暁を待つ蕾 ー血染めの姫の子守唄ー
凛とした――まるで抜身の刃のような鋭い声が議事堂に鳴り響き、静寂が切り裂かれる。
「そのような痴れ者がなるくらいなら、私が全て台無しにしてあげましょう」
次代の皇帝を決めるための場はただの茶番に過ぎず、静かに終わるはずだった。
しかし、我らが長兄様はどうやら欲張り過ぎたらしい。
嫁ぎ先が決まったと、その言葉さえなければ虎の尾を踏むこともなかっただろうに。
「お兄様は、どちらの側につかれますか?」
声の主は、末の妹。
そして、問いの向けられた先は自分であるということは周りの視線が痛いほどに物語っていた。
(……そろそろ兄離れさせないといけないのはわかってるが。まぁ今回のとはまた別に考えるかな)
重鎮達の揃う御前会議の中、小心者の自分には耐えがたいほどの重圧がこの身に襲い掛かってくる。
特に、既に傀儡と成り果てた父の隣では、今まさに最高権力者として振る舞い始めた一番上の兄が、苛立たしいという表情を隠そうともせずにこちらを見ているのがわかった。
「…………兄というのは、俺を指しているということでいいのか?暁蕾」
「当然です。私の家族は一人しかおりませんもの」
可愛らしく薄い胸を張った彼女の頭の上では、俺が昔贈った髪飾りが同意するかのように揺れているのが見える。
そして、同時に時間稼ぎに尋ねたはずの言葉が、逆にその歩みを早めてしまったのを俺は悟らざるを得なかった。
(相も変わらず、自由奔放なお姫様なことで)
正直なところ、目を向けなくても十八人の兄弟達と、七人の姉妹達の顔が険しいものになっているのが容易にわかってしまい、ため息を吐きたい気持ちで一杯だ。
(まったく、誰に似たことやら)
各省の筆頭官、部門長、皇族とこの国の中央に座する錚々(そうそう)たる顔ぶれの中、これだけのことを言える胆力は俺にはとても備わっていない。
とはいえ、暁蕾にとって純粋な味方と呼べる存在が俺以外ほとんどいないのもまた事実。
未だ様子見をしている者は何人かいるものの、他に味方といっていいのは俺の隣で同じように冷や汗をかいている礼部尚書の王明くらいなものだろう。
そして、その真っ青な顔には、同情はしても頼もしさは微塵も感じることは出来なかった。
(まぁ、どうせ行く末は決まってるんだ。早いこと楽になった方が身のためかね)
この時が来ないことを毎日神に祈りながらも、ずっと昔から考え続け、既にやることは決まっていた。
たとえ、この選択の果てに自分が死ぬことになったのだとしても。
「………………暁蕾。俺はいつでもお前の味方だ」
「ふ、ふふっ…………はっははははは。さすがは、お兄様。それでこそ、私の家族に相応しい」
狂気じみた笑顔に思わず顔が引き攣る。
しかし、放たれたその言葉に対して、真実を知っている者としては、何となく考えさせられるものがあった。
だって、彼女には父の血なんて一滴たりとも流れていない。
なぜ知っているかと聞かれても答えられないし、危険すぎる情報だから誰にも言ってこなかったけれど、俺はそれをちゃんと識っている。
(この世界がゲームの創作上のものなんて、たぶん誰も信じてくれないだろうしなぁ)
彼女は暁蕾。
無慈悲で冷酷なゲームの敵役、そして、俺の愛すべき妹だった。
◆◆◆◆◆
中華風の世界に、法術という魔法に似た概念を絡めたシミュレーションRPG『暁の天帝』。
暴虐の限りを尽くす皇帝に反乱を起こしたというところからストーリーが始まり、内政・外交・軍事をターン毎に進めていくオーソドックスなゲームだ。
ただ、平凡な出来のゲームシステムとは別に、フルボイス化された魅力的なキャラクター達、何とも言えない余韻を残すシナリオ構成など、作品全体としてはそれなりに評価を受けた作品でもある。
特に、最後の敵役である皇帝の暁蕾。
それまでの敵が、どちらかというと欲望に塗れた俗物的な相手だったのに対し、彼女は至極単純な――ある意味では純粋ともいえる悪意しか持たない。
抱えた願いは、『全てを無にすること』。
平民出の母は彼女を産むときに死に、後ろ盾も一切ない。
幼い頃から愛を知らず、人を知らず、歪み切った宮廷の住人達だけを見て育った彼女は、それ故全てのものに……自分自身も含めて……価値を見出さなかった。
そして、やがて迎えた運命の日。
既に薬で自我を失った帝の前で開かれた御前会議、そこで彼女は手始めに全ての命を刈り取ったのだ。
躯で形作られた玉座の上で、ただただ空虚な笑い声を響かせる彼女。
その白磁の如き美しい顔を染め上げた赤い液体だけが、まるで涙のように頬を滴り落ちていた。
◆◆◆◆◆
設定集では暁蕾の父親は不明。
子どもができないはずの、そして、無理やり攫われふさぎ込んで、誰とも鬨を共にしていないはずの側室から突如生まれた子とだけ記載されており、色々な憶測も呼んでいる。
(人ならざる力だけ見れば、悪魔の子って噂が流れるのもなくはない話だろうけどな)
他の兄弟、姉妹達は知らないだろうが、内緒だと言って見せてくれた力は、実際に目の前で見せられると出鱈目とも言える有様だった。
植物の種は息を吹きかけるだけで咲き誇り、名工が作った自慢の鎧は触れるだけで朽ち果てる。
それに、原作では毒を飲まされても、刃で切り裂かれても、苦しみながらも生をつなぎ止めたとあったはずだ。
正に人外、化け物じみた力だと言える。
ある種それが彼女の孤独の一因となったことも否めないのだろうが。
「では、偽物共には退場願いましょうか。家族ごっこはとうとうお仕舞いです」
場違いなほど軽い音のする二度の柏手の後、暁蕾のさも楽し気な声が響き渡ると、ほとんどの者が怪訝な表情を浮かべるのが分かった。
確かに、その反応は当然だ。
兵も権力も自前のものをほとんど持たない、矮小な娘が言うには相応しくない台詞であろう。
しかし、彼女にはそれができる。できてしまう。
片手間に、罪悪感を感じさせぬほどの間にだ。
「…………やめろ」
不意に集まり始める膨大な力に、全ての者が恐怖でその顔を凍り付かせる。
立つことすらままならぬほどに体が震え、今にも気絶しそうなほどに魂を揺るがされる。
元から決めていたはずのことをしようとしているにも関わらず立ち止まってしまいそうなほどに。
「……やめろ」
でも、今俺はそれを言わなければならない
妹の心を守り、人のままでいさせてやるためにも、絶対。
「やめろっ!」
怒号のような声は、確かに彼女に届いてしまったのだろう。
表情を失った仮面のような顔が、こちらにゆっくりと振り向くのがわかった。
【……………………お兄様…………貴方も…………お前も、私の敵か?】
何かが入り混じったような声。
やはり、彼女の中に住まうのは彼女だけではなかったようだ。
(これが、分岐点。見過ごせば、俺の妹はどこにもいなくなる)
人ならざる気配、高まる殺気、目の前には明らかなほどに死の可能性が転がっていた。
きっと、普段の俺ならとっくの昔に気絶して、周りの連中の仲間入りをしていただろう。
(でも……でもさ。俺は、こいつの兄だ。たった一人の肉親。守ってやらなきゃダメなんだ)
例え、その血が繋がっていなくても。
例え、その内に化け物を宿しているのだとしても。
俺達が紡いできた時間は、確かに家族のそれだった。
訳も分からず転生し、贅沢な暮らしができると喜び、末妹の名前を知って絶望した。
そして、おっかなびっくりと近づき、やがて情が湧いて色々と面倒を見てやった。
いつも後ろをついてきて、気づくと俺を追い抜かして、それでもお兄様、お兄様と慕い続けてくれたのだ。
(さすがに、一緒の風呂とか布団に入ろうと言い出すのはそろそろ卒業して欲しいもんだがな)
正直、上手くいくかはわからない。だが、やらないわけにもいかない。
だってそれが、自分を慕ってくれる妹への、果たさねばならない兄の責務なのだから。
「俺が、やる。お前の責任は全部、俺が被る」
【…………………………無能者に何かができると?】
「確かに俺は無能だ。だが、そんなことは関係ない。お前は、ただ俺に従えばいい。そして、全部押し付ければいい。重荷になるものは、全部」
妹より優れたところなんて、ほとんど無いに等しい。
昔から何をしても平凡で、それ以上では決してないのは自分でもわかっている。
でも、同時にたった一人だけ、彼女にとって絶対に頭の上がらない存在でもあるはずだ。
おしめを替え、立ち方を教え、言葉を教えてきた。
時間も、愛もできる限り注いで育て上げてきた。
母親も、父親も、兄も、全部まとめてやり遂げるつもりで。
嫌がる女官に母乳をやれというセクハラじみた命令をして、蛇蝎の如く嫌われるようになっても。
不吉な子の召使いだと周りに揶揄され、誰もが俺の側から離れていっても、ずっと。
【………………しかし】
「うるさい。俺は、お前の何だ?」
【……………………………】
「答えろ、暁蕾。それとも、俺の言葉など最早聞く価値がないか?周りと同じ無価値なものか?」
こんなに厳しい言葉を向けるのはいつぶりだろう。
俺の重荷にならぬようにと自害しようとした時か、それとも、王命の純粋な善意からの贈り物を平気で捨てようとした時だろうか。
記憶は朧気で、はっきりとした時期は思い出せない。
しかし、いつも強気な暁蕾がその時だけは毎回縋り付くように泣いてきたのだけは確かに覚えている。
【…………です」
か細い、まるで蚊の鳴くような声。
震えるその様子に優しい声をかけたくなる気持ちをぐっと抑え込む。
「は?聞こえないぞ?」
飛び上がるようにして跳ねた肩は、もはや化け物なんかのものではない。
俺の知っている……最愛の妹のものだとはっきりとわかった。
「お兄様、です」
「そうだ。俺はお前の兄、そして、何があっても裏切らない味方だ。だから、少しは頼れ。お前の細い体くらいならちゃんと支えてやる」
「っ……はいっ!はいっ!!お兄様っ!!!」
「よし」
兄妹で演じた、需要の微塵も無さそうな安っぽい舞台はどうやら終わってくれたようだ。
しかし、強引に押し切るために仕方がなかったことだとはいえ、隣に座る王明の反応を窺うのは若干怖い。
(ん?こいつ……なんでニヤけた顔してんだ?)
気の優しい小太りの礼部尚書。
しかし、変態じみたそのだらしない顔を見せられると、もしかしたら、味方にしたのは早計だったのかもしれないという考えが湧き上がってくる。
「………………まぁ、なるようになるか」
まずは、空を舞いながらこちらに向かってくる妹を怪我させないように抱えるところから始めよう。
俺は、白目を剥いて気絶するこの国の重鎮達から目を逸らすようにそう結論付けると、長い長いため息をついた。
キャラ構成の習作に近い作品です。
完全に未定ですが、割と好きなキャラになったので気が向いたら追加を作るかも。