閑話 大磯イワオの憂鬱 その1
物語がマモルとリリイが出会う前の頃、
春の陽光が差し込む日曜日の午後、イワオはリビングのソファで目を閉じていた。 コーヒーの湯気が天井に揺れ、遠くからは娘ヒナコの弾む笑い声が聞こえる。 庭では、妻のサクラがヒナコと何かをしているようだ。
「パパ、見て-!」窓ガラス越しにヒナコが小さな花束を振り回している。
「ヒナコ、ありがとうな。それ、パパにくれるのか?」
「うん!ママと一緒に作ったの!」ヒナコの無邪気な笑顔が可愛い。
ちょっと、その微笑ましいひとときも、テーブルの上に置かれた書類のPKOの文字がイワオの目に入ると重苦しいものに変わった。
イワオは子供のとき、親戚のおじさんの自衛隊の制服姿をみて、自衛隊がカッコいいと思った。親戚のおじさんの背筋の通った姿勢や優しい態度に自衛隊にあこがれた。高校まで、そんな想いを持ち続け、防衛大学に進んだ。順調に進み、現在は自衛隊員である。子供の時の夢をかなえたということだ。
その後、親戚のおじさんが病気で亡くなり、大学在学中に妻と出会い、結婚して家族ができ、娘の成長を目の当たりにするうちに、自分の選択に疑問を持つようになった。PKOがよく理解できない。日本を守るべき自衛隊が、なぜ遠い異国で命を懸けるのか。 そこに、家族を日本に残して、外国で戦うリスクを背負う意味があるのか。
妻のサクラは何も言わず、ただ笑顔でイワオを支えてくれている。 しかし、その笑顔の裏にある不安を、イワオは痛いほど感じていた。
「俺は、家族を不安にさせるべきじゃない」
公園での再会
その日の午後、気分転換を求めて近くの公園に向かった。 春の風が桜の花びらを運び、人々の穏やかな笑い声が響く中、イワオは一人でベンチに座っていた。どこからか軽快なギターの音が聞こえてきた。振り返ると、木陰でギターを弾いている男がいる。なんだか見覚えがある気がする。
「、、マモル?」
声をかけると、ギターを弾いていた男が顔を上げた。そうだ、マモルだ、中学時代の友達だ。9年ぶりの再会だった。たしか、カナダの方に家族で移住したと聞いた。
「久しぶりだな。何をしてるんだ、こんなところで?」
「やあ、イワオか。久しぶり、ギター弾いてるだけだよ。気分転換だよ。」
「今、なんの仕事をしているんだ?」
「会社行ってたけど、すぐ辞めたんだ。ノルマがキツくてさ、ブラックな会社だったんだ。今、フリーターでバイトしてる。」
「え、辞めた?そうなのか。大変だな。」
イワオの眉がピクリと動いた。自分の責務と重圧の中で生きていることと、正反対の肩の力が抜けたようなマモルの様子に、言いようのない感情が湧き出てくる。
「イワオはどうなんだ?」マモルが軽い調子で聞く。
「俺は自衛隊だ。」
「自衛隊、子供のころに言っていたな。夢をかなえたのか。凄いな」
「まあな、今はPKOで海外派遣の話が進んでいる」
「PKOか、、大変そうだな」
「正直、行きたくないと思ってる。家族を残して、危険な外国に行って、命をかけるのは違う気がするんだ。」
イワオは胸をさらけ出すように言った。 自分でも驚くほど、マモルに語りかける言葉が止まらなかった。 マモルは黙ってギターを膝に置き、少し考え込むような表情を見せた。
「俺たちは日本を守るのが役目だろう? それなのに、なぜ外国に行かなければいけないのか?」イワオは悩みをさらけ出す。
「そうだな。一番大事なのは、家族だな。仕事も義務も大事だけど、家族が一番だな」
イワオは、マモルに悩みを打ち明けて、少し楽になった気がした。
夕暮れが近づき、イワオは、帰り道、頭の中でマモルの言葉が、なんども繰り返された。
「家族が、一番だな。確かにそうだ」
家に戻って、ヒナコが玄関先で遊んでいた。笑顔で抱きついてきた。
その小さな声に、イワオは微笑みを返した。妻と娘を守ること。それが自分の幸せなら、今の生活を続けよう。PKOは、不参加としよう。出世の機会だが、他の者に譲ろう。
・・・・・・
しばらくして、春一番が吹き抜ける休日の午後。イワオは、妻サクラと娘ヒナコと一緒にショッピングモールを訪れていた。ヒナコがサクラと一緒に子ども服売り場で新しいサンダルを選ぶ間、イワオは少し離れたベンチで二人を待っていた。
人々が行く交うにぎやかなフロア。その中で、イワオの目に妙な光景がうつる。猫耳をつけた少女と、両手に大量の紙袋を持った男、それは、マモルだった。。
「、、マモル?」
イワオは思わず立ち上がって、声をかけた。男が振り返ると、やはり、それは、先日も会ったマモルだった。
「おお、イワオじゃん! また会ったな!」 マモルは楽天的な笑顔で、応えた。
「おい、こんなところでどうした?」 イワオは目を細めて問う。
「アルバイト中だよ。この子の買い物に付いていってるんだ」 マモルは隣にいる猫耳少女を示した。
「猫耳のコスプレか? 変なバイトだな」
「まあ、簡単な仕事さ。荷物持ちみたいなもんだけど、これで1日3万円だぜ」
「3万円?」イワオは耳を疑った。
「いやいや、ちゃんとした仕事だよ。荷物運びが仕事じゃないって」
マモルは屈託のない笑顔を見せたが、イワオは納得できなかった。
「イワオは、家族サービスか?」
「そうだ。妻と娘の買い物に付き合ってるんだ。」
「じゃ、そろそろ行かなきゃ。この子も次の店に行きたいみたいだからさ」とマモルがいう。猫耳少女はスマホをいじっている。
「おい、本当に大丈夫なのか? 変なの巻き込まれてるんじゃないのか?」
「大丈夫だって。僕にはこれくらいの気楽さがちょうどいいんだよ。それでは、イワオ!」
「なんか、あったら電話をくれよ」とイワオがいう。
マモルは紙袋を抱えたままで猫耳少女の後ろを歩き始めた。 少女は振り返ることもなく、淡々と前を歩いている。 その後ろからついていってる。
イワオは二人の後ろ姿をじっと見つめていた。 マモルがいつものように楽天的な態度を崩さず、なぜか、幸せそうだ。あいつは、俺に理解できない世界にいるようた。
「訳がわからないやつだ」
呟きながら、イワオはベンチに戻り、サクラとヒナコと一緒に、帰宅した。
「ババ、これ見て、可愛い?」ヒナコが車の中で新しいサンダルを履きながら笑顔を見せた。
イワオは、今が人生で一番幸せなときなのかもしれないと思った。
それでも、断ったPKOの話が、心の中でくすぶっていた。
「俺は、なにを悩んでいるんだ」
車窓から流れる景色をぼんやりと眺めながら、イワオは自分の選択を再び問い始めていた。「誰が見ても俺は勝組だ、マモルは負け組だ。なのに、俺は何を悩んでいるんだ。イライラするのはなぜだ。」