい言ってよ……」

 その顔の色、のぼせて赤くなっているわけではなかろう。超、超可愛いです。

 笑顔のまま瑠璃華さんが戻っていき、われわれは二人になった。

「杏、ちょっと待ってて」

 風呂場からそのまま紅華が出ると、すぐに古着を着て風呂場に戻ってきた。

「一緒に入るのは恥ずかしいからさ、背中ぐらいは流してあげる」

 かーっ! 可愛いというかエロいというか!

 ピンチの時には饒舌になるが、こういうときは無口になるのが俺の悪いクセだ。こういうときこそ押して押して押しまくるべきなのに!

 風呂桶に腰かける俺の背中を、紅華は泡だらけのスポンジで拭いてくれる。

 すっごくエロい!

 至上の時間を味わっていたが、残念ながらお別れの時間がやってまいりました。

 褌とサラシを巻いた毒島が風呂場にやってきましてね。

「おや、私は余計でしたか?」

 腕を組んで相変わらず武将のような佇まいの彼女より、無言で固まる紅華のがよほど怖い。

「あの、紅華さん?」

 スポンジがぐしゃりと潰され、泡が吹き出る。

「違うんですよ紅華さん、これは全部俺の口が悪いんです。おい俺の口! 全く余計なことを言いやがって。しっかり怒っておきますので、それでは!」

「待ちな」

 例えるならその声、荒くれ者やならず者が集まるバーで、一人ウヰスキーを飲む保安官。

 そんな声と雰囲気。

「どうでしょう、紅華お嬢様」

「うん、ありがとう」

 紅華の両手には毒島が巻いたと思われる風呂場タオルでできたグローブが装着されている。

「これならいくら殴っても問題ないかな?」

 今の俺なら、きっとチーターより速く走れる。

 が、髪の毛をがっしりと毒島に掴み取られ、走る事はおろか動く事すらできない。

「紅華、今まで黙っていたが、お前の事そんなに嫌いじゃなかったぜ……。恵子さんとかはいいけど、林檎と鉄二をよろしく。お前の手で、オタク部を作ってくれ……」

 彼女の目には既に何も映っていない。最後に俺は彼女に全てを託した。


 紅華が去った後、毒島もタオルとパジャマを置いてどっかに行ってしまった。

 せっかく助けてもらったのに関係を悪くしてしまい、瑠璃華さんに合わせる顔もない。致し方なく俺は風呂から出た後、盗人のようにこそこそ部屋に戻った。

 なんだかんだいって、裸体が見られたり、お背中流されそうになったり、嬉しい出来事もあったが、総合的に最低の気分だ。明日の風呂こそきっと……。

 野心膨らましベッドで寝転がっていると扉をノックする音が聞こえた。

「どちらさんで?」

「この部屋のメイドです。そういえばなんとお呼び致しましょうか?」

 ドアノブをガチャリと開き来たのはちゃっかり風呂を楽しんだと思われる毒島だ。ほどかれた髪を結いながら話すとはなんと女中の風上にも置けぬ奴。それにしても、他に風呂場があったのか?

「俺の事は別に何でもいいよ。御主人様だろうが、異瀬くんだろうが、呼び易いように」

「ではチビガキか風呂覗きか、はたまた杏子ちゃんという事になりますが」

 ヘアゴムを口で咥える姿を見て一瞬でも見惚れた自分をぶん殴りたい。こんなにも女に対して腹が立ったのは何時以来であろうか。

 もう我慢ならん。

 俺はずんずんと歩を進め、部屋を出て階段を降り、テレビを見てくつろいでいる瑠璃華さんに猛攻を試みる。

「瑠璃華さんなんですかあいつは、俺になんの恨みがあって毒島、いや独眼老比奈鳥を!?」

「独眼老? ……ああ、毒島さんね。杏さんは変なのが好きだから、うちのメイドのとっておきをプレゼントしたのよ?」

「どんな意味のとっておきですか!? 変の粋を超えてます。もう……もうなんというか」

 変、その一言で済ましてはいけない存在だろう、彼女は。

「とにかくなんというか……アレは武人ですよ、メイドじゃありません」

 かろうじて言葉を紡ぐと、瑠璃華さんは変わらぬ営業スマイルでそれを解く。

「彼女は貴重よ? メイドでも侍でも中二病でも、杏さんが望むならどんなジャンルにでもなってくれるわ」

「たくさんあればいいってもんじゃないです。厳選され一つを極めてこそのジャンルです」

 それに中二病なんて見ていないぞ。眼帯だけて中二病だと言っているならなんと浅はかな!

「わかった、そういう風に言っておくわ」

 だからもう帰れ、と彼女の笑っていない目は言っていた気がする。ここの家の人はみんな怖い。

 部屋ではちょこんとベッドに座った毒島は、まあ可愛いが、後ろの青龍刀が怖い。

「お前はあくまでメイドなんだよな?」

「はい、覗き魔」

 よりによって呼び名はそれか。が気にせず俺は続ける。

「なら、命令でもなんでも聞くよな?」

「日本の法に準拠しますが」

 その言葉はせめて刀を鞘に納めて言え。だがそれでも俺は笑顔で続ける。

「よし、服を脱げ」

「お断りします」

 俺はここで驚き焦るような男ではない。もっと鬼畜でネチネチと理由を聞き、絶対に脱がす精神でいるのが、本当の俺だ!

「なぜ断る?」

「そんな破廉恥な事はできません」

「そう言うな、最悪下着姿だけでもいい」

「今はそれも着ていません」

 男とは、どうあるべきか。か弱き女性を守ってこそ男とも言うだろうが、それはきっと下心からの行動だ。

 真の男とは、下心を表面にさらけ出し動くべき。俺は男の生き様を今ここで見つけた。

 さっきはめくれたじゃないか、大丈夫、俺はできる男だ。

「よし毒島、そこを動くなよ……」

 態勢低く、円背のように上半身を突き出しつつ両腕を前に擦り寄った。

 一歩、また一歩と近づくと、彼女は刀に手をかける。

 刹那の見切りというやつだ。西部劇でガンマンが銃を抜くように、時代劇で侍が居合いをするように、俺たちは戦っている。

「毒島、刀から手を退け」

「ガキが背伸びせずとっとと寝ちまってください。だから背が伸びないんですよ」

 もはやメイドでもなんでもないが、これは彼女がそれなりに焦りを感じているという証拠だ。

 俺は勝負をけしかけた。

 短い足でもそのばねを全部使い彼女のスカートに近づく。

 両手が切り落とされたとしても、顔をその中に突っ込むことができれば勝ちだ。

 だが、眼前に青龍刀が突きつけられた。

 手を上下するが、俺の短い手ではスカートに届かない。

 負けた。

 俺はチャンスを逃した。

 負けられない、これで負けるのは俺じゃない。

 俺はゆっくりと後ずさりをして、素早く両手と額を床にこすりつけた。

「……スカートは捲らせませんよ」

 元々、俺はスカートの中など求めていたのか?

 違う、実際はグロテスクな物を見た気分になるだけだ。

 真に俺に必要なのは恥じらう女性だけではないか?

 頼んだらしてくれそうな事を考えろ、へそをなめるとか、耳をかむとか、太腿を軽くなでるとか。

 そして俺は一つの結論に辿り着いた。

「その五指を咥えさせてください!」

 自ら頭を地面に叩きつけた。ジャパニーズ土下座スタイル。

 これが断られたら諦めよう、だが、これを断るようなメイドなら瑠璃華さんにまた文句を言ってやる。

 相変わらずの屑の精神で自分に自信をつける。大丈夫、これならきっと認めてくれる。

「構いません、しかし……」

 輝きが戻った俺の顔に、新たな絶望が刻み込まれた。

 彼女がセクシーに胸元から取り出したのは、本物と思われる手錠だ。

「変なまねをしないように、これで両手を縛ります」

 なぜそんな物を持っている、どういうつもりだ、とは勿論聴かない。

「よし、分かった」

 快く返事をし、手を後ろにし、自ら縛る。

 全ては我がエロ心を満たすために。

「あ、その前にちょっと待っててください」

 と、手枷をつけたまま彼女は一人で部屋を出て行ってしまった。

 これで帰ってこなかったらどうしよう、瑠璃華さんや警察に言われたらどうしよう、紅華が……いや、紅華のことはもうよそう。

 そんなことばかり考えていたが、彼女は意外とすぐに戻ってきた。

「ではひざまずき、許しを乞うように舐めなさい」

 言われたとおり、俺は屈辱的な恰好で彼女に近づいた。

 これでよかったんだ。俺はマゾではないが、これはこれでいいかもしれない。

 そう思ったが、その指を咥えようとした瞬間完全に動きは停止した。

 粘土くさい。

 …………。

 彼女の両手の平はそれこそ白磁のように美しいが、本当に粘土のにおいがしてどうする。

 もしかして彼女は粘土でできた人工メイドなのか、だから手が綺麗なのに本当に粘土臭を放つとんでもない事態に陥ったのか?

 しかし、見上げた彼女の顔はにんまりと王族のような余裕の笑みである。

 まさかとは思うが、部屋を出てわざわざ手を粘土で汚して……。

 汗臭いとか洗剤臭は許せるが、粘土臭って……真性の汚さがある。これでは流石に舐める事を躊躇わざるを得ない!

 ゆっくりと首を引き、腰を下ろすと彼女も満足そうに手を戻していく。

『異瀬杏、これでいいのか?』

 何かが聞こえる。

『お前が本当に欲しいのは、美女の指の味わいではなく、恥らう女性の顔だろう?』

 俺の本能だろうか? そうは言っても粘土のにおいのする手なんて、美女の手じゃない。

『絶対にあの女はお前が舐めないと、咥えないと思っている。そこをお前が舐めたら、絶対に今までずっと澄ましてきたあの女は驚き、赤面し、いやん、ぐらいは言うぞ』

 俺は中腰のまま、止まった。

「……うん? どうかしましたか、覗き魔」

 避ける暇も与えず、俺はしゃにむに彼女の五指に喰らいついた。

「あむあむあむあむあむ……」

「ッひぃっ!!」

 見、える、確かに毒島は初めて赤面し、泣きそうに怯え、あられもない声を上げた!

「ちょ、っちょっと本気ですかやめてください!」

 いつもより声も数オクターブ高くなっている、さては今まで少し低い声を出していたな。

 が、ここまで麻痺していた感覚が蘇る。

 滅茶苦茶粘土臭い……。

「……あむあむあむうおぇ」

 猛烈な嘔吐感に負け、やむを得ず口を開けると彼女はその右手を庇うようにベッドの奥へ後ずさりをした。

「うえええ、うっ……なんで、粘土臭いんだよ?」

「うるさい、こ、この変態、変態、指舐め魔!」

 彼女の化けの皮は剥がれたようだ。強引に剥いたんだが。

「可愛い声出てたなぁ? ひぃ、だってよ」

 大声で笑ってやると、毒島は無表情で近づいてきた。

 しかし俺はそのときまで手錠の存在を忘れていた。

「ああスマン、外してくれる……わけないですよね?」

 完全に怒っているようだが、今の俺には勝者の余裕がある。涙目で怒る美女もまた乙な物だ。

 見入っていると、ズボンを思いっきり引っ張られた。体が百八十度ひっくり返り、パンツが露になる。

「ちょっと、毒島さん?」

 彼女はあろうことか、我がパンツにまで。

「スイマセンッ!」

 下半身丸出しにされた我が身に、足かせまで付けられたではないか。

 彼女は無言で俺をベッドの上に放り投げ、部屋を出て行った。

「毒島さん、シャレにならんて! 独眼老、比奈鳥さんっ!」

 がちゃがちゃ音を立て転がっていたものの、腕と足が痛くなったので、布団に埋もれ眠ることにしたのである。

 ああ杏よ、試合に負けて、勝負に勝ったのだ。悔しがることはない。


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