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side 宿屋の娘

 宿屋の娘に好きな人が出来た。

 一目惚れだった。宿屋に二人客が入り、家業の手伝いをしていた娘は運命と呼んでも過言でもない衝撃を感じたのだ。歩く度にわずかに揺れる銀にも見える白髪は日の光を浴びて更にその色を薄くしていた。男にしては大きめな瞳は未だかつて見たことがない金色にも見える薄い黄色をしていた。何よりもそして特徴的だったのはその声だった。見る相手に清潔感を与える白地のシャツを着ているせいか爽やかな印象を受ける。


「クジュ、明日は街を散策したいと思うんですけどどうですか? あ、保存食とかもいくつか買わないといけないですしね」


 一緒に宿屋へやってきたクジュへそう話しかけるウォルの声はまさしく澄んでいた。黒ずんだ液体の中に水のようなその声をひとつ垂らせばそれだけでその黒全てを浄化出来るのではないかと思えるほどウォルの声は澄みきっていた。きっとウォルの清らかさが声にあらわれているのだろう。

 話しかけられているクジュは話は聞いているようだが口を開くことはなく。首を振るだけで返事をする。一切手が加えられていない無造作にカットされた黒髪が首を振る度に揺れる。誰かを睨みつけるように常に細められている漆黒の瞳はウォルに向いている。ウォルと対照的にすることが目的なのか、単にクジュ個人の好みなのかウォルと同じ型の黒地のシャツを着ていた。そしてそのシャツの袖からのびる両手の爪は黒く塗られていた。ウォルが爽やかな印象を受けるのに対してクジュはどこまでも陰湿な印象ばかりを受ける。

 しかし客にそんなことを言えるはずもなく娘はとびきりの笑顔を作って二人を部屋へ案内する。ウォルが澄んだ声でありがとうと言って微笑んだ。


「お二人はどこに行かれるんですか?」

「ううん……特に目的地はないんです。探し物をしてるんです」

「探し物、ですか?」

「ええ、そうなんです。寿命をのばすことが出来るような薬を探しているんですけど、心当たりはありませんか?」

「いえ、すみません」

「いやいや、いいんです。この街ではもう聞き込みしていたんで駄目元で聞いてみただけです」


 ウォルが白い歯を見せながら爽やかに笑う。なんて素敵な人だろうかと娘は内心でウォルに対する高感度をこれ以上ないくらい上げながらクジュを一瞥する。ウォルの斜め後ろを歩くクジュは目の前の娘とウォルの話など興味がないとばかりに通路の壁に貼り付けられているポスターなどを眺めていた。見つめすぎて目が合ってしまうのも嫌なので視線を前方に戻す。


「こちらがお二人のお部屋になります。二人一部屋でよろしかったでしょうか?」

「ええ、お金もありませんから」

 この部屋にはベッドが二つ備えつけられている。けれど二人一部屋というのは結構狭いと思うのだ。ウォルがそれでいいと言うのなら仕方ないが。

「もう少し経ったら夕食をお持ちしますね」

「ありがとうございます」


 部屋の扉を開けて脇に立つ。二人が部屋に入ったのを確認してから一礼してこの場を去る。扉を閉める瞬間にクジュと目が合った。細い目を更に細めて娘を睨むクジュはすぐに興味をなくしたのか目を逸らす。娘は扉を閉め切ってから夕食の準備をしている両親の手伝いをするため台所へ向かうことにした。


「……あの人は怖い」


 刺すような視線とか、全部を塗り潰してなかったことのようにしてしまうのではないかと錯覚してしまう漆黒とか。クジュはウォルの傍にいることでウォルの清廉さを打ち消してしまっているような気がする。それではウォルが可哀相だ。

 話を聞いたところによると二人は明日には宿屋を出て行ってしまうらしい。街もその時にもう出てしまうようでつまり明日になればもうウォルに会えなくなってしまうということで。


「ねえ、お母さん。私夕食持って行っていい?」

「いいけど、そんなこと言い出すなんて珍しいわね」

「うん、まあね。たまにはちゃんと手伝おうかと思って」


 台所で少しばかり夕食を作るのを手伝ってから自室へ戻る。誰も入ってこないように鍵を閉めて机の引き出しからレターセットを取り出した。それから小さめの引き出しを探ってペンを一つ引っ張り出した。あまり使わないので何度か振っていらない紙に試し書きをしてみてペンがきちんと使えるか確認する。それから娘はどう書き出そうかと頭を悩ませた。

 娘はこれでウォルに自分の気持ちを伝えるつもりだった。出会って一日も経っていないのだからウォルの何を知っているわけでもない。だが今気持ちを伝えなければもう会うことすら出来ないかもしれないのだ。そんなことに耐えられるはずがなかった。あわよくばウォルにいい返事をしてもらって、ウォルがこの街に残るなんて言ってくれればもの望みはないのだが流石にそれが実現出来るなどとは本気で思うわけもない。ただ玉砕覚悟で気持ちだけでも伝えておきたい。それが本心だった。


「私は、貴方が、好き……です。もしよければ付き合ってくださ……い、っと」


 声で内容を辿りながら手紙をまとめ上げていく。二枚ほどでまとめることが出来た内容を何度か見返して折りたたむと封筒へ入れる。丁寧に封をしてからそれをポケットに皺が出来てしまわないように注意しながらポケットへしまう。なるべく音をたてないように椅子からおりて鍵を開ける。別に忍ぶ必要はないのだが恋文を書いていたと親に知られるとなんとなく気まずいような気がした。

 そろそろとドアを開けて台所へ急ぐ。時間的にはもうそろそろ夕食の準備が出来ている頃だろう。台所から漂ってくる良い匂いで夕食が出来ていることを確信する。その夕食を親がお客さんへ運んでしまうよりも早く台所へ辿り着かなくてはいけない。廊下は走らないように、と母にいつも注意されていたが今回はそれを破ってほとんど走るようにして台所へ向かう。台所へ辿り着けば両親はちょうど夕食を運び出そうとしているところだった。


「あ、待って! さっき来たお客さんの夕食私が運ぶ!」

 何事かと首を傾げる親から二人分の夕食を奪うように受け取ってからそれらを落としてしまわないように注意して歩き出す。

「私もたまには手伝いたいの」


 不審がる両親にそう告げてから夕食が冷めてしまわないうちに、と少しだけ足を速めた。浮つく心をなんとか落ち着かせてウォルのいる部屋の前に立つ。大きく深呼吸をして自分に落ち着くように言い聞かせる。いつまでも部屋の前に立っていたのでは不審者になってしまうから大きく息を吸い込んだ後覚悟を決めてドアをノックする。手に持っていた夕食がぐらついて焦ったがなんとかバランスを取り戻すことが出来た。そちらに気を取られたせいで緊張が随分と消え失せてしまい、ドアが開いた途端身体が緊張で強張った。


「あ、さっき案内してくれた……」

「夕食をお持ちしました」


 緊張をウォルに悟られないように平静を装う。わずかに震える手に気付かないふりをして二人分の夕食を乗せた盆をウォルへ手渡した。


「ありがとうございます。おいしそうですね」

「両親が作ってるんです。私は少し手伝いをしただけなんですけど」

「手伝いでもすごいですよ」


 世辞なのか本心なのかは定かではないが屈託ない笑みを浮かべながらそう言うウォルはもう一度娘に礼を言った。それから部屋の中に引っ込もうとするので娘はそれを引きとめる。


「あの、受け取ってもらいたいものがあるんです」

「……俺にですか?」

「はい」


 声が上ずってしまわないように気を付けながらそう答えてポケットに突っ込んでいた手紙を引っ張り出した。少しだけ皺になっていたので両端を持って軽く引っ張ることで皺をのばしてからウォルへ渡す。ウォルは差し出された手紙を受け取れないでいる。夕食を持っているせいで両手が塞がってしまったからだ。


「あ、すみません」

「いや、大丈夫です。あー、えっと、お盆の上に置いてもらっていいですか」

「はい、すみません」


 汚れてしまわないようにお皿とお皿の間に手紙を置く。少し体重をかけてしまったせいでウォルがぐらついたのですぐに身を引いた。


「お返事しますね」


 そうウォルが返答するだけでこれ以上ないくらい心臓が跳ねる。期待に胸が躍るがいつまでもここにいては迷惑だろうと思い慌てて頭を下げる。


「ではごゆっくり」

「ありがとうございます」


 ウォルはきっと笑っているのだろうけどそれを確認する余裕がないほど娘は浮かれていて、目を合わせることもなく来た道を戻って行く。出来るだけ足音を立ててしまわないように、夕食を運び終えたことを報告するために両親の元へと急いだ。浮つく足を必死に地から浮かせてしまわないようにと注意しながら娘は歩いた。




 今日は気持ちよく目覚めることが出来た。鳴り響く目覚まし時計を撫でるようにして止めてから髪を何度か撫でて寝癖を直す。何度撫でても寝癖は一向に落ち着く様子がない。仕方ないので寝癖は諦めてベッドから這い出して服を着替え始める。


「うー……」


 目を刺す太陽から少しでも逃げようと瞬きを繰り返すが瞼の裏が赤くなるばかりで事態は何も変わらない。寝巻を脱ぎ捨てて服に腕を通す。寝起き独特の倦怠感を纏わりつかせながらしばらくの時間をかけてなんとか着替えを済ませる。今日は家業の手伝いをする気はなかったのであまり早く起きてはいなかった。のろのろとした歩みで自室を出ればお客さんがちょうど宿屋から出て行くところだった。

 白と黒がはっきりわかれた二人は娘が昨晩夕食を運んでいったウォルとクジュだった。両親がそれを見送っている。それを見ては娘も出ないわけにはいかないだろう。慌てて玄関まで出ればウォルとクジュの姿はだいぶ小さくなっていた。その姿を見つめてすぐに頭を下げる。頭を上げた時にはちょうどウォルがこちらを振り向いて手を振っていた。

 あの澄んだ声はこの距離では聞くことは出来ない。それが惜しかったが仕方のないことだと思った。ほぼウォルにだけに視線を送りながら娘は小さくひとつ息を吐いた。

 好きだったはずの人が行ってしまった。


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