7.怖くない。大丈夫だ
ドクドクと心臓が嫌な音をたて、空気を吸っているはずなのに息苦しい。指先がどんどん冷たくなっていき、寒くないのに震えが止まらなくなった。
「おい、どうしたっ、しっかりしろっ!!」
急に苦しそうにする私にアレクシス殿下は慌てたように駆け寄ってくる。
駄目だ。こんな風に思い出すのは久々で。
あの死と隣接したような感覚に呑み込まれそうになる。
私は『黒き子』で災いを起こす忌まわしい存在だから。
殴られても、蹴られても、瘴気が満ちた谷底に捨てられても文句は言えない。
谷底に投げ捨てられたとき。
暗闇に引き込まれるように落ちた。
助けて、とも思ってはいけない。
私は、存在して駄目だから。
「ノルンっ、息を吐けっ、クソッ──」
アレクシス殿下の声が遠くから聞こえたと思った次の瞬間──ギュッと抱きしめられた。
「大丈夫だ。瘴気は少量だから死ぬことは無い。俺が魔法で結界も張っている。危険は無い」
「……っ」
「俺の心臓の音だけ聞いていろ。怖くない。大丈夫だ」
温かい。トクトクと刻まれる鼓動に自然と涙が零れ落ちた。
◆◆◆
ノルン・ミーティルという女は。
聖女召喚をしたら隣の部屋から召喚されたただのメイドで。
平凡で臆病な性格かと思えば大胆になったり、友人になったゴンザレスを思って悩んだり、誰よりも食い意地がはっていたりと、共に過ごす時間が増えるほど目が離せない存在となっていった。
『アレクシス殿下!』
最初は俺が第二王子だから遠慮していたのに、最近は屈託無く笑い、軽口も叩くようになった。
『聖女・ポティ』も、民を騙すのは心苦しい、ゴンザレスに申し訳ないと悩んでいたが、最終的に民のためだと納得してからは吹っ切れたように演じていた。
ノルンは、光に群がる蛾のように俺の周りに群れる令嬢達とは違った。欲望にまみれた瞳や、上辺だけの賛辞、駆け引きをしながら蹴落とし合うような令嬢達に辟易していたが。
ノルンからは全くそのような感じを受けたことは無い。
むしろ、俺に全く興味がなさそうだった。
王子の態度からかけ離れた素の俺と対峙しても、変わらなかった。
だから、気を許してしまったのだろうか。
愛玩動物を飼う飼い主のような気持ちだったのかもしれない。
兄上とノルンがかなり前からの知り合いで。
俺よりも仲良くしているのを見ると、何故か苛立った。
その気持ちは、飼い犬が自分ではない者に懐いた飼い主の心情に近いと思っていたのに。
ノルンが地割れに呑み込まれそうになったとき。
兄上が駆け寄るのが見えたのに。
咄嗟にノルンに手を伸ばしていた。
瘴気への恐怖なのか震えて苦しそうにし始めたノルンを迷いなく抱きしめていた。
なぜ俺は──。
「……私は、『黒き子』で忌み嫌われて……いました。瘴気の満ちた谷底に……捨てられたところを、エド様が拾って、救ってくれたんです」
胸の中でウトウトし始めたノルンはポツリと話し始めた。
黒い髪も、黒い瞳も、我が国では初代聖女の色として崇められるが、他国では忌む存在になることもある。
いつも暢気そうに見えたノルンが背負ってきた幼い頃の傷を垣間見て、心が苦しくなった。そしてノルンを救った兄上に敵わないことも。
「今も……暗いところは、苦手なんです。ごめんなさい。迷惑をかけて……」
俺の胸の中に抱かれ小さく震えるノルンに、無意識に抱きしめる腕に力がこもる。
しばらくすると、スースーと寝息が聞こえた。
この状況で眠れるこいつは大物だと息を吐き、目を閉じた。それからどれくらい時間が経ったのだろうか。
少しずつ充満していた瘴気が、一気に消え去った。洞窟の上の方から光が差し込み、こちらを捜す声が聞こえ、魔法で光りを作り位置を知らせる。
「アレクっ、ノルンっ!!!」
真っ先に飛び降りてきたのは兄上だった。リドディアはゴンザレスに背負われながら岩肌を降りてきている。
「無事かっ!?ノルンは具合が悪いのか!?」
「いや、瘴気で過去を思い出したらしく、混乱していたが、今は眠っている」
「そうか……」
兄上は何か感じ取ったように複雑な表情をした。二人には俺の知らない絆があるようで気に食わない気持ちになる。
話し声に目を覚ました様子のノルンはまだボーッとしながら、兄上を見つめた。
「エドさま……。アレクシス殿下へのお土産、渡してくださいね。アレクシス殿下は拗ねてます……」
むにゃむにゃとしながら、爆弾発言を落とすノルンにギョッとしていると、兄上は照れくさそうな表情になった。
「あー、その、本当は渡そうと思っていたんだが、お前が想像以上に成長していて、渡せなかった旅先の土産があるんだ。ノルンは覚えてたんだな。今更、いらないよな?」
『立ち寄る街でも、弟が喜ぶかなってお土産を買おうとしては、荷物が増えるからやめろって他の仲間の方に注意されるくらい、弟さん宛のお土産袋がパンパンになっていて。ああ、エド様に愛されている弟さんが羨ましいなって何度思ったことか』
ノルンの言葉が蘇る。
嘘だと思っていた。兄上は俺のことなど、思い出しさえしないと思っていたのに──。
「ください。全部……」
「アレク……?」
「兄上が……選んでくださった物なら、なんでも……嬉しいですから」
兄上が一瞬驚いたような表情になり、そのまま嬉しそうに破顔させる。
「ふふ……っ。よかった」
ノルンは満足そうに微笑んで、また眠ってしまった。
自分が大変な目に遭っても。考えるのは他人のことばかりなお人好しに、俺はため息を吐いた。
こいつには敵わない。
俺はこいつを──。
自覚した気持ちを、首を振って気づかない振りをしたのだった。




