第5話 首相官邸での協議 2018.4
一週間後、春の東京。昼下がりの陽光が差し込む中、リリィたち一行は菱紅商社の三田部長とともに、首相官邸を訪れていた。今回は、官房長官との重要な打ち合わせが行われる。前回の都知事との会合を経て、最大の課題となっている「福島原発の廃炉」について、リリィたちの“虚無魔法”による提案に政府が返答するために、急遽セッティングされたものだった。
厳重な警備の中、SPや警察官の警戒を受けつつ、一行はスーツ姿の三田部長を先頭に、首相官邸の建物内を進んでいく。
リリィは静かな表情を保ち、マーガレットは猫耳をぴこぴこと動かしながら、柔らかいカーペットの上を嬉しそうに歩いていた。ガルドは初めて見る建築様式に目を輝かせ、ジャックは資料を手に思案顔だ。
「うわ、めちゃくちゃ緊張してきた。大丈夫かな」
マモルはスーツの襟元を何度も直しながら、周囲をきょろきょろと見回していた。
リリィが優しく微笑みかける。
「大丈夫よ、マモルさん。いつもどおりでいいの」
「そ、そうですよね。えへへ」
マモルは照れたように笑った。
やがて一行は広い応接室へと案内される。
「皆さん、本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。私が官房長官の宮下です」
官房長官は穏やかな口調ながら、鋭い眼差しでリリィたちを見つめていた。
「こちらこそ、お会いできて光栄です」
リリィが静かに一礼する。
すでに都知事や商社を通じて、リリィたちが“異世界人”であり、“虚無魔法”で物質を消去できる能力を持つことは伝えられていた。都内の廃ビルを一瞬で更地にした映像は、政府内でも大きな話題となっていた。
重厚な木目のテーブルを挟み、官房長官とそのスタッフが並び、向かいにはリリィたちと三田部長が着席する。マーガレットとガルドは少し下がった位置に控え、会談中の定位置についた。
「早速ですが、本題に入りたい。福島原発の廃炉処理に関して、あなた方から“虚無魔法”による撤去の提案をいただきました。本当に可能なのか、安全性に問題はないのか、確認させてください」
官房長官の問いに、リリィがジャックへ目を向ける。ジャックがうなずき、説明を始めた。
「ジャックと申します。虚無魔法によって、がれきや汚染物質を消し去ることは可能です。先日、都内のビルを消したのと同様に、廃炉予定の建物や放射性物質を“虚無空間”へ転移できます。作業は後方のガルドと複数のゴーレムが担当します」
「ゴーレムとは何ですか?」
官房長官が神妙な顔で尋ねる。
「魔法世界におけるロボットのような存在とお考えください」
ジャックが即座に答える。
「なるほど、ロボットのようなものか。そして、現地の詳細な構造調査やデータも必要になるということですね」
「その通りです。炉内の状況や原子炉建屋の構造を把握したうえで、どの部分をどの順番で消去するかを正確に決めなければなりません。さもないと、放射線漏れのリスクが生じます」
官房長官は頷きつつ問いを重ねる。
「費用や期間については、どのようにお考えですか?」
リリィが前に出て、柔らかく話し出した。
「私たちは“冒険者ギルド”という会社を立ち上げ、依頼を受ける形で活動しています。今回も、その一環としてご依頼をお引き受けします。作業期間は、すべての設備撤去まで約1カ月ほどを想定しています」
ジャックが続けた。
「費用については、これまでにかかった総コストのおよそ倍額でご提案したいと考えています。なぜなら、現在の進捗状況から見て、現行の方法では今後も30年以上かかると予想されるからです。それが、わずか1カ月で処理可能となれば、費用対効果としては極めて高いと思います」
三田部長が資料を取り出し、官房長官の前に差し出した。
官房長官は資料に目を通し、深く頷いた。
「概算で20兆円、法外な金額にも見えますが、もし実現可能であれば、むしろ妥当ですね。
資金面については、臨時国債を発行し、日銀に保管しておく。必要に応じて、皆さんが現金化するという形ではどうでしょうか?」
「はい、それで問題ありません」
リリィが即答する。
「それから、地元への説明や、反対派への対応についてはどう考えていますか?」
三田部長が答える。
「現在、廃炉事業を請け負っている四菱重工に協力を依頼する形にできればと考えています」
「妥当な案ですね。とはいえ、役割分担上、あなた方が“下請け”という扱いになる可能性がありますが、よろしいですか?」
リリィが小声で三田部長に尋ねる。
「“下請け”って何? 支払いがされるなら問題ないけれど」
三田部長が笑って答えた。
「要するに、主契約者ではないということです。でも、実作業は私たちなので、実質的には変わりません」
官房長官は笑顔で言った。
「ぜひ、そう進めてください。できるだけ反対運動が起こる前に作業を完了するのが理想です。完了すれば、世界中が驚くことでしょう」
ジャックが資料を開いて、要点をまとめた。
「では、今後の流れを整理します。
第一段階:福島原発での小規模実証実験。
第二段階:原子炉建屋や使用済み核燃料プールの対応計画の策定。
第三段階:虚無魔法による設備撤去の実施。
このような形で進めましょう」
官房長官は深く頷き、
「承知しました。最終的には首相や各省庁とも協議が必要ですが、基本線としてこの方針で進めてください。皆さんのご活躍に期待しています」
会談は終了ムードとなり、宮下官房長官とリリィが握手を交わして、話し合いは締めくくられた。
廊下を歩きながら、リリィが笑顔で言った。
「さて、次は福島原発での小規模実証実験ね。もしかしたら首相にも会えるかもしれないわ」
ジャックが真面目な表情で応じた。
「菱紅商社も全力で仲介してくれてるし、早ければ数日中に現地入りになるだろう。その時、現場で首相に会えるかもな。地元の反対派やマスコミの対応もありそうだ」
リリィは真っ直ぐ前を見据え、静かにうなずいた。
マモルは深く息を吸い込み、笑みを浮かべながら言った。
「リリィさん、また一歩、前進ですね」
華やかな首相官邸の廊下を、リリィたちは颯爽と歩いていく。ヒーロードラマのワンシーンのようだと、マモルは感じていた。
僕はただのフリーターかもしれない。でも、この人たちの夢の中を、一緒に歩けるなら、それで十分だ。
・・・
首相官邸、執務室。
宮下官房長官が、横山首相に打ち合わせの報告をしていた。
「首相、見た目は普通の人間に見えますが、独特な雰囲気があります。猫耳の者もいました。まるで漫画かコスプレの世界です。魔法もマジックのようなものかと。
今回は都知事や商社との兼ね合いもあり、選挙対策として向こうの提案を受け入れました。とはいえ、どうせ失敗して泣きついてくるでしょう。そのときは補償金でもしっかり取ればいい」
「なるほど、マジックか。異世界人はマジシャンか。くだらんな。都知事もよく騙されたもんだ。君に任せるよ。私は“体調不良”ってことで、現場はパスだな」
「ただ、リリィという女性は、かなりの美人です。回復魔法と称して、相手をリラックスさせるのが得意とか。都知事も“肩こりが治った”と感動していました」
「美人か。リラックスって、マッサージか何かか?」
下品な笑みを浮かべる首相。
「詳細は不明ですが、都知事は“本当に体調が良くなった”と言ってました」
「そうか、体調が良くなるのか。うん、いいね。私も小規模実証実験に参加しようかな。リリィさんと会えるし」
「では、三田部長に“首相の肩こりもお願いするよう”伝えておきます」