月夜の出来事
童話っぽい雰囲気のYA作品を書きたくて書いてみました。
月夜の晩に出会った不思議なピエロとのお話です。
このお話はPixivにも掲載しています(https://www.pixiv.net/users/70145056)
月のきれいな晩ってふらりとお散歩したくなりませんか? これからみなさまにお話しいたしますのはそんなお話です。
気がつくと、咲耶は真っ暗な夜道を当てもなくひとりで歩いていました。
あたりには外灯もなく、月明かりだけがぼんやりと咲耶の進む先を照らしてくれていました。そんな夜のとばりの降りる中、咲耶はただただ前に向かって歩み続けていました。
(私、なんでこんなところを歩いているんだろう)
歩きながらも咲耶はずっとそう考えていました。咲耶にはここに来るまでの記憶がまるでなかったのです。なんとなくですが、おかしな違和感も覚えていました。ですがそんなこと、すぐにどうでもよくなってしまいます。だって夜空のお月さまがとってもきれいだったんですもの。咲耶は高校の美術部員でピカイチの才能でしたから、今ここに画材があればあの月をキャンバスに描きたいくらいでした。
お月さまは咲耶のあとをぴったりとついてきます。そんな月明かりにあとおしされるような錯覚を覚えて、咲耶は前へ前へと歩き続けました。月明かりにそんな力があるとは思えませんが、そんなふうに咲耶は感じていたんです。
咲耶はきまぐれに、歩みを止めてくるりと後ろをふり返ったりもしました。当然ですが、お月さまは何事もなかったかのように留まったままです。それがまたちょっぴりくやしくて、また少し進んではふり返ることをくり返しました。まるで「だるまさんがころんだ」をやってるように。
しだいにそんな遊びにも飽きてきて、これでしまいにしようとふり向いたときに、その人は現れたのです。
「ごめんなすって、紳士淑女のみなさま。おやおや、お客さまはお嬢ちゃんお一人でしたか。こりゃまた失礼をば」
暗闇の中から、ぽんっとポップコーンがはじけるように突然その人は現れました。
「きゃあ!」という悲鳴とともに、咲耶は両手を広げて、ぴょんと後ろに飛び退きました。まるでうさぎのように。
「おっとっと。この暗がりで、そんなに飛んだら危ないですよ、お嬢ちゃん。いえいえ、みなまで言わずとも分かります。お嬢ちゃんは道に迷っておられるのでしょう?」
そこに現れたのは、ピエロの格好をした妙ちくりんなお人でした。角のように左右に割れてツンと突き出した帽子、ひだえりの水玉模様の服、そしてつま先が丸くふくれたピエロ靴。絵に描いたようなピエロ姿です。暗闇だからでしょうか、ハデハデな衣装も、白と黒のモノトーンにしか見えません。ですが不思議なことに、衣装の模様だけでなく顔のメイクまではっきりと見えるのです。月明かりしかないまっ暗闇だっていうのに。
「どどど、どなたですか、あなた!?」
「いえいえ、ワタクシ、けっして怪しい者じゃあ、ございません。ただの通りすがりのピエロでございます」
そのピエロは深々とおじぎをしながら、自己紹介をし始めました。それはもう礼儀正しく、流暢に、完璧に。
いえいえ、どんなに挨拶が見事でも、突然ピエロが空中から現れるなんて、普通のことじゃございません。咲耶はあっけにとられて、呆然とピエロの姿を眺めるしかできませんでした。
「お嬢ちゃんは道に迷っておられますな。迷っていなさるなら、僭越ながらこの親切なピエロがあなたの道案内をしてさしあげましょう。いえいえ、お礼にはおよびません。お客さまに喜んでいただくことがピエロの仕事。お安いご用でござりまする」
狂言めいた言い回しで、そのピエロは頼みもしませんのに勝手に話を進めてしまいます。咲耶はなけなしの勇気をふりしぼって言い返しました。
「いえいえ、そんなお気遣いは結構です。一人でちゃんといかれます」
咲耶がそう言い終えるや否や、間髪おかず、ピエロはいい返します。
「いえいえ。そんなわけはありません。一人でなんていかれません。だって、お嬢ちゃんは道に迷われているんですから。そうでなければ、こんなところでお月さまと追いかけっこなんてしていません」
心の中を見透かしたような言い方は咲耶をちょっと不愉快にさせましたが、それは確かにその通りでしたので咲耶は何も言い返すことはできませんでした。
「それに、ワタクシも一人では、ちょっとばかりさみしかったんですよ。『旅は道連れ、世は情け』なんて昔から言うじゃあ、ありませんか。これも人助けと思って、ぜひともご一緒させてくださいませ。この素敵なお花に免じて」
ピエロは、ズボンのポケットから取り出した細長いバルーンをふくらませてキュキュッと花を作り、気取った仕草でそれを咲耶に手渡しました。ピエロのふるまいは全てが奇想天外で、咲耶はただただ呆然と見ているしかありませんでした。
「どうしましたか、お嬢ちゃん。ワタクシの顔に、何かがついておりますか?」
そう言ってピエロは、自分の顔に描かれた涙のペイントをおどけながら指さしました。まっ白に塗りこまれたピエロメイクで、顔どころか年齢、性別すらも分かりません。やや低めの声色でしたから、おそらく男性なのでしょうが、そんな声を出せるよう練習したのかもしれません。さらには、ずんぐりした衣装が体型すら分からなくしてしまいます。実はワタクシ、九十歳のおバアちゃんでございます、なんて言われても信じてしまいます。
このとき咲耶は、ちょっと強引だけど悪い人じゃなさそうだし一緒にお散歩するのもいいかもと考えていました。
ですが咲耶には一つだけ絶対にゆずれないことがありました。
「いやほんとに、今宵はいつもにまして酔うほどにきれいな満月です。お散歩するにはもってこいの素敵な夜ですねえ、お嬢ちゃん」
「ピエロさん、さっきから気になってるんですけど、その『お嬢ちゃん』っていうの、やめてもらえません? 私にはちゃんと『咲耶』っていう名前があるんです」
「ああ、これは失礼いたしました咲耶さん。それでは咲耶さんも、ワタクシのことをジョバンニ、とでもお呼びください。深い意味はございません。子供のころ好きだったお話の主人公の名前でございます」
そういってジョバンニさんは、両肘をまげて汽車の車輪の連結棒をかたどって、シュッシュッと咲耶のまわりを走りだし始めました。
「ドッドッ、シュッシュッ、ドッドッ、シュッシュッ。それではそろそろ参りましょう。汽車は走り始めました。走り出したら、もうとまりませぬ」
そんなおどけるジョバンニさんのあとについて、咲耶も進みはじめました。
(それにしても、どうして私、こんな所を一人で歩いているんだろう。ちっとも覚えていない。この道だってどこに続いているんだろう。まったく先が見えない)
陽気な道連れができて心に余裕が出てきたからなのか、咲耶はここ数日の出来事を思い返していました。
(道って言えば、このあいだ部活の帰り道で伊那が言ってたなあ。高校を卒業したら美術の専門学校に通いたいって相談したら、両親からお許しがでたって。それを聞いて、私も嬉しかったなあ。けれど、そのあとの言葉にはちょっとかちんときた。咲耶はどうするの、私の親は分かってくれたけど、咲耶はかわいそうねって。悪気はないんだろうけど、面と向かって「かわいそう」なんて言われると、ちょっと不愉快)
「そうですねえ咲耶さん、本当にそうです。嫌でしたねえ、それは」
突然、ジョバンニさんが考えに割り込んできて、咲耶は驚きのあまり一瞬呼吸が止まってしまいました。咲耶は心の声をまったく口に出していなかったっていうのに!
「いえいえ、なあに。あなたがとても嫌そうなお顔をされていらしたので、適当にあいづちをうっただけでございます」
けげんそうな咲耶の顔をみて、心を読んだようにジョバンニさんはそう続けました。
「いや、こりゃまた失礼をば。どうかお許しを。あのまんまるお月さまに免じて」
ジョバンニさんはぴょんと後ろに飛び退き右手を天にむけて、手のひらを上に返しました。手のひらの上にお月さまが浮かんで見えるふうに。そんな仕草を見ているうちに、咲耶は小さなことでいらいらする自分が恥ずかしくなってきました。咲耶が思わずうかべた笑みに、ジョバンニさんもまた満足げに微笑み返しました。
そんなジョバンニさんの口上を聞いているうちに、咲耶はふと両親との会話を思い出しました。それは学校を卒業した後の進路についてのことでした。
「高校を卒業したら大学に進学してね。だからもう、これからは部活動をひかえめにして、勉強をもっともっとがんばってちょうだい」
それがご両親の希望でした。ですが咲耶は、本当は美術の学校へ通いたかったのです。両親の悲しむ顔を見たくなかった咲耶は、気持ちを胸に押し込めていました。けれども、伊那の話を聞いてがまんができなくなり、咲耶はとうとう話してしまったのです。
「私にも夢があるの。大学よりもっと大事な夢。私はもっと絵を描きたい、だから美術学校に通いたいの」
咲耶は、きっと二人なら分かってくれると信じていました。けれど、そんな咲耶の期待はあっさりと裏切られたのです。
「大学にだって、美術サークルがあるわよ。そこに入ればいいでしょう?」
「芸術の世界で生きていくのは大変なんだ。とっても難しいんだよ」
咲耶は、後ろ頭をガツンとハンマーで叩かれたような衝撃を受けました。
(私、ずっとこれまで二人の言うこと、全部素直にきいてきたじゃない、だから、今回くらいは私の気持ちを理解してよ、お願いだから許してよ)
そんな言葉がのど元まで出かかってましたが、咲耶はそれを口にすることができません。言えば、きっと二人は悲しむだろうからって。咲耶は下手な作り笑顔で胸の奥に気持ちを押し込めようとしました。しかしそれに続いた言葉が咲耶をさらに悲しませたのです。
「現実は厳しいんだ、お前だってもう子供じゃないんだから、そのくらいのことは分かってるだろう。もう少し大人になりなさい」
ああもう、いや! 現実がなによ、子供扱いしないで! 現実なんて、もうどうだっていい。全部、壊れちゃえばいい!
「おやおや、それはまた、穏やかじゃないですねえ」
またしても咲耶の心中を見透かしたようにジョバンニさんが言います。
「あ、いえいえ、あなたがけわしいお顔をしていらしたもので、何かとんでもないことをお考えになられていたんじゃないかって思いまして。ワタクシ、仕事柄、お客さまの表情から心を読むのが得意でございまして。配慮が足りず、お気にさわったようでしたら、どうかお許しを。ワタクシの明日の朝食のバゲットに免じて」
放り上げられたジャグリングのボールが空中でバゲットに変わって、ジョバンニさんが両手でキャッチしました。
パンのこうばしい香りが辺りにただようと、咲耶は急におなかが空きはじめてきました。
(今朝は何を食べたっけ。そうそう、今日は朝から二人と言い争いが始まって、ふてくされて家を飛び出したんだ。そこから先は、なにも覚えてない。だから多分、朝から何にも食べてないんだろう。足りないのは私のおなかの中身のほうだった。だからこんなに気持ちが落ちつかないのかな)
そんなことを考え、気持ちを落ち着かせようと、大きく一度深呼吸してみました。
すると突然、これまで漠然と覚えていた違和感の正体に、咲耶は気づきました。
(ここには足りないものがある。色がない。ここにあるのは、暗闇とお月さまと私、そしてこのおかしなピエロさんだけ。黒と白だけのモノトーン、まるで墨絵みたい。それはそれできれいだけど、ちょっと冷たくてさみしい。このままじゃいけない。この真っ黒なカンバスに私は色を置きたい。お月さまだけでなく、人や、家や、道、町並み、生活を描きたい。夕食をつくるお母さん、それをソファで待つ子供達。お皿をならべて家族サービスをするお父さん、テーブルの下を走り回ってそのジャマをするネコ。そんな明るくて元気な世界を、思いっきり描いてみたい。ねえ、そんなの、どうかしら?)
咲耶は誰かに語りかけるように、そう心の中で考えました。
「ええ、いいですねえ。ワタクシも見てみたいですよ、そんな世界」
咲耶はここがどこで、ジョバンニさんが何で自分の前に現れたのかが分ってきました。
「見えてきましたね。それで咲耶さん、あなたはこれからいったい、どういたしますか?」
にんまりと笑顔をうかべて、ためすようにジョバンニさんが問いかけてきます。
「ううん、どうしようかなあ。実はまだ、ちょっと迷ってます」
「でしたら、この道を後ろに戻りますか?」
「ううん、それだけは絶対にいけないと思います。前に進まないとダメ、現実から目を背けちゃいけないって」
「おやおや、さっきあなたは、もう現実なんてどうだっていいって、思われてらしたじゃないですか。どうしてお気持ちが変わられたんですか? 現実にはあなたの望むことなんか、全くないかもしれないっていうのに」
おどけた仕草で、上目遣いにジョバンニさんは咲耶の顔をのぞきこみます。
「はい。でもそうしないといけないんです。ずっとここにいたらいけないって分るんです」
その言葉を聞いてジョバンニさんはにっこり微笑んでこう答えました。結構、結構、コケコッコー、今はそれだけで十分、あとは自分で決めればいいですよって。
「ありがとう、そうしてみます。けれどジョバンニさん、あなたは何で私を助けてくれるんですか?」
「ワタクシはただ、この町であなたにエールを贈ってあげたいだけなんです。楽しんで喜ぶあなたのお顔が見たいだけなんです。あなたの代わりにワタクシが泣いてあげたいんです。だってワタクシ、ピエロなんですもの」
咲耶は、満面の笑みでそれに応えました。
「ああ、楽しんでいただけて光栄です。短い時間ではありましたが、この町であなたと過ごせて嬉しく思います。さあ、それでは最終演目、空中浮遊とござい。とくとご覧あれ。ほっほい!」
そんなかけ声と共にぴょんと跳ね上がると、ピエロ服が風船のようにふくれ、ジョバンニさんの体は空中にぷかぷかと浮き始めました。そして左手で咲耶の手をつかんで引きあげると、咲耶もまた舞い上がりはじめました。お月さまがすぐ手に届きそうなほどの高さまでくると、ジョバンニさんはゆっくりと右手を上に突き上げました。そしてピンっと指を鳴らすと、お月さまが一枚のカードに変化して、ジョバンニさんの右手の中に降りてきました。
「さあ、これで全ての演目がおしまい、フィナーレでございます。お忘れ物などございませんよう、お気をつけください」
「ジョバンニさん、いろいろありがとうございました。もう一つだけ教えてください。あなたはいったい誰なんですか?」
これでジョバンニさんともお別れと感じて、思い切って咲耶は問いかけてみました。
「ワタクシはあなた、あなたはワタクシ。あなたはワタクシのことを、ようく知っているはずですよ。ずっとずうっと昔から。だって、あなたとワタクシとは『ともだち』じゃないですか」
ジョバンニさんは、少しだけさみしそうに、けれども嬉しそうに、そう答えました。
「え、ひょっとしてあなた、まさか?」
「さあ、どうでしょうねえ。今ここでそれを答えても、きっと全て忘れてしまいます。答えは全てあなた次第なんですよ」
いたずらっぽくジョバンニさんはウィンクをすると、手にしたカードをくるりと時計回りに回してひっくり返しました。空に横一文字に大きな亀裂がはいったかと思うと、亀裂は上下に紡錘形に広がっていき、その隙間から光が差し込みはじめました。黒ずくめの世界は白く塗り込められ、ジョバンニさんもまた白い世界に溶け込み、消えていきました。「いいお目覚めを!」という元気な声だけ残して。
目が覚めると咲耶はベッドの上でした。
「先生、咲耶さんの意識が戻りました!」
「はやくご両親を!」
誰だろう、この人たち。なんで私、こんなところにいるんだろう。何も思い出せない。咲耶には何が起こったのか全く理解できませんでした。しばらくするとお父さまとお母さまが息せき切って病室にかけこんできました。
「ああ……よかった。このまま咲耶が眠ったままだったらどうしようかと思ったわ」
咲耶は、両親と言い争いをした朝に、家を出てからすぐに事故にあい、それからずっと意識が戻らないまま、病院のベッドで眠り続けていたのです。
咲耶はその長い夢の内容を全く覚えていませんでしたが、そのことを考えると、なぜか涙があふれてくるのでした。
しばらくして咲耶は退院となりました。慣れ親しんだ我が家のはずなのに、何十年も帰ってなかったかのような不思議な感覚を覚えておりました。
両親と共に居間で団らんしていると、部屋の隅に飾られた、咲耶が子供の時に描いた「あたしのともだち」の絵がふと目に入りました。タロットカードの道化師を模写したもので、咲耶が初めて描いた「さくひん」でした。鉛筆で殴り書きしたような幼稚な絵でしたけど、そのとき両親からとてもほめられて、嬉しくて、それをきっかけに咲耶は絵を描きはじめたのです。
咲耶にはこれから自分が何をしなければいけないか、ちゃんと分かっていました。自分の気持ちをきちんと伝えなさい、咲耶の中の誰かが、そうするように語りかけてくれたからです。
「お母さんお父さん、聞いて。私、決めたの」
そのとき部屋の隅の「ともだち」が、にこりと微笑んだように見えました。
おわり
四百字詰め原稿用紙二十枚換算