伝えたい想い①
アルロはぱちりと目を覚ました。
部屋の中は、戸を締め切っているため薄暗いが、隙間から明かりが漏れて床を細く照らしている。
アルロは寝具に横になったまま、横にある入れ物から記憶時計を手繰り寄せる。時計は既にリセットされ、今は6つ目の目盛りを指していた。
6時──つまり、今は朝だ。
アルロは記憶時計を入れ物に戻し、再び眠りにつく。
だが、さして時間も経たないうちに、寝具から起き上がった。
いつもなら、もっと遅い時間に目が覚めるし、早く目覚めたとしても2度寝をして朝を過ごす。しかし、今日は全くといっていいほど眠気が来ない。
素晴らしく清々しい朝だ。
東の壁に埋め込んである木戸をずらし、外の空気と明かりを採り入れる。
その後浴室に行き、軽く体を洗う。時間をかけず浴室を出ると、体を拭いて職場の制服へと着替える。
軽く髪型を整えたら、杖を差し仕事用の袋を手に取って、アルロは自室を出た。
今朝は、気持ちがいいほど天気が良い。雲ひとつない空とは、このことを言うのだろう。
まだ少し冬の空気が残っているが、凍えるほどではない。寝起きの体への気付けにはちょうどいい。
空を見上げると、朝早いというのに、相乗り絨毯がいくつか飛び交っていた。まだ人の往来は少ないが、アルロのように仕事に行く人たちが使っているのだろう。
──ご苦労なことだ。
そんなことを考えながら、のんびりと道を歩く。
「兄ちゃん、おはようさん。珍しいねぇ、朝早いだなんて」
朝食をとるために、朝早くからやっている行きつけの店に寄る。
ここは非魔法使いがやっている店の中でも、かなりお得なのに美味しい店だ。料理を全くしないアルロは、ほぼ毎日のように通っている。
向こうも常連のアルロに対し、気軽に話しかけてくれる。
「コーヒーとブレット、後なんか付け合せで。珍しく目覚めがいい朝なもんで。きっと今日はろくなことありゃしませんよ」
「おいおい、そこは今日はいい事がありそうだ、じゃないんかい」
朝食分の金額を払いながら、アルロは肩をすくめる。
「俺の場合、こういう日こそ、悪いことが起きるんですよ」
「ははー、じゃあ少しでもいい事があるよう、デザート付けておくよ」
「お、マジすか。あざっす」
店員の粋な計らいに、アルロは自然と笑顔になる。きっと今日はろくなことがないと知りながらも、こういう心遣いは素直に嬉しいものだ。
のんびりと朝食を食べ、店内がだんだんと賑わってきた頃合で店を出る。人々が起き出したからか、店の外は賑やかな活気が溢れ始めていた。
アルロはいつも以上にのんびりと歩きながら、職場を目指す。
アークレイリ王立図書館。
そこが、アルロの職場である。
この国最大の図書館であり、魔法使いから非魔法使いまで、誰でも出入りが可能ということもあり、毎日のように多くの人で溢れている。
さすがに今は、朝も早い時間、なおかつ開館前ということもあるため、そこまで人はいない。
アルロは職員専用の裏口より館内に入り、近くの警備室に小窓から声をかける。
「おじさん、おはようございます。地下の鍵、いただけますか?」
「あぁ、アルロくん。おはよう。今日はずいぶんと早いねぇ」
「早く目が覚めてしまったもので」
今日はきっと、同じようなことを何度も聞かれるんだろうなと思いつつ、小さく息をついた。
「おや、地下の鍵ならもうすでに貸出済みだね」
警備の人が律儀に記している帳面を見て言う。
地下の鍵を借りる人間は限られているため、アルロはすぐにその借りて行った人物に思い当たる。
「分かりました。ありがとうございました」
「お仕事頑張ってねぇ」
警備の人に軽く頭を下げ、アルロは図書館の奥へと進んでいく。
アルロは図書館内の専門棟と呼ばれる、一般人が立ち入りできない棟に向かう。
その棟の最上階、1番奥に位置している部屋が仕事場だ。
「おはようございまーす」
部屋に入ると、既に先輩たちの姿があった。
「おはようございます、アルロさん」
「おはようございます。珍しいですね、アルロくんが早いだなんて」
「いや、俺よりも、みんなの方が早すぎません……?」
補正鏡をかけたアルロより年上の先輩であるミアノ、そして彼らの長である室長のエドアルドは、お互い顔を見合せていつも通りだと言う。
先ほど中央の時計塔が8時の鐘を鳴らし終わったばかり。仕事始めの時間は決まっていないと言っても、だいたいアルロは9時から10時あたりに出勤をしている。当番の日であってもせいぜい9時前に出勤している。それより早く彼らが来ていることは周知のことであったが、まさかこんなにも朝早く来ているとは思いもしなかった。
真面目な同僚たちに、アルロはただ肩をすくめるばかりだ。
「そう言えば、レイってもう来てます?」
「はい、つい先ほど地下に行きましたよ」
「揃いも揃って早いんだよ……」
アルロにとってはまだ早い時間帯でも、彼らにとってはいつもと変わらないのだろう。つくづく真面目な同僚たちだ。
アルロは荷物を置き、部屋を出ようとするとエドアルドが待ったをかけた。
「アルロくん、申し訳ないのですがロマさんを起こしていってくれませんかね。彼女はあちらの部屋におりますので」
そう言って、出入口に近いほうのドアを指す。
「あいつ、また帰ってないんすか……」
「先ほど1度、声をかけました。起きているとは思いますが、頼みましたよ」
いちばん下っ端だと、こういうことも断りずらい。
アルロは思い切りため息をつきながら、出入口に近いドアの戸を叩く。
もちろん、返事はない。
「入りますよー」と一言かけ、アルロはドアを開けた。
室内は明かりを採り入れるための窓が全て布で覆われ、太陽が昇っても薄暗い。それでも何も見えないというわけではない。
部屋の真ん中、休憩用の長椅子に丸まった大きな影があった。
長椅子を通り越して窓際まで行き、覆われている布を取り払うと、室内が一気に明るくなる。
「ロマ、起きろ。仕事の時間だぞ」
声をかけると、その影はもぞもぞと動き出した。
「……アルロの声が聞こえる。あいつがこんな時間にいるわけない。だからまだ仕事の時間には早い」
くるまっている毛布から顔だけだし、寝ぼけ眼でそう言い放つ彼女に、アルロは今日何度目か分からないため息をついた。
「俺を時計にしないでくれ。ほら、もうロマ以外揃ってんだから起きろ」
「ぬぬぬ……先輩に対してなんという口」
「そんな年変わんないし、ほぼ同期だろうが」
ロマがくるまっている毛布を無理やりはぎとる。
ぶつくさと文句を言いつつも、大人しく支度を始めるだけまだ手がかからないほうだ。
「じゃあ、起こしたからな。当番だから、もう地下行くからな」
ロマの毛布を部屋の隅に置き、アルロは部屋を出ようとする。
「あらあら、今日はもう全員お揃いなのね。珍しいわ」
「スヴァル」
部屋の入口、今まさに通ろうとしたそのど真ん中に、1匹の黒い猫がいた。綺麗な毛並みで、首元に付けられた鈴が、歩くたびにリンリンと小さく鳴る。
見知った猫だったため、アルロは思わず足を止めた。
「おや、スヴァル。レイは今地下にいますよ」
エドアルドがスヴァルに気付き、声をかける。
その黒猫──スヴァルは、ひと鳴きして答える。
「知ってるわよ。そのレイから伝言を頼まれたのだから」
そう言って、スヴァルは、エドアルドの執務用の机に乗る。
「レイからの伝言よ。魔石が1冊なくなった、至急捜索が必要……ですって」