2.そう、もう後戻りはできない。
「聖女様、何かご不便はないでしょうか?何なりとお申し付けくださいね」
「いいえ。良くしてくださっていますもの。不都合などありませんわ」
目の前でキラキラとした笑顔を振りまくアレクシス殿下は──馬車で二人きりになった瞬間、
「おい、俺の視界に入んじゃねーよ。端っこ行け」
ガラリと態度が変わった。公では柔らかな言動のキラキラ王子は、地で性格が悪い。なるべく視界に入らないように馬車の端っこで私はこっそりため息を吐いた。
急に決まった聖女認定の考査のため、私達は瘴気の蔓延する沼地へと向かっていた。ゴンちゃんはリドディア様と一緒に別の馬車で向かっている。
さすが王家の馬車。揺れも少なく、乗り心地もいい。だけれども、馬車に乗り慣れていない私は、ほんの数刻で馬車酔いを起こしてしまった。最悪である。
無言で窓の外の景色を見つめる私に、アレクシス殿下はポイっと何かを放り投げた。慌てて受け取ると、小瓶に何か薬のような液体が入っていた。
「え……」
「……酔い止めだ。少しはマシになる。ったく、そんな真っ青な顔で表に出られたら本当に聖女か疑われるだろ。早く飲めっ!」
「あ、ありがとうございます……」
意外と気が利くの……?この王子様は。と不敬なことを思いながら、有難く酔い止めを口に入れた。
スーッと吐き気がなくなり、気分も良くなっていく。
──アレクシス殿下と二人っきりなんて……最悪だと思っていたけど、そこまで……最悪じゃなかった……かな。
ウトウトしながらそんなことを考えていたら、意識が薄れていく。
「お前は大物だな。この国の第二王子と一緒の馬車に乗って目的地まで熟睡するなんて」
「ももも、申し訳ございませんっ……」
あの後、酔い止めが利き、心地の良い馬車の揺れに眠気を誘われ、瘴気漂う目的地まで熟睡してしまったようだ。馬車が止まり、よりによってアレクシス殿下に起こしてもらうといった失態を犯した私は、誠心誠意謝っていた。
「アホ面見ながらの移動は最悪だった」
「ななななんとお詫びすればよいか……」
「絶対成功させろ。この聖女認定考査。わかったな」
「は、はい!」
なんとかお許しを貰い、馬車の外に出た。空気がどんよりと重く、黒い霧が辺り一面に充満していた。これが瘴気……。土地を腐らせ、蝕む。聖女以外には浄化できないもの。
知識はあったけれども、実際に目の当たりにするとその禍々しさに怯みそうになる。
「どうされました?聖女様。さあ、行きましょう」
ニッコリと微笑むアレクシス殿下の無言の圧に押されて、私はゴクリと喉を鳴らし、一歩踏み出した。
「ノルン、ダイジョーブ、ゴンザレスモ、イッショニ、ガンバル」
護衛に扮して一緒に歩くゴンちゃんは全く怯んで居なかった。一緒に聖女教育を頑張ったから、どれだけゴンちゃんが浄化魔法を使えるように努力したか知っている。
私はゴンちゃんの言葉に頷いた。
「そうだね。ゴンちゃん、一緒に、頑張ろう!」
瘴気の漂う沼地に、私とゴンちゃん、アレクシス殿下とリドディア様だけになる。聖女の力は繊細なため、気心知った人の前でしか使えないとかなんとか、色々な設定を作ったらしい。
遠目では私が魔法を使っていると見えるように、ゴンちゃんの呪文に合わせて私も呪文を唱え、必死に祈る。
「セイナルチカラヨ、コノチヲ、キヨメタマエ……──」
ゴンちゃんが呪文を唱え終わると、パァァァと沼地全体が光り出した。春の温かい太陽の日差しのような優しい光が降り注ぐ。これは、絶対にゴンちゃんの綺麗な心が具現化したんだ。
美しすぎる光景に自然と涙が零れた。
真っ黒い霧が晴れ、沼地は美しい湖に変わった。瘴気は無事に浄化されたのだ。
「ヨカッタ、キレイニ、ナッタネ!」
「うわぁぁん、ごんちゃん、やったね、良かったっ……!」
二人で一生懸命練習した。ゴンちゃんの浄化が上手くいってよかった。二人で喜びあっていると、遠目に見ていた人たちからわぁぁという歓声を上がって我に返る。
「ああ、本当に聖女様が召喚されたのだ!」
「神々しい……。ああ、聖女様、本当にありがとうございます。我々神殿は、あなたを聖女として認定いたしました。どうぞ、ラスティーノ王国をお救いくださいませっ……」
神殿の偉い人達が涙を流して、跪いている。その視線は私にしか向いていなことが、チクリを胸を刺した。
本当はゴンちゃんが頑張った力なのに。
「聖女・ポティ様の誕生だぁぁぁぁぁ!!!」
護衛兵士さん達がそう叫び、その知らせはすぐに王城まで届けられることとなった。
そう、もう後戻りはできない。
私とゴンちゃんの、聖女ポティ・シヴァイーヌとしての第一歩が始まってしまったのだった──。