王太子殿下、身の程を知るのはあなた方です
「アイラ、勘違いしないで欲しいんだが僕は君のことを小動物程度にしか思っていないよ?」
学校の中庭にあるカフェテラス。きょとん、と擬音が聞こえてきそうな表情でティアロ王太子は私に告げた。
途端クスクスと羽虫のような笑い声が聞こえる。
見なくてもわかる、ティアロ王太子の婚約者のパール公爵令嬢とその囲いたちだ。
本人たちはクスクス笑いを上品だと思ってるんだろうけど笑い声を立てている時点でしっかり下品だと思う。
私の肩に乗ってる白い小鳥がピィと鳴いた。
「だって君は聖女候補とは言え元平民で、僕は王太子だ。恋愛なんて出来る筈がない」
悪意無くこちらを見下す王太子に愕然とした。だって有り得ない。
なんで私がお前ごときに惚れて振られた流れになってるんだ?
そう聖女候補であり貴族学校に入学してからほぼ毎日この馬鹿王太子に連れ回されてる私、アイラは思った。
私はただ、私なんて構わず婚約者のパール様と遊んでくださいと丁重にお願いしただけなのに……!
勘違い男を前にこれまでの地獄の日々が浮かんでは消えていく。
◆◆◆
「アイラ、今日の放課後も下町を案内してくれ」
貴族学校の渡り廊下、ティアロ王太子が私に声をかける。
途端に周囲の生徒達の空気が嫌な感じに変化するのを私は察した。
軽蔑、呆れ、好奇心、どれも向けられて嬉しくないものだ。
でも気持ちはわかる。
将来の国王候補が聖女見習いとはいえ平民の女生徒に馴れ馴れしく声掛けしているのだから。
しかも内容が放課後遊びに行こうだ。
社会勉強の一環だと王太子本人は言ってるが実際は買い食いなどして遊び歩いてるだけ。
それで民の暮らしをわかったつもりなのが苛立たしくもある。
言い忘れた、王太子に名前を呼ばれたのは私。
去年聖女候補に認定されたアイラ・サティー。男爵家の養子になって一年のバリバリメンタルは平民の女子である。
平民でも貧しい生まれだった私は貴族教育以前に十五歳だがまともな読み書きすら出来なかった。
だから本来なら家庭教師をつけて貰って数年間学んで貴族に交ざっても何とかそつなく振舞えるようになってから入学する筈だった。
確かに周囲と数歳程年齢差は出来るが、平民が貴族に混ざって生徒をやるのがそもそも違和感の塊なのだ。誤差だ。
しかし今私に声をかけた王太子が「未来の聖女と一緒に学びたい」とか国王陛下にほざいたからこうなっている。
上から命じられた男爵の指示と教会側の「これも修行です」の一言によって虐待一歩手前の猛勉強をさせられ私は王太子殿下のリクエスト通り現役入学を果たした。
男爵も申し訳ないと思ったのか勉強以外の衣食住の部分については甘やかしてくれたのでギリ正気を保てた。で無ければ脱走か自殺していた。
国王命令だから字書けなくても入学させろよと思うが、それだと他の生徒との公平性を欠くから駄目らしい。何を言っているのかわからない。
とりあえずこんな状況での入学だから私に遊んでいる暇はない。聖女修行に礼法の授業に学業に時間など幾らあっても足りないのだ。
というか学校生活自体が修行の一環だ。
なのにこうやって王太子が笑顔で時間泥棒をしてくるのである。
「あの、王太子殿下、偶には婚約者の方と遊ばれては……」
「アイラ、私の事はティアロ様と呼ぶように言っただろう。私たちは同じ生徒という立場なのだから」
黙れよ。お前みたいに身分笠に好き勝手してる奴が平等気取るのが一番腹立つわ。
吐き出しそうになった本音を笑顔で高速吸引し私はストレスによる胃の痛みに耐えた。これも修行。そう思って耐える。
大体名前呼びぐらいで平等ぶってるのが愚かしい。
王太子は私を呼び捨てにするけど、こっちは様付で呼ばなきゃ駄目な時点でバランスはガッタガタである。
「それにパールは王太子妃修行で遊んでいる暇など無いよ」
なら私はそれ以上に貴様と遊ぶ暇など無いのだが?
聖女修行に礼儀作法の授業に座学もやらなきゃいけないのだが?数学どころか算数のレベルなのだが?
なのに入学して以降勝手に生徒会に入れられて王太子が暇潰しに構ってきて、放課後も下町ガイドさせられているのだが?
休みの日も暇なら呼び出されて学ぶ時間も休む時間も無いのだが?
おかげで礼儀作法が全然身につかず口の悪い貴族女から猿呼ばわりされてるのだが?
というかパール様とやらが王太子妃修行で忙しいのならお前も王太子修行しろやボケ。
そもそもパール様が忙しいのは王太子妃修行より取り巻き使った私への嫌がらせです。
そんなこんなを飲み下した私は曖昧な笑顔を浮かべるしかない。
どうすれば相手の気分を害さず王太子の誘いを断れるかもわからない。それを学ぶ時間すら与えられなかったのだ。
「ほら、アイラの好きな物何でも買ってあげるよ、行こう」
優し気な言葉にはこれ以上我儘を言うなという圧が確かにあった。でもそれを感じ取れるのは私ぐらいだろう。
野次馬をしている他の生徒達は冷たい目で私を見ている。王太子にそんな視線を向けるのは不敬だからだろう。
だから貴族のおこちゃまたちは元平民風情の私が全部悪いと慈悲の心で教育してくださった。
身の程を知らない愚か者と面と向かって言われたことは両手の指以上だ。
それに対し私は「なら貴族のあなた方が私と距離を置くようにティアロ様に仰ってください」と頭を下げてきた。
私が何を言おうが聞く耳持たず連れ回すのはあの馬鹿王太子なのだから。でも誰もそれを実行する者はいなかった。
そして私が王太子の寵愛を盾に調子に乗ってるという噂が加速した。ついでに今日階段から突き落とされかけた。
パール公爵令嬢の腰ぎんちゃくをしている金髪縦ロールの娘だ。でもそいつをどうにかするだけでは駄目だと私は判断する。
実際危害を加えようとした者は現状一人でも、潜在的な願望を持っているものはその何倍もいるだろうから。
理由は簡単で私怨ではなく歪んだ正義感が原動だからだ。
婚約者のいる王太子を誑かす平民女狐を退治するつもりで私を排除しようとしているのだ。
だから私は仕方なく大勢の前で「ティアロ様、もう私などに構うのはお止め下さい、婚約者様と仲良くしてください」とお願いした。
この状況なら王太子もわかったとしか言えないだろうし、万が一嫌だと言ったら完全に王太子側の事情で私が連れ回されてると証明できる。
しかしその返答が勘違いするな、お前なんて人間扱いしてないだ。頭が痛くなってきた。
そんな過去の出来事を思い出していると、王太子が頭のねじが外れたことを言い出した。
◆◆◆
「アイラと遊んでいたのは下々の生活を知って学びたいからだよ。未来の王としての責務だな」
嘘吐け。ただ俗な遊びをしたかっただけだろう。私はそう思いながら口を開く。
「では私に可愛いとことあるごとに仰ったのは?」
「犬猫にも可愛いとは言うだろう?」
にこにこしながら質問に答えるティアロ王太子。その背後で私は全部わかって放置してましたけどと言いたげな婚約者の令嬢。
二人ともアホでお似合いだなと冷めきった心で私は思う。
しかも王太子はアホな上に卑怯だ。今のは言い訳。本当は私を使って婚約者に嫉妬させたかったのだ。
王太子だから、公爵令嬢だから。僕たち私たちは恋愛なんて軽い関係じゃないんです。お互いに信頼して自立している関係なのです。
そうアピールしつつ実際は五歳児レベルの恋愛をしている、大勢の人間を巻き込んで。ああ私は人間じゃなく犬猫か。
なら顔とか髪とかにやたらベタベタ触って来たのも犬猫を撫でる感覚だったのだろうか。
人間が犬猫に見えるとか頭おかしい。身分差がどうという話ではない。
「つまり王太子殿下は聖女候補を犬猫の類と思われていると?」
いや可愛いけどね犬も猫も。王太子や公爵令嬢や取り巻き達も全員犬猫だったらどれだけマシだったか。
「例え話だよ、でも君と僕がそういう関係になるのは人間と犬猫がそうなるのと同じぐらい有り得ないと説明したくて」
「まあ、ティアロ様ったら……そんな当たり前のこと聖女候補は御存知の筈ですわ」
王太子は安定して頭空っぽだけれど学校内で完璧な令嬢とか言われてるパール様もお察しである。
まあ生徒として王太子の次に身分が高いと他の生徒達は認識しているのだから持ち上げるのは当たり前だ。
持ち上げられていることに気付いて無いのが愚かなだけで。
「だから君なんかが僕たちの婚約関係に口を挟む権利は無いんだよ?」
「なるほど……根本的な勘違いをしていらっしゃいますね」
王太子の言葉に私はうんざりと溜息を吐いた。
どうやら泣き出したり顔を赤くして怒り出すと思っていたのか公爵令嬢と取り巻きたちは口を半開きにしている。淑女修行が足りない。
まず、平民と貴族や王族で大きな格差があることなんてこの国では誰だって知ってる。
ならその平民が何故王族や公爵家の人間が通う学校に強制入学させられたのか。
つまり私の場違い感は血筋とか凌駕するだけの価値を持っているということの証明でしかないのだ。嬉しくもなんともないけど。
しかし今度は周囲の令嬢や子息が私を笑ってくる。
「嫌だわ、平民の聖女風情が本当に恥ずかしい」
「王太子殿下が平民如きに恋心など抱く筈が無いのに」
「パール様と王太子殿下が不仲だと勘違いして調子に乗っていたのかしら」
「ピィ」
うん、ライン越えだ。それに勘違いしてたのは一貫してあなた方でしょうよ。
じゃなきゃ王太子が平民に惚れてると思い込んで、平民上がりの癖に身の程知らずがと私を責め立てることなんてする筈無い。
腰ぎんちゃくの暴走を止めもしなかったパール嬢だってそう。
私がそれを容認したのは『人間とは愚かな生き物です、特に貴族』と理解し慣れ受容するのが聖女修行の一環だったからだ。
聖女は神と人間の境界に立つ者。人間の弱さ愚かさを哀れみ許すものとして忍耐と慈愛を身に付けなさい。
貴族学校の三年間は修行でもあるのです。
現聖女様のお言葉を思い浮かべる。そうやって耐えてきた。でも無理。
だって私、正式に聖女になってもこいつらに加護与えたくないしな。今現在で与えたくない。
そんなことを考えていると小鳥が私の頬をくちばしで突いた。
この小鳥は聖女候補に与えられる聖霊鳥。聖女候補の監視と護衛と、そして諜報と連絡の役割を持つ。
これは「もういいよ」というサインだ。出しているのは教会側。
私は満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「じゃあ私は人間じゃないみたいなので退学させて頂きますね、あと貴様らの加護も打ち切らせて頂きますね」
「は?」
「私の聖女としての能力って病や怪我の治癒と範囲内の生物に病を寄せ付けないことだったのですけど、皆さまの頭と性根の悪さって病気じゃなかったみたいですし」
「えっ?」
王太子と婚約者の公爵令嬢が交代で戸惑いの声を上げる。
やっぱり親にきちんと聖女の能力と立場について教えて貰えなかったんだな。
私は少しだけ二人を哀れんだ。
私に治癒能力があること自体は自己紹介の時に話していた、でも大したことないだろうと思っていたのだろう。
大事に育てて貰ってる王太子や公爵令嬢なら怪我をしたり病気になること自体少ないだろうから治癒能力の意義自体を軽視していたのかもしれない。
でもどれだけ丁寧で贅沢な暮らしをしていても年齢には勝てない。
だから国王陛下は私の上位互換能力を持っている現聖女様に頭を下げて定期的に腰痛や肩こりを癒して貰ってるし王妃様はもっと治療回数が多い。毎週教会に来ている。
高位貴族たちだってそう。もう教会というか病院だ。
でもそういうの目の前の生徒達は多分親から知らされてないんだろうな。
私は傲慢さは一人前なのに無知で愚かな貴族の子供たちを眺める。
理由は少しだけ想像出来る。
多分国王も貴族たちも教会や聖女を心から敬っていない。
頭を下げてお願いして治療して貰ってるって言いたく無いのかもしれない。
だから聖女を候補とはいえ軽んじてはいけない存在だと子供に熱心に教えないのだ。
でも王族だから貴族だから聖女なんて簡単に従わせられると子弟たちが誤解するのは不幸になると思うけれど。
現聖女様は身分で優先順位を変えたりしない。聖女を権力で無理やり従わせようとすれば治癒能力自体が消える。過去に実際そういうことが起きた。
でもその代わり高位貴族たちは聖女候補が現れて年頃になったなら貴族学校に通うよう嘆願する。それで親として間接的に子供たちの健康を守ってるつもりなのだ。
教会側も「聖女候補も学校生活で徐々に貴族に慣れることでその俗物さと我儘さに耐性もつくでしょう、いきなりあいつらとの接触はきついし」と受け入れてたけど、今回は限度超過らしい。
私としては別に敬わなくていいし、嫌がらせしない程度になら嫌ってくれても良かった。
私の時間の邪魔さえしなければ。
それはこの距離無し王太子さえいなければ難しくなく叶う願いだったのに。
ティアロ王太子は甘ったれた平等主義だと思っていたら、拗らせた選民思想だったから驚きだ。
まさか人間扱いされてないとまでは思わなかった。
とりあえず私は退学して多分教会施設で暮らすことになる。
この学校は聖女の教育に相応しくないと教会側が判断したからだ。最初からそうして欲しかった。
「皆さまは私を珍獣や害獣扱いしてましたけど、寧ろ私の方が動物の檻に無理やり入れられた人間の気分でしたよ」
「なんだと!」
「なんですって!」
「それではさようなら、皆さまお体には気をつけて……私は絶対にあなた方を癒しませんので」
勘違いし続けていた王太子たちへ別れの言葉を投げる。同時に聖鳥が光り、小鳥から私一人軽く運べる巨大な姿になる。
私はその背に乗って空へと飛び出していった。
◆◆◆
私が退学してから一か月後、王国で流行り病が猛威を振るった。
大抵は数日安静にすれば快癒したが、何故か私と同じ年頃の貴族令息や令嬢だけ治りが遅い者が続出したらしい。
つまり貴族学校の生徒達だけ流行り病に対する耐性が弱すぎたのだ。
半数近くが一か月程ベッドから離れられなくなったらしい。
まるで最近まで数年単位で無病息災だったことの反動のように。
親を通して現聖女への治癒を求める者が続出したが教会側は「神罰」に逆らうことは出来ないと断った。強い。
教会は私に対してもスパルタだったが、貴族たちにも容赦しないらしい。
なんと流行り病の一番の重症者は私に纏わりつきまくっていたティアロ王太子だった。
教会側が私への謝罪を条件に治癒すると言ったが彼はそれを断り続けた。
最後は大人たちが無理やりペンを持たせて反省文を書かせたそうだ。
でも治療が遅すぎて生殖機能は失ったとの話だった。
ある意味一貫してるなと思ったけど、王太子の座から外された。
国王陛下は病に罹ってないらしいが、一気に髪が白くなり老け込んだらしい。
そこまで息子を溺愛していたのによく 廃太子にしたなと意外に思う。
でも破滅するレベルで選民思想の塊なティアロが王になるよりはそれで良かった筈だ。
隠し切れないようじゃ無理か。選民思想はね、上に立つ者ほどきっちり隠しておかないとって感じだ。
私の前に立つ現聖女様とか神の次に偉いのが自分だと思ってるだろうけど外部に一切悟らせていないし。
「軽率な振る舞いをすべきでなかったのは、位の低い者でなく高い者なのです」
「それはそうでしょうね、もし私がただの平民の少女なら彼の振る舞いに勘違いしていたでしょう」
現聖女様に呼び出された礼拝堂で私は答える。
見せかけだけの平等と特別扱い。
生徒たちは誰も王太子に逆らえない。
そんな王太子から傍に居るよう命じられ、名前を呼ぶように言われ、休みの日さえも呼び出される。
これで勘違いしたとしても、悪いのは平民側なのだろうか?
勘違いした方が悪いに決まっているだろう?
もう聞くことのないだろう上辺だけ優しい声の幻聴が聞こえた。
彼には不快な思いをさせられ続けたけれど、学びにはなった。
影響力高い人間が軽はずみに誰かを特別扱いしてはいけない。
その者の人生を狂わせてしまうから。
「私たち教会はそれを学ばせる為に聖女候補の貴族学校への通学を認めてきました」
「突然聖女様と崇められて増長しないように、貴族たちの中身を学ぶために……でしたっけ」
「そうです、ただ今回はあまりにも……王族と上位貴族の子供たちの質が低すぎましたね。前回似たようなことが起きたのは二百年前だったかしら」
「二百年前にもこんな馬鹿らしいことが?」
「ええ、こういった過ちは一定の周期で繰り返されています。向こうも今回の学びできっと暫くは懲りるでしょう」
「懲りるって……」
「すべては神の采配です。聖女を軽んじるというのは神を軽んじることなのですから……それに半分は残ったのだからきっと大丈夫ですよ」
現聖女様は人間味を感じない清らかな笑みを浮かべた。
大変だろうが頑張ってくれと申し訳なさそうに言っていた男爵家の面々が懐かしくなった。
聖女候補になってから関わった人たちの中で一番共感出来たのは彼らだった。
助けてはくれなかったけれど。でも彼らが居るから私はまだ貴族全員を見捨てないでいられる。
弱いことが罪なわけでは無いので。
色々駄目になったのは元王太子だけではない。
ティアロの婚約者のパール公爵令嬢やその取り巻きも流行り病にかかっていた。
症状は高熱と酷い疱瘡と男性の場合は高熱が続いた末の生殖機能の喪失。
彼女たちは疱瘡が出た途端謝罪文を提出してきたが、疱瘡が治療で消えることは無かった。
本当は消すことが出来たのではないかと私は現聖女様に質問しかけて止めた。
でも一言「やっぱり聖女候補を貴族学校に通わせるのは止めた方が良いと思います」とは言った。
これが今の私が出来る最大の善行だ。