興味が湧かない母
ある日の放課後、俺は友人達と雨やみを待ちながら世間話をしていた。
「てかもうすぐ夏休みじゃん、どっか行こうぜ」
「あ〜わりぃ俺バイトで予定詰め込んでるわ」
「て言うかお前ら3年の夏なんだから受験勉強が最優先だろ」
などと夏の予定についてあーだこーだと話し合っている。俺も今年の夏は受験に備えて勉強しなければならい、我慢の夏になりそうだ。
ふと俺は時計を確認し、そろそろかと思い至り立ち上がった。
「ごめん、そろそろ三者面談だから行くわ」
「そういやお前の家だけ別の日を設けられていたよな」
「家の人が忙しいとか?」
友人達が不思議そうに問いかけてくる。
「まぁそんな感じ、夏休み入ったら母さん達本格的に忙しくなるから今日にしてもらったんだよ」
「あ〜そっか、なんせあの有名モデルだしな」
「いいよなー美人のお母さんが毎日食事とか作ってくれるんだろ?羨ましいぜ!」
友人の一人が冷やかしのことばを投げかけてくるが俺は苦笑しながら答える。
「いや母さんは家事全般できない人だから、毎日俺か父さんが作ってる」
俺の家の家庭事情を言うと友人達が衝撃を受けたときのような顔色になる。
「へぇー珍しいな仕事一本って感じか?」
その質問に俺は再び苦笑をし、言葉を選びながら話す。
「いやどちらかと言うと興味がないことは頭に入ってもすぐに忘れちゃうって感じかな?」
すると友人達はなるほどと頷く。
「あ〜よくいるよなそういう人」
「それで仕事とかは大丈夫なの?」
友人達が心配そうに尋ねてくる。
「まぁ身の回りは父さんがやってくれているし、母さんも仕事は好きらしいから大丈夫だよ」
そこである程度その話は終わり、俺は荷物を取り友人達に別れを告げる。
「ゆっくりしてたら母さん迷子になっちゃうからそろそろ行くよ、じゃあな」
外に出ると、もう雨は止んでおり太陽が照り始めていた。アスファルトに染み込んだ雨が蒸発して、独特の匂いがする。
校門へ向かうと母さんの居場所はすぐにわかった。美人なせいで行き交う人達の目を奪っているようだ。当の本人は本を読むのに忙しいようだが。
「ごめん母さん待った?」
俺が話しかけると母さんはゆっくりと顔を上げて微笑みながら口を開く。
「いいえ、本を読んでいたので待っている気はしませんでしたよ?」
そう言う母の手元に俺は目を写した、ページはまだ見開き1ページ目のまま捲られていない。
「母さん、そのページ何回読見直したの?」
母さんは昔から物覚えが悪い、いや記憶力はとても良いのだが興味のないことを微塵も覚えようとしないのだ。
それは、人が思っているのとは格が違う。
「さぁ?10回ぐらいでしょうか?」
不思議そうに首を傾ける母さん。普通の人からしたら異常に見えるこの行動、だがこれは母さんの平常運転だ。
「どうやらその本には母さんの興味を沸かせるような内容は書かれていなかったみたいだね」
俺は母さんから目を離して辺りを見渡す。
「ここまでは父さんが車で?」
母さんは車の免許を持っていないし他の交通手段を使うにしてもいつどこで道に迷うのかもわからない。
そんな母さんの身の回りを手伝っているのは主に父さんだ、母さんのマネージャーも勤めている父さんが朝から夜までしっかりとサポートしている。
「ええ、本人は事務の仕事がまだ残っていると言って私を置いていきましたが」
若干怒気を感じる表情をする母さん。自分より仕事を優先されて拗ねる辺りまだ結婚当初の初々しさが残っているような気がする。
母さんはこの話は終わりだと言った様に、ため息を吐きながら俺に告げる。
「ここにいても暑いだけですね。行きましょうか」
◇
三者面談自体はサラッと終わった。
母さんは基本的に俺の将来について応援する姿勢で居てくれている。
進路について家族で話し合った時も『それが貴方の選んだ道なら、私は全力で応援します』と言ってくれた。
息子の俺に興味を抱いてくれているようで、とても嬉しかったのを覚えている。
その後の学校での生活を担任から聞かされている時も母さんは嬉々として聞いてくれた。
三者面談が終わった後、校門で父さんを待つ間。俺は母さんにふと気になったことを聞いてみた。
「母さん達って仕事忙しい割にこういうのに来てくれるよね」
そう、母さんのスケジュール帳には白い枠が見えないほどに仕事という文字でビッシリと詰まっている。
そんな母さんだが、学校の催しにはよく参加してくれているのだ。
参加してくれていること自体は、ちっさい頃から嬉しいのだが、無理をして来ているのではと毎回不安になってしまう。
俺の問いに母さんは口をへの字にしながら答える。
「息子の学校を見守りたいと言うのは親として当たり前じゃないですか?」
それが当然かと言うように答えてくれた母さん。その答えに俺は小っ恥ずかしくなり、そっぽ向いて頬を掻いてしまった。
嬉しかった。母さんが俺のことをしっかりと見てくれていることが、嬉しさを隠すように俺は母さんに別の話を振る。
「まぁ学校によく来てる割に母さんは校舎を覚得てくれないけどね」
からかいも含んでいるその問いに母さんは笑顔を浮かべながら口を開ける。
「私の自慢の息子が案内してくれるので覚える気はありません、それに───」
続きを聞こうと母さんの方を見ると幸せそうな笑顔を母さんは俺に向けた。
「こうやって家族といる時間を私はとても大切にしたいのですよ・・・私にとって、この時間は1秒たりとも無駄にしたくない、尊いものなんです」
その言葉に俺は気づかされた。
そう俺は高校生になって初めて理解しのだ。
母さんが俺たち家族に向けているのは興味云々ではない、れっきとした母親としての愛情なのだと。
フラッシュバックするように思い出される昔の記憶。
──学芸会で目が合うと手を振ってくれた記憶
──授業参観で発表すると拍手してくれた記憶
──反抗期になった俺を優しく見守ってくれていた記憶
──体育祭のリレーの時、全力で応援してくれた記憶
その時の母さんたちの顔が鮮明に蘇る。その時は恥ずかしかった記憶が、今となっては大切な記憶となっていた。
「どうしたのですか?」
母さんが心配そうに話しかけてくれたことで俺は我に返る。
頬には涙が垂れていた。いつの間にか俺は、目から涙を流していたらしい。
俺は慌てて涙を拭き取る。
「ちょっと、昔のことを思い出して」
母さんは俺が何を思い出していたのか分かったのだろう。懐かしむように空を見上げた。
「そうですね、昔はあんなに小さくて甘えん坊だったのに。立派になりましたね」
母さんは俺に目を合わせて、再び言葉を発する。
「さすが、あの人と私の子です」
その言葉を聞いた瞬間、また涙が出そうになり俺は上を向いた。
「やめてよ母さん、泣いちゃう・・・」
「ふふっまだ子供かも知れませんね」
そして俺と母さんは、父さんが来るまで昔のことやこれからの事を話し合った。
通行人にジロジロと見られている気がしたが、あまり恥ずかしくなかった。
──もっと興味を湧くものが近くに居てくれたから。