第61話 ホワイトハウスの晩餐会 2019.6
ホワイトハウス。アメリカ大統領執務室の扉が、わずかに軋む音を立てて閉まった。
豪奢なカーペットの上、オーク材のデスクに腰かけるアメリカ大統領は、いかにも不機嫌そうに唇を尖らせ、視線を宙に泳がせていた。
マクド・カード大統領
「オーダ・ミース首席補佐官、どうも気に入らない」
補佐官は眉をひそめた。
「何がですか、大統領?」
「リリィとかいう異世界人だよ。私の所に、挨拶に来ないじゃないか」
「はあ、それは、特にご用事がなかったからでは」
「違うだろ!アメリカに来たら、大統領に挨拶するのが常識だ。日本の首相のところには行ったらしいじゃないか。『病気治してもらった』なんて、自慢されたんだぞ」
「・・なるほど」
「私の病気も治すべきだろ、アメリカ大統領なんだから」
「大統領、どこかご体調が悪いのですか?」
「いや、どこも悪くない。ただ、ちょっと肥満気味なだけで。健康そのものだよ!」
「それは良いことです」
「良くないんだよ!アメリカ大統領に敬意を払うべきだろ!」
「・・はあ」
「それに、あいつ、国連のアンサ事務総長には何度も訪問して、資金も山ほど寄付してるって聞いたぞ。国家予算超えそうなんだって?」
「ええ、正確には超えております」
「なんだそれ。金は力だ。国連の方がアメリカより金を持ってるなら、世界の力関係が変わってしまうじゃないか。まるで、事務総長が私より偉いみたいだ!」
「まあ、国連の構造的には、そういうものではございませんが……」
「じゃあ、国際警察だよ。あれ、武力じゃないか。アメリカに他の武力組織があるなんて、どうかしてるぞ」
「ですが、大統領はその設立を承認されたのでは?」
「しぶしぶだよ!ロシアが反対したから、我々は賛成するしかなかった。あの場は仕方なかったんだ!」
「なるほど、苦渋のご決断だったのですね」
「しかも、その国際警察官、アメリカのメディアでも好評だ。最初は失敗するものだと思ってたのに!」
「“良い魂の者しか雇わない”という選考方針らしいですね」
「それはズルいだろ!世の中は色んな魂で構成されてるんだ。善人ばかり雇って、正義の塊みたいな顔しやがって……!こっちは国民全体を代表してるんだぞ」
「ええ、そうですね」
「お前、国連の味方なのか?それとも私の敵か?」
「めっそうもありません!」
「ふん。じゃあ、リリィを晩餐会にでも呼んでやるか。ああ、そうしよう。理由は?」
「“大統領が彼女に会いたいから”で十分では」
「それ、うちのワイフが怒るかもしれないなぁ・・」
「ですが、ファーストレディーとして、異世界人と友好関係を築くのは大切な役割かと」
「ダメだね君。女性は理屈じゃないんだよ。リリィを晩餐会に招いたら、必ず不機嫌になる。私にはわかる」
「・・なるほど。ですが、大統領、お時間です。そろそろヘリにお乗りください」
「ん?今日はどこへ行くんだっけ?」
「ゴルフです。友人のアーロン様とご一緒に」
「アーロン!あいつ、やるよね。AIロボットが売れてるって聞いたぞ」
「ええ。リリィさんの会社と提携して、ゴーレム化で高機能化されたロボットが、世界的に大ヒット中です」
「なんだってぇ!?またリリィか!アーロンのやつ、しれっとリリィと友達になってるのか!?」
椅子から跳ねるように立ち上がった大統領は、頭を抱えて歩き回った。
「今からアーロンに自慢されるのがわかる。くそっ、みんな、うまくやりやがって!」
「では、リリィさんを正式に晩餐会にお招きしますか?」
「しかたない。呼べ。ワイフにはプレゼントでも送って、機嫌をとっておく」
・・・
首席補佐官が電話を取り、リリィへ打診を行った。
間もなく、笑顔で受話器を置くと、報告する。
「大統領、リリィ様より、“喜んで参加させていただきます”とのことです」
大統領は胸を張り、高らかに言った。
「当然だろ。私はアメリカ大統領だぞ」
首席補佐官は小さくため息をついた。その胃には、じわじわと鋭い痛みが走りはじめていた。
・・・・・
翌月、晩餐会の夜 2019.7
晩夏の夜、ホワイトハウスはまばゆい光に包まれていた。
南庭から正面玄関に至るまで、赤と金の装飾が施され、シャンデリアの光が大理石の床に反射して揺らめいていた。敷地内では、警備チームと国際警察官が共同で警戒に当たり、厳粛かつ華やかな空気が漂っていた。
招待状を手に集ったのは、各国の元首、財界の重鎮、そして軍や科学界のリーダーたち。だが、誰もが心待ちにしていたのは、たった一人の来賓だった。
そのとき、入口が静かに開いた。
一瞬の沈黙。次いで、会場がどよめいた。
異世界の勇者、リリィが現れた。
柔らかく波打つ黒髪に、深紅のドレス。控えめでありながら気品と力を感じさせるその姿に、人々は言葉を失った。まるで、絵画から抜け出したようなその姿は、この現実に非現実の輝きをもたらしていた。
リリィが優雅に歩を進めるたび、視線が彼女を追う。背筋を伸ばし、軽く会釈を交わすその動作さえも、まるで舞踏の一部のようだった。
・・・・・
その頃、大統領執務室では。
鏡の前でネクタイをいじりながら、大統領はいつものように文句をこぼしていた。
「なぁ、首席補佐官、正直なところ、今日の晩餐会は緊張するんだよ。異世界人と会うなんて、歴史に残るぞ?」
補佐官は疲れた表情で眼鏡を押し上げた。
「大統領。貴方は合衆国の代表です。堂々と構えてください」
「それはわかってるさ。でも、あのリリィさん、日本の首相がすっかり虜になったって聞いたぞ。私も虜になったらどうしよう」
「・・・虜になる、という表現は控えましょう。彼女は極めて理性的な方です。ですが我が国の国益を念頭に、距離感を保つことも重要かと」
「うーん。晩餐中の会話は、君がうまくフォローしてくれよ?」
「・・それは、状況次第で」
・・・・・
宴の始まりを告げる鐘が鳴る。
大統領がホールに姿を現し、賓客に笑顔を振りまいていたところ、彼の視線が自然と一人の人物に引き寄せられた。
「リリィさん、ようこそ、ホワイトハウスへ!」
リリィは深く礼をした。
「お招きいただき、ありがとうございます。こうして貴国の地を踏むことができ、感謝しております」
「こちらこそだよ。ぜひ、お隣に」
大統領は紳士的に手を差し出し、リリィを席へと導いた。
着席すると、すぐに料理が運ばれ、晩餐が始まった。
テーブルの間を笑顔と笑いが飛び交う中、大統領がリリィに語りかけた。
「リリィさん、国際警察の活躍について聞きましたよ。世界の安全保障に新たな秩序をもたらした、まさに偉業ですな」
「ありがとうございます。私はただ、平和を求める多くの人々の意思に、少し手を添えただけです」
その謙虚な言葉に、周囲からも感嘆の声が上がる。
だがその横で、大統領がこっそり補佐官に囁いた。
「なぁ、やっぱりこの機会に、肥満も治してもらえないかな?」
補佐官はうんざりしたように笑った。
「大統領、それは医療の場面でご相談を」
一方、会場の空気はリリィの言葉に引き込まれていた。
彼女が語る未来のビジョン、境界のない支え合いの世界、技術と倫理が調和する文明、力ではなく信頼によって成り立つ国際秩序。その一言一言が、人々の胸に染み入っていた。
そのとき、大統領夫人がそっと夫の肘をつついた。
「あなた、リリィさんが美しいからって、失礼なことは言わないでね」
「心得てるよ、心得てるとも・・・」汗を拭きながら、笑顔を作った大統領の声には、どこか焦りが滲んでいた。
・・・・・
そして、晩餐の終盤。
リリィは壇上に立ち、深く頭を下げて語った。
「この場にお招きくださったこと、心より感謝いたします。皆様と共に、新たな時代を歩むことができると信じています」
嵐のような拍手が、会場を包んだ。
・・・・・
その後、大統領、補佐官、夫人だけが残された静かなサロンにて。
リリィは三人の前に立ち、優しく手を差し出した。
「今夜は、おもてなしありがとうございました。せっかくですから、小さなお礼を」
柔らかな光が、彼女の手から放たれた瞬間、補佐官の胃から、長年の痛みがすっと消えた。
「・・あれ?・・胃が・・痛くない?軽くなった?」補佐官は目を見開いた。
「ええ、少し気になっていたので」
「リリィさん、ありがとう、本当に、ありがとう!」涙ぐみながら、補佐官は小声で感謝を繰り返した。
一方、大統領が期待に満ちた目で尋ねた。
「それで、私の肥満は?」
リリィは淡々と微笑んだ。
「肥満は病気ではありませんので、治療の対象ではありません」
その瞬間、大統領の肩が少しだけ落ちた。
「そ、そうか。やっぱりか・・あぅ」
ファーストレディーはくすくすと笑い、補佐官は最高の晩餐を初めて味わい、大統領は静かに深呼吸した。
そして、星空の下。ホワイトハウスには、おだやかな風が、吹いていた。




