整理整頓
ソファーに身を投げ出したクジュはぐったりとしていた。全力疾走した直後のように身体は汗ばんでいて息苦しそうに時折咳き込む。血の気が引いて青褪めている顔を両腕を交差させることで覆い隠して息を整えることに専念している。そんなクジュに声をかけることはせずにウォルはウォルのやるべきことをすることにした。
「おい、大丈夫なのか?」
「あの、何か持ってきましょうか?」
チェックが心配に表情を曇らせ、シーナが腰を上げる。しかしウォルはシーナを制した。
「いえ、大丈夫です。あれをやった後のクジュはいつもこんな感じですから。しばらくすれば治りますし」
喋る余裕もないのか黙り込んでいるクジュの背中をさすりながらそう説明する。
先程チェックを抹殺しようと行動を起こした使者は捕獲され、彼をこれからどうするべきか審議されていた。そこでウォルがクジュの指示により提案したのは使者の記憶を消してしまうことだった。そもそもクジュが記憶を消すことが出来るということを知った上でチェックが連れてきていたのだからその辺りの説明は省くことが出来た。いくつかの手順を踏んで使者の記憶をクジュが消し、解放した。その反動というか副作用でクジュはこうして体調を崩しているわけなのだがそれを見慣れているウォルからすればそこまで心配することでもない。心配は心配なのだが治るとわかっているものに気をかけすぎても仕方ないだろう。
「それよりさっきからナイトラさんの姿が見えないんですけどどうかされたんですか?」
使者を送り返した後、チェックとシーナは弱ったクジュを休ませるために部屋に案内してくれていた。クジュを支えながらこの部屋で休ませてもらっていたので最初は周りを見渡す余裕もなかったのだが次第に余裕が出来てきたところそのことに気付いた。
「あれ? そういえばさっきから見ねえな。シーナ、知らないか?」
「……そういえば、私も見てないです」
「そうか」
シーナの返答を受けてチェックは立ち上がった。同じ姿勢でいたせいで身体が固まっていたのか両腕を上に突きあげて背伸びをすると踵を返して部屋を出て行った。どうやらナイトラを捜しに行ってくるらしい。少しくらい説明をしてくれてもいいのではないかと思うのだがシーナは慣れているのか何も言わなかった。
「お茶でも淹れますね」
部屋の隅の棚に置かれているポットを掴むとその横に置いてあるティーポットに茶葉を適当に放り込んでからポットの上部を押してお湯を注いだ。各部屋を見て回って思ってはいたのだがどうやら全部屋にポットとティーポットが置かれているらしい。湯の入れ替えが大変ではないかと思うのだが。シーナはカップを二つ棚の中から取り出すとティーポットを少し傾けた。褐色をした液体がティーカップからカップへ注がれる。慣れた手つきに感心しているとシーナはその視線を受け流しながら一つ目のカップに注ぎ終え、と二つ目のカップに注ぎ始める。
「すみません、いつも騒がしくて」
「いえ、大丈夫ですよ。それよりも少し聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「私が答えられる範囲なら」
シーナが微笑みながらそう返してくれたのでクジュを一瞥してから口を開く。どうやらクジジュはまだ喋ることが出来る状態ではないらしい。先程よりは落ち着いたようだったが未だに顔色は悪くぐったりとしていた。
「ナイトラさんはチェックさんが嫌いなんですか?」
「私の口からはなんとも。本人から聞くのが一番いいと思います」
シーナは自分の口からその問いに答える気はないらしく注ぎ終わったカップをクジュとウォルの前へ置いた。仕事だからなのか笑みは絶やさない。お茶をありがたく受け取って啜りながらクジュの肩を叩いてお茶をいただいたことを知らせる。すると両手を顔から離して一度深く息を吐くと背中をソファーから離してカップを手に取った。未だに顔色は悪い。カップに口をつけてちびちびと飲み始めたクジュの目線は下がっていてシーナを見ようとはしない。体調の悪さを押し隠すように深呼吸を何度か繰り返してからクジュは顔を上げてシーナを見た。その表情は彼女の小さな変化も見逃すまいとしているようでシーナは困惑した表情でウォルを見る。助けを求められているのだろうか。しかしウォルにもクジュのはっきりとした意図はわからないので助けようがない。
「……お前は?」
「はい?」
クジュが口を開くことは予想していたのかシーナは怯える様子もなくクジュを見た。わかっていてもクジュの声を不快に感じてしまうのはどうしようもないらしくその額には汗が伝った。それを見てこれ以上言葉を重ねるのは酷だと思ったのかクジュはカップを両手で持った体勢のままちらりとウォルを一瞥した。意味を理解しきれていないシーナに質問を補足して伝えろということだろうか。それ自体は構わないのだがウォルがクジュの意図を汲みとれていないという可能性を考えていないことが気にかかった。しかしそれを問っても仕方がないのでクジュの指示通り補足を請け負おう。
「シーナさんはチェックさんのこと好きなんですか?」
シーナとチェックは付き合っているという。それならば当然シーナはチェックを好きなはずだ。この質問に意味があるとは思えない。しかしクジュがこんな質問をするということは意味があると感じているからだろう。どうせ問い詰めたところで真意は教えてもらえないのだから大人しく指示に従っておこうと思う。
「わ、私は……」
シーナは質問を受けてかなり動揺しているらしく目を絶え間なく泳がせた。唇は小刻みに震えていて言葉を発することも難しいようだ。当然の質問をしただけなのにシーナがここまでうろたえる理由がウォルにはわからなかった。クジュにはわかっているのだろうか。そんな思いを抱きながらクジュを見ればクジュは睨むようにシーナをまっすぐに見ていた。そこに感情が込められている様子はなく、下手をすれば淡々とした殺意すらも感じた。
「クジュ、その顔怖いです。シーナさんが怖がってるじゃないですか」
実際にシーナが怖がっているかどうかはわからない。だが他者をそんな目で見るというのはどうかと思う。言外にそう非難したのだがそれがクジュに伝わったかどうかはわからない。クジュの反応を知るよりも早く、異変が起こったのだ。
空気を切り裂くように強烈な破壊音が響いて思わずウォルは身を竦ませる。何かが割れたのは確かだろうがそれが何かを特定することは出来なかった。陶器か何かだろうか。それよりも今一番気になるのは音が聞こえてきた方向だ。
「えーと、俺の記憶が正しければチェックさんが行った方向から音が聞こえてきたと思うんですけど」
控えめに意見して自らの記憶が正しいという確信を持とうとすればシーナが今にも躓きそうな危なっかしい動作で部屋を出ようと駆け出した。クジュも未だに具合が悪いながらもそれに構うことなくシーナの後を追う。しかし身体が重いのはどうしようもないのかその足取りは緩慢だった。それに苛立ったクジュが舌打ちを漏らすので肩を貸して歩き出す。手を借りることが気に入らないのか悔しげな表情をされたが言い合っている場合でもないので気付かないふりをしてシーナの後をゆっくりとした足取りで追うことにした。