初めての休日
幾日か経って、昼休みを一緒に過ごすのは、もう当たり前になっていた。
美咲は今日も小さなお弁当箱を机の上に置いて、手際よく包みをほどく。
私はというと、売店で買った菓子パンを袋のまま取り出した。
「それ、菓子パン?」
「うん。コスパ最強」
即答すると、美咲は一瞬だけ呆れた顔をする。
「もう、そういうところだよ」
「褒めてる?」
「褒めてない」
そう言いながら、美咲は自分の弁当に視線を落とす。
「美咲のお弁当、今日もおいしそう」
「ありがとう」
「お母さんが作ってるの?」
美咲は首を振った。
「ううん、私だよ。前の日に作り置きしてるの」
「え、すごい」
「そんなことないよ」
そう言いながらも、少しだけ嬉しそうに箸を取る。
一方で、美咲の視線がまた私の手元に戻った。
「瑞貴はさ」
「ん?」
「その食生活、ちょっと考え直したほうがいいと思う」
「急に真面目」
「真面目だよ。将来つらくなるよ?」
さらっと言われたその言葉に、胸の奥が一瞬だけざわつく。
「……まあ、気をつけます」
軽く笑って返すと、美咲は納得したように頷いた。
「約束ね」
「努力目標で」
「そこは即答で守るって言ってよ」
「厳しいなあ」
冗談めかして流す。
将来、という言葉に深く触れられなかったことに、少しだけ安堵した。
――それでも。
当たり前みたいに私の先のことを考えてくれるのは、悪い気はしなかった。
ぼんやりしていると、美咲が身を乗り出してくる。
「ね、聞いてる?」
「え、あ、ごめん。今ちょっとパンの将来考えてた」
「なにそれ」
くすっと笑ってから、少し間を置いて。
「今度の休み、映画でも行かない?」
「いいよ」
二つ返事をすると、美咲はぱっと表情を明るくした。
「やった」
その反応が分かりやすくて、思わずこちらも笑ってしまう。
✴
休日の駅前。
人の流れに紛れながら、私はスマホで時間を確認した。
まだ十分前。
なのに、美咲はもう改札のそばに立っている。
「早くない?」
「今来たとこだよ。たぶん」
「たぶん?」
「気づいたら着いてた」
「それ早いって言うんだよ」
「えー、そう?」
楽しそうに笑う。
こういうところが、美咲らしい。
映画館までの道を並んで歩く。
「こういう休日、久しぶりかも」
「美咲っていつも忙しそうだもんね」
「うん。家のこととか、色々ね」
「偉いなあ」
「棒読みすぎない?」
「本心です」
映画館に入ると、甘い匂いが広がる。
「ポップコーンどうする?」
「キャラメル一択」
「瑞貴は迷いゼロだね」
「甘いのは裏切らないから」
上映されたのは王道の恋愛映画。
すれ違って、誤解して、最後に想いが通じる。
私はスクリーンを見ながら、
ときどき隣の美咲の横顔に目を向けていた。
感情が動くたび、表情がころころ変わる。
その全部が、自然と目に入る。
……やっぱり、綺麗な人だ。
「面白かったね」
「ね。王道ってやっぱ強い」
「瑞貴、感想あっさりしてない?」
「シンプルイズベスト」
「逃げた」
映画館を出ると、昼の光が眩しい。
「このあとどうする?」
「お腹空いた」
「じゃあ、あそこの店入ろっか」
人通りの多い通り沿いのファストフード店に入ると、店内はにぎやかだった。
「うわ、人多っ」
「昼だしね」
美咲はメニューを見上げて、ぴたりと止まる。
「……選択肢多すぎない?」
「今さら?」
「今さらだよ!」
「瑞貴は?」
「もう決めた」
「はやっ。絶対ちゃんと見てないでしょ」
「見た上で、安定を選びました」
「つまんなーい」
そう言いながら、楽しそうに悩む。
私はチーズバーガー、美咲はアボカドバーガーを手にして席に着く。
「ちゃんと写真どおり」
「それ重要なの?」
「めっちや重要だよ!」
一口食べて、目を大きくする美咲。
「おいしい……!」
「それは良かった」
「重すぎないのがいいね」
少し間を置いて。
「ね、瑞貴」
「なに?」
「それも一口ちょうだい」
「はいはい」
手渡そうとした瞬間、
「違う」
「……え?」
美咲は身を乗り出して、私の目を見る。
「瑞貴」
名前を呼ばれて、動きが止まる。
そのまま、美咲は口を少し開けて待機した。
「……ちょっと待って」
「なに?」
「恥ずかしい」
「そう?」
首をかしげる仕草が、かわいくてずるい。
「……一回だけだからね」
「うん」
ハンバーガーを差し出すと、美咲はぱくっと食べて満足そうに笑った。
「おいしい」
「普通に手渡しでよかったでしょ」
「気分が違う」
「意味わかんない」
少しして、私は美咲のハンバーガーを指差す。
「じゃあ、次は私」
「いいよ」
即答だった。
美咲はハンバーガーを持ち直して、また私を見る。
「……やっぱなし」
「お返し」
「理屈おかしい」
「でも瑞貴が言い出した」
確かにそうだ。
「……一口もらうよ」
「うん」
観念して口を開けると、ちゃんと距離を測って差し出してくる。
「……おいしい」
「でしょ」
満足そうな顔を見て、小さく息を吐いた。
「これ、絶対お返しになってない」
「なってるよ」
「どこが」
「ちゃんとやってくれたから」
意味は分からないけど、否定する気もしなかった。時間はあっという間に過ぎていった。
店を出ると、昼下がりの空気が少しだけひんやりしていた。
人通りは相変わらず多くて、さっきまでの賑やかさがまだ耳に残っている。
「思ったより長居したね」
美咲がスマホを見て言う。
「気づいたら時間溶けてた」
「あるあるだね」
「あるある」
並んで駅へ向かう。
特別なことは何もしていないのに、足取りは軽かった。
「今日、すっごく楽しかった」
「そうだね。私も楽しかった」
「瑞貴と両思いだ」
「なにそれ」
美咲は満足そうに頷いた。
「映画もよかったし、ごはんもおいしかった」
「食べさせ合うのはちょっと恥ずかしかったけどね」
「でも、楽しかったでしょ?」
「まあ、否定はしない」
駅が見えてきて、人の流れがさらに密になる。
改札の前で、自然と足が止まった。
「じゃあ……ここで」
「だね」
一瞬、言葉が途切れる。
別に名残惜しいわけじゃない、はずなのに。
「次、どうする?」
美咲が聞いてきた。
「どうする、って?」
「また遊ぶかどうか」
軽い口調。
深い意味なんて、たぶんない。
「予定合えば」
「じゃあ決まり」
「え、もう?」
「うん。合うってことにしよ」
「強引だなあ」
「瑞貴のそういうところ好きだよ」
「どういうとこ」
「結局、来てくれるところ」
否定できなくて、笑ってしまう。
「……連絡するね」
「うん」
改札を挟んで向かい合う。
「気をつけて帰ってね」
「美咲も」
「ちゃんと夜ごはん食べるんだよ」
「はいはい」
「はいはい禁止!」
「善処します」
「もう」
呆れたように笑って、美咲は手を振った。
「またね、瑞貴」
「うん、また」
改札を通り、少し歩いてから振り返る。
美咲はまだそこにいて、こちらに気づいてもう一度手を振った。
それに応えて、軽く手を上げる。
電車に乗り込んで、空いた席に座る。
発車のアナウンスが流れ、窓の外がゆっくり後ろへ流れていく。
――楽しかった。
次に会う約束をしていないのに、
また一緒にどこかへ行く光景が、当たり前みたいに浮かんでくる。
「……まあ、いっか」
そう呟いて、私は窓の外に目を向けた。




