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塗り潰し開始

 どうやらここは玉座のある部屋だったらしい。地震でも起きたのかと思ってしまうほど部屋の物は元あった位置から離れ、思い思いに転がっている。部屋の内部は壁や床が不自然に欠落していたり意図的に破壊したような跡がいくつもあった。目を閉じてこの部屋を走ると間違いなくどこかの穴に足を引っ掛けて転ぶと思う。穴達に足を絡めとられてしまわないように注意しながらナイトラと足を進めて行くとチェックは玉座の上で両足を抱える形で丸まっていた。繊細かつ高級じみた装飾が施されている玉座と小さくなっているチェックとはひどくアンバランスな組み合わせだ。少しばかり前にはその玉座に凛とした態度で腰掛ける余裕に満ち溢れたチェックを見たはずなのだがあれは虚勢だったのではないかと思ってしまう。それくらいにその差は激しかった。こんな姿のチェックを見て動揺していなければいいのだが、という危惧のもとナイトラを一瞥する。するとクジュの危惧に反して彼は落ち着き払っていた。思えばナイトラは泣いていたチェックを落ち着かせていたし、このように弱体化しているチェックを目にするのは珍しいことではないのかもしれない。

 チェックの泣き声ばかりが反響するこの空間はクジュにとっては耳障り以外の何物でもない。チェックがどれだけ血を吐くように泣いていてようと、それを見たナイトラにわずかながら躊躇の色が滲もうともクジュには関係のないことだった。


「ナイトラ、耳栓は外すな。あの男の言葉に耳を貸すな。俺を守れ」


 一々その理由まで説明するのは面倒なのでそこは省いてそれだけ指示する。ナイトラは納得しきれてはいないようだったがチェックが頭を上げたところで理由を問いただしている場合でもないと判断したのか「わかりました」とだけ返した。


「……ナイトラ?」


 先程別れたチェックと寸分違わぬ容姿と衣装で目の前のチェックはそう呟いた。あちらのチェックと違うのは泣き腫らした跡が強く残っているという点くらいだろう。ナイトラの前にはクジュもいたのだがチェックはクジュなど目に入らないとばかりに目に留まらせることはしなかった。それが不愉快でないわけではないが余計に喋ることも躊躇われるので黙る。


「……ナイトラ! ナイトラだな!」


 先程まで目を伏せてこの世の終わりとばかりに泣き続けていたチェックはナイトラの姿を目に留めた途端ぱあっという擬音が相応しいくらいに満面の笑みを作った。その表情を見てナイトラがあきらかに動揺したのがクジュからでも一目瞭然だった。いっそ得体の知れない怪物じみた敵ならば躊躇などないのだろうが敵がよく知った顔で、しかも想い人ということでは動揺するのは無理もないように思える。だがそれに同情する余地はない。これはチェックとクジュが望んだことに他ならないからだ。

 一気に表情を明るくしたチェックは玉座の上で立ち上がると軽やかに玉座から飛び降りる。王たる威厳を見せるためのものなのか腰より少し長めまであるマントがその動きにつられてはためいた。マントがチェックの動きに完全に追いつくよりも早くチェックはこちらへ駆け出してくる。人畜無害そうな表情でにこにこと微笑んでいるあたり敵意があるとは思えないのだがどう豹変するのかは予想がつかない。警戒するにこしたことはないと思うのだがナイトラの戦意はこのチェックに大幅に削られていた。その証拠に守れと言ったのにチェックが走り寄ってきてもなんの防御体勢もとらない。面倒な依頼なのは百も承知だったが認識が甘かったかもしれない。


「ナイトラ! 大好きだ!」


 走り寄って来たチェックは床の穴に足を引っかけたりしながらもなんとかこちらへ近寄り、ナイトラへと飛びついた。クジュは完全に無視されている。敵意を向けられるよりは楽でいいのだがどうにも釈然としない。

 ナイトラはチェックに思い切り抱きつかれたにも関わらずわずかによろめき、後退しただけだった。どうやらチェックがこうして抱きついてくることを予想していたらしい。そのことに感心しつつも二人の様子を眺める。チェックはひたすらに愛の言葉を口にしながらナイトラに抱きつき続けている。ナイトラはといえば戸惑いを隠せないようで酸素を求める金魚のように口をしきりにぱくぱくと開閉させていた。その両手はチェックへ回すことも出来ず、中途半端な位置をさ迷っている。このまま様子を見ているばかりでは事態は悪化しそうな気しかしない。現状を打破する方法をクジュは一つしか持ち合わせていないのだが、一つも持ち合わせていないよりはマシだと思う。


「騙されるな、惑わされるな。何度言わせるつもりだ」


 何度も言った。苛立ち混じりにそうもう一度だけ言えばナイトラよりも早くチェックが反応を見せた。好き好きアピールは急に止み、その顔から笑顔が消える。ナイトラからその様子が見えないのは残念だ。見えていたならきっとこのチェックが本物とは似ても似つかない、凍てつくような無表情を浮かべる偽物だとわかったことと思う。


「頭、痛え」


 ぽつりと呟かれた苦痛を伴うその声は独り言か、ナイトラに向けられているのか。それが判断出来るよりも早くチェックはナイトラから離れるとクジュを睨みつけた。子供に睨まれたと錯覚してしまうほど幼稚で純粋な敵意に思わず苦笑してしまいそうになるがチェックの怒りを煽りそうだったのでやめておいた。やはり頭が痛むのかチェックは両手で頭を押さえながら唸った。


「なんでみんなして俺の邪魔するんだよ……」


 チェックの言葉を無視する。まともに応対しても大したことがないのは明白だった。するとチェックは抗議を続ける。頭痛がするのにも構わず頭から手を離すと両手を広げながら訴えた。表情は苦悶に歪んでいる。


「俺はナイトラが好きなんだよ。どうしようもないくらい好きなんだ。好きでい続ける為なら何を犠牲にしたっていい。俺にはナイトラが必要なんだ。それなのにどうして邪魔するんだよ!」


 利己的な言い分はきっとチェックの本音なのだろう。こういった人間の本質はどれだけ取り繕うともこちらではあっさり表面化してしまう。流石にこの言い分を聞き流すことは出来なかったのかナイトラが窘めるようにチェックの名を呼ぶ。するとチェックはぐりんともの凄い勢いでナイトラの方へと身体を回転させた。その瞳には涙が溜まり始めていてナイトラがまた動揺したのがわかった。


「何がいけねえの? 俺はお前が好きなんだよ。この想いに誰も首を突っ込まないなら俺はどんな誹謗中傷だって受けてやる。国民の批判の的になってもいい。それなのにどうして邪魔すんだよ! なあ、ナイトラ!」


 ナイトラは答えない。ナイトラがチェックに肩入れを始める前にさっさと仕事を開始するべきだろう。ナイトアが何か言うよりも早くクジュは口を開いた。

「お前の邪魔をしているのは他の誰でもないお前自身だ。お前がいると邪魔だ、大人しく消えろ」

 どれだけ言い回しに気をつけてもそれが真実だ。チェック本人が『好き』はいらないと言った。消してほしいと言った。それならこの『好き』の塊であるチェックは消えるべきだ。

 そうして宣戦布告の真似事をしてみるとチェックは瞳に溜めていた涙を溢れさせた。緩慢に目尻から頬へ伝うそれをチェックが拭うことはない。その代わりに身を翻して玉座の後ろへ身を隠した。


「おい、来るぞ。武器を構えろ。チェックと戦え、俺を守れ」

「……わかっています」


 先程までチェックに翻弄されっぱなしだったくせに少し距離を置いただけでかなり冷静さを取り戻したらしい。あまり気乗りはしていないようだったが剣を鞘から引き抜いたナイトラはそれを構える。それとチェックが玉座の後ろから姿を現したのはほぼ同時だった。


「邪魔なのはお前だよ。お前が消えれば万事解決だよなあ?」


 玉座の後ろに隠していたのか刀身が平均よりも長い剣を手にしたチェックは一気にクジュに向かって駆け出す。クジュは一歩も動かない。代わりにナイトラがクジュの前へと立ち塞がるとチェックの一撃を剣で易々と防御してみせた。なんで邪魔するんだよ、とかナイトラへの非難が飛んだが取り合わない。


「あっちのお前のために俺を守ってる奴をあまり責めてやるな」


 この際、喋る内容はなんでもいい。とにかく喋ってこの声をチェックに聞かせる必要があった。黒々とした粘着質なこの声は確実にチェックを蝕み始めている。やめろと叫び声がしたが無視した。チェックは無理矢理黙らせようとチェックを狙う。しかしその攻撃は全てナイトラによって防がれてしまう。チェックは苛立ちをあらわにする。


「お前! 黙れよ! 痛いんだよ!」


 子どもじみた言い方で叫ぶチェックの身体を黒が這う。墨汁のような黒はチェックをそのまま包み込むかのように足元からチェックを覆い始めていた。チェックはそれを払い落そうと叩くが黒はそんなことはお構いなしに侵食を進める。黒は螺旋を描くようにチェックの足元から太腿辺りまでを覆う。


「痛いのが嫌なら大人しくしていろ。そうすれば最低限の痛みで済む」

「ふざけるな!」


 もはや余裕に溢れたチェックの姿はどこにもない。この調子ならばチェックの『好き』を消すのにはさほど時間はかからないだろう。とにかくチェックに語りかけて侵食を進めながらそんなことを思う。しかしこんなに順調に物事が進むはずもなかった。


「……ナイトラ。……ナイトラ!」


 急に攻撃を止めたチェックは天井を見上げると涙で満たされた瞳でナイトラを呼んだ。これはこの場にいるナイトラのことを呼んでいるのではないのだろう。警戒し、チェックを凝視しているナイトラの首根っこを掴んで後退する。


「なん……ですか!」

「来るぞ」

「は?」


 耳栓をしているとはいえ、クジュの声を聞きすぎている。ナイトラは顔面蒼白で体調が悪いのは一目瞭然だった。しかし現段階では我慢してもらうしかないのでそこに突っ込むことはしない。自分の声のせいで苦しんでいるかと思うと申し訳ないが仕方のないことだ。


「ナイトラナイトラナイトラナイトらナイとらナいとらないとら」


 壊れたように何度も呼ぶチェックに狂気を感じて寒気を覚える。あれほどまでに熱烈に名を呼ばれてナイトラはどんな気持ちなのだろうか。下世話な好奇心なので口にすることはしない。苦虫を噛み潰したような表情から察するに嬉しくはないのだろう。まあ、当然か。いくら好きな相手であってもあれは怖い。

 いつまでチェックは呼び続けるのだろうか。ナイトラのためにもさっさと消して帰りたい。ナイトラだけではなくクジュ自身も声に多少なりともダメージは受けているのだが耐性がある分まだナイトラよりはマシなのではないだろうか。時折襲い来る軽い吐き気には気付いていないことにする。

 不意に不穏な音がした。あえて形容するなら緊迫した空気に亀裂が入った時の音。間もなくしてそこまで離れた形容ではなかったことに気付いた。実際に天井には亀裂が入っていた。指の骨を鳴らす時の音を酷く大きくしたような音が断続的に響き、天井の亀裂は大きくなっていく。


「ないとら……」


 そう呟いて恍惚とした笑みをチェックが浮かべたと同時に天井が崩壊した。天井だった瓦礫が落下してくる。それを避けるためにクジュとナイトラは入口あたりまで後退した。瓦礫が床へいくつも衝突したことで砂埃が舞い、一時的にではあるがチェックの姿は見えなくなってしまっていた。視界が悪い以上、砂埃が落ち着くのを待つしかない。もう少し遅れてくればいいものを、と舌打ちしたくなる気持ちを抑えながら近くに転がる高級そうな花瓶を手に取った。こんなものでも丸腰よりはマシだ。


「二手に分かれる。お前はお前の相手をしろ」

「は?」


 ナイトラの顔には意味がわからないと書いてあるが無視する。説明している時間はないし、説明しなくてもどうせすぐにわかることだからだ。花瓶を構えて砂埃がおさまるのを待つ。何か武器になりそうな物くらい持ってくれば良かったと今更ながらに後悔した。砂埃はしばらく視界を邪魔していたが徐々に落ち着き、視界も回復してくる。霧がかかった程度の視界になったところでクジュは横にずれる。ナイトラは不審に感じていることを隠しもせずにクジュを見た。手を振って前を見ていろと指示する。意味がわからないながらもナイトラがそれに従ったところであちらに変化が起きた。

誰かが一歩踏み込んだ。砂埃が床にいくつも落ちているのでそれを踏みつけ、砂利を擦るような音が大きく聞こえる。それを聞いてクジュは更にナイトラから距離を取った。すると突如霧のような砂埃を何かが突き抜けてきた。それが何か予測の出来ていたクジュは一瞥することもなく駆け出す。クジュの標的はチェックだ。どこにいるのかはよく見えないが声がするのでなんとなくの位置はわかる。


「なっ……!?」


 焦って上擦った声をあげたナイトラを無視した。あちらはあちらでうまくやるだろう。それは投げやりでもあるし、信用しているからでもある。ナイトラを気にかけるのはやめて自分のやるべきことに集中することにした。まだわずかに舞い続けている砂埃に紛れてチェックに静かに、しかし素早く走り寄る。チェックがはっきりと目に入る位置まで接近したところでようやくチェックがこちらに気付いた。チェックが何かしらのリアクションを取る前に花瓶を振り上げて頭上めがけて思い切り振り下ろす。チャックは驚愕に目を見開いたが防御することは叶わず、鈍い音を響かせて花瓶と衝突した。その衝撃に耐えきれずチェックは膝を折り、頭から崩れ落ちる。その胸倉を掴んでこちらに向かせた。


「はなせ」


 純度の高そうな殺意の籠った目でチェックがクジュを睨みつける。だがクジュは動じない。これくらいで動じるわけにはいかない。


「断る。消えろ」

「いやだ」


 先程の一撃が余程効いたのかチェックの抵抗はない。これ幸いとばかりにチェックの耳元に口を寄せると囁き続けた。


「やめろ」

「お前は嫌気が差しているんだろう? ナイトラを苦しめることしか出来ない自分に。愛しているのに何もしてやれない。返せるとすれば、地位くらいか?」

「いやだ」


 拒絶を繰り返すチェックは力を振り絞って両手を振る。それはクジュの顔をわずかに引っ掻いただけだった。なめらかな線を描いた傷は十秒もしないうちに塞がる。傷を作ってしまったことに舌打ちしながら囁くことはやめない。


「だからお前は思った。それならリセットしてしまえばいい」

「ちがう」

「何がだ? その証拠に俺がここにいる。お前がこうして形を持ってる。お前は俺に塗り潰されるために具現化された。現実から逃げるな」


 じわじわとチェックを蝕んでいく黒は既に胸あたりまで侵食していた。胸を覆い始める黒は首と両腕へ分散しながらも確実にチェックを侵す。チェックの瞳には明確な恐怖が宿る。あともう少し。追い打ちをかけようと息を吸い込んだところで息が詰まった。中途半端に吸い込んだ息が逆流しておかしな声が出る。左脇腹に熱した金属を押しつけられたような痛みを覚えながら熱のこもった息を吐き出す。その場に今すぐにでも倒れ伏したい軟弱な精神を叱咤しながら機械人形じみた動きで首を回して背後を確認した。


「くそっ……」


 左脇には見慣れた剣が突き刺さっていた。それはナイトラの剣に違いなく、しかしナイトラは剣を手にしていた。それならばこの剣は何だろう。答えは簡単だ。この剣もナイトラの物だ。ナイトラは、背後に二人いた。


「どけよ。守るのは俺の役目なんだよ。役目だけじゃない。俺はチェックが好きだ! 好きだから守ってる。何が悪い!」


 完全にキャラが変わっていると言わざるを得ない。二人のうち一人のナイトラは丸腰で、ナイトラに攻撃されないように攻撃可能範囲外にまで後退している。どうやらナイトラはナイトラと戦いながら剣をクジュに投げ、見事命中させたらしい。技術の為せる技か、愛の為せる技か、はたまたただの偶然か。


「だからどけよ! お前は俺だろ! 理解しろ!」


 ナイトラは訴えるがナイトラは答えない。背中を向けているのでどんな表情をしているかはわからなかった。脳を侵しそうな激痛になんとか耐えて立ち続けているとナイトラが丸腰のナイトラに歩み寄った。


「早くしてください」


 感情のこもらない声でそう言ったナイトラはナイトラに斬りかかるが避けられる。言われなくてもわかっている。そう言おうとしたがそんな元気もないので大人しくチェックに囁きかけた。


「きえたくない」

「……さようなら、だ。次に生まれた時は存在することを許してもらえればいいな」

「いやだ」


 同じ台詞しか繰り返さないチェックの身体を這う黒はあっという間にチェックの残りの覗いていた身体を覆い尽くした。それを確認してからチェックを掴んでいた手を離す。ナイトラの叫び声がうるさい。床に崩れ落ちたチェックは一度少し跳ねるとまるで消し炭のように散り散りになって空気へ溶け込んでいった。その様子を眺めながら左脇に突き刺さった剣に手をかける。この空間では傷は自動的に回復するが剣が突き刺さったままでは回復が出来ないようだった。わずかに引き抜くと激痛が走り、皮膚が粟立つ。


「……一人目完了」


 熱っぽく吐いた息はきっと誰にも届かなかっただろう。改めてチェックを一瞥するとチェックはもう消え去っていた。

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