まるで童話のよう
「っと!」
ふらつく足取りでなんとか着地する。どこから落ちてきたのかとあたりを見渡せば天井にドアが貼りついていた。ドアは開いたままぶらぶらとだんだん動きを小さくしながら揺らめいていた。これはここから帰るのは無理かもしれない。
「ここはどこですか」
クジュよりも先に地に足を着けていたらしいナイトラは訝しげにあたりを見回している。天井のドアについては深く考えないことにしたらしい。意外な順応性の高さだ。
「見たところ、官邸に見えるんですが」
ナイトラの指摘通り、そこは確かに官邸だった。だがそこにチェックやシーナ、ウォルはいない。全体に霞みがかかったように視界は何故か悪く、建物の一部は歪んでいたり崩れ落ちたりしている。クジュが壁を軽く叩くとそこがあっさりと崩れる。この異常な脆さではいつ崩れるかわかったものではない。
「ここは平たく言えば感情の世界だ」
「感情の世界?」
「あまり考えるな。これからこっちのお前と王を捜す。攻撃してくるから防御に徹しろ」
意味がわからず反復したナイトラにそれだけ告げるとさっさと歩き出す。ナイトラは耳栓をしているので多少は大丈夫だろうがあまり声を聞かせ続けたくはない。だいたい、声が有害なのは他人だけではない。これまではクジュの声質を相殺するウォルがいたのでわりと平気だったが今は離れている。つまりダメージは蓄積されていくばかりだ。それならばさっさとやるべきことを終えて帰らなければいけない。ナイトラに一々説明している暇などなかった。
「一つだけ教えておいてやる。極力傷は負うな。ここでは傷を負ってもすぐに塞がる。だが、あっちに戻った途端その傷全部が戻ってくる」
「つまりこっちでは元気でも致命傷を負えばあっちに戻った途端死ぬってことですか」
「飲み込みが早くて助かる」
やはり耳栓をしていてもクジュの声を聞き続けるのは辛いらしくナイトラの眉間に皺が寄る。体調不良を訴えられて使い物にならなくなると困るので早々に話を切り上げる。最も話さなければいけないことはきちんと伝えたので大丈夫だろう。
まずはこの建物のどこかにいるはずのこちらのチェックとナイトラを捜さなければいけない。とりあえず見晴らしの良さそうなところへ移動しようとしたところでクジュはぴたりと足を止めた。ナイトラは一瞬それに不審げな表情を見せたがすぐに合点がいったようで小さく「ああ」と呟いた。
「……チェック?」
ナイトラが思わず呟く。ナイトラが振り返った先からは誰かの啜り泣く声が響いてきている。ナイトラが呟いたようにこの声の主はチェックだろう。チェックはチェックでもナイトラの知っているチェックではないが。
「耳栓は外すなよ」
「わかっています」
耳栓が外れてしまわないようにもう一度奥へ押し込んだナイトラを一瞥してから泣き声のする方へ歩き出す。呼吸をすることを考えていないのか、嗚咽を吐きだすことだけしか考えていなとしか思えない泣き声は時折息が続かないのか不自然に止まる。恥も外聞もないその泣き方はいい歳をした大人のものとは思えなかった。
進む先のドアはまるで進路を阻むかのように歪んでいて開くことが出来ない。ドアを壊して進もうと蹴り飛ばしてみるが脚力のある方ではないのでびくともしない。思わず舌打ちをすればついて来ていたナイトラがクジュを押し退け、ドアに渾身の蹴りを見舞った。するとドアはわずかながらに軋む。大して変化はないように見えたが試しにドアを押してみるとなんとか開くことが出来た。
「……」
なんとなく悔しいのは口にしないことにしよう。口に出しても大して意味もないことだし。ドアを開くとチェックの泣き声が更に大きく耳に届いた。チェックは近いようだ。