8:ひとりで妄想の世界に入っていたわ
「ごきげんよう、みなさま」
「ご、ごきげんよう」
薄桃色のドレスの上から、それより濃いピンクの生地をぐるりと巻いて大きな花のコサージュで留めてある。
同系色なのもあって、違和感はまったくない。
エリーシャと二人でパーティー会場に行ったけれど、誰も染みつきドレスだなんて気づいていないわ。
ただひとり、染みを付けた張本人以外はね。
「エ、エリーシャ。ど、どうしてここにいるのよ!?」
ふふ、焦ってる焦ってる。
そりゃそうよねぇ。恥をかかせるために、本当はこのあと自分がエリーシャを迎えに行く予定だったんだもんね。
紅茶の染みがついたままのドレス姿を、参列者に見せるために。
ふぅ、原作通りの展開で良かったわ。おかげで先手が打てたんだもん。
「ふふ、エリーシャさんの妹さんでしたわよね? どうして……というのは、どういう意味なのでしょう?」
「ル、ルシアナ様っ。ど、どうしてというのは、その……な、なんでもございませんわ。ほほ、おほほほほほ」
おぉ、見事な逃げっぷりだわ。
私が悪役令嬢なのは、ヒロインの姉が意外と小物過ぎて悪役感がなかったからなのよね。
ふっ、真の悪役令嬢はわ・た・し・よ。
っと、悪役令嬢役に浸ってる場合じゃなかったわ。
「さぁエリーシャさん。あなたの社交界デビューですわ。楽しみましょう」
「は、はい、ルシアナ様」
安心したように微笑む彼女の手を取って、まるでエスコートしているかのように令嬢たちの前に出る。
二人そろって優雅にお辞儀をし、談笑の輪に入った。
エリーシャ、緊張しているけどちゃんと笑顔を浮かべているわね。
ルシアナの記憶ではあるけれど、私も初めての時はすっごい緊張していたわ。
普段は木登りだって出来ちゃうお転婆娘だったのが、パーティー会場ではそんな様子を見せちゃダメなんだもん。
参列者に笑われるのは私だけじゃない。カイチェスター侯爵家が笑いものにされるってことだからね。
ご令嬢たちのと談笑から少し離れ、エリーシャと二人で親世代の貴族らの輪へと近づく。
「いいですわね、エリーシャさん。ドレスの恩、ここで返して頂きますわよ」
「ま、任せてくださいルシアナ様」
紅茶の染み隠しは善意ではあっても、下心もちゃーんとあってのこと。
彼女にはちょっとした演技をお願いした。
まぁ捉え方によっては演技でもないんだけどね。
「まぁルシアナ様。ではカイチェスター家の別荘を、お売りになるおつもりなのですか?」
エリーシャがことさら大きな声でそう言い放つ。
わ、私の三文芝居より、凄く自然でお上手なんだけど。
「そ、そうなの。亡くなった母が欲しいからって購入したものの、一度も足を踏み入れていない別荘がいくつもあって」
「別荘がたくさんだなんて、聞くだけだと羨ましいですが。一度もお使いになっていないのは勿体ないですわね」
「えぇ。埃を被らせるより、どなたかにお譲りした方がいいと思いまして」
売りたい、というのは本当の事。
だけど「買ってください」と頼みまわるのは品位がない。
だがら──
「お求めの方がいたら、その方のお売りしたいなぁってお父さまともお話していたのです」
「でもそれでしたら、不動産屋はお通しにならないのですか?」
「えぇ。不動産屋を通せば、購入される方への負担にもなると思いまして。んー確か……不動産屋は買値の十倍の値を付けて販売する……と聞きましたから」
「じゅ、十倍ですか!?」
執事に調べて貰ったから、これは本当。
まったく、この世界の不動産屋はボリ過ぎよ。
「あ、でもルシアナ様。購入希望者様が複数人いらしたら、どうなさるのですか?」
「んふふ。それはね、とぉってもステキなことを思いつきましたの」
「ステキな?」
おっと、聞き耳立てている殿方や婦人がじわじわと近づいてきているわね。
よかった。この分だと別荘の売却計画も上手くいくかも。
「オークション! 最低金額を提示し、そこから希望者様に入札していただく方法です。楽しそうでしょ?」
この話はエリーシャにもしていない。彼女の素の反応を見てみたかったから。
するとエリーシャは首を傾げて「オークションってなんですか?」と。
おっと、まさかの反応だったわ。
でもそのキョトンとした顔が可愛らしく、近くの紳士がオークションについて説明してくれた。
「侯爵令嬢、口を挟んでしまい申し訳ございません」
「いいえ、お気になさらないでくださいオルウェイズ侯爵。とても分かりやすいご説明で、助かりましたわ」
「侯爵様、ありがとうございます。オークションってゲームのような感じなのですね」
エリーシャの無邪気な言葉に、侯爵は頷く。
オルウェイズ侯爵には幼いお孫さんがいるはず。そろそろ爵位をご子息に渡して、隠居したい年齢よね。
ただ……侯爵は我が家に結構な額を貸してくださっている方でもある。
そのお金が戻って来るまでは……とか考えているのなら、本当に申し訳なくって仕方ない。
お金の代りにお屋敷を、とは言いにくいけど、先方からオークションに参加してくれるなら願ったり叶ったりなんだけどなぁ。
「はぁー、これで別荘の件はなんとかなりそう。ありがとうエリーシャさん。私ひとりで話を広めるのは大変だったから、手伝って貰えて助かったわ」
「いえ、この程度でお役に立てるのでしたらいつでも! でもそんなに別荘があるのですか?」
「えぇ……ざっと二十以上……」
「えぇぇ!? う、凄いです。さすが侯爵家ですね」
ふ、ふふふ。買い過ぎて借金してんだけどね。
ご令嬢たちの輪からも、大人たちの輪からも抜け出し、今はエリーシャと二人で庭園に来ている。
庭園にも人はいるけど、私たちは少し奥の、誰もいない所で寛いでいた。
「いろんな人と挨拶をしたり話をしたり、結構疲れたでしょ、エリーシャ」
「はい……でもルシアナ様が傍にいてくださったので、楽しむ事も出来ました」
「そう。よかった」
うーんっと伸びをして空を仰ぐ。
こっちの夏は湿度がそうでもないから、カラっとした暑さでまだマシだわ。
とはいえ、あんまり長時間、本気モードのドレスなんて着ていたくない。
「はぁ、早く帰ってドレス脱ぎたいわぁ」
「ぷふっ。ルシアナ様もそんなこと、思うんですね」
「あったりまえよ。暑いものは暑いもん」
「ですよねぇ。ほんっと、暑いです」
二人で笑いあって、それからご令嬢たちから聞いた面白そうな話題を振り返った。
まぁだいたい恋話なんだけどね。
「私、貴族の方って幼い頃から婚約者が決まっているものだとばかり思っていました」
「ふふ、確かにそういう方もいるけれど、んー、一割ぐらいかしら?」
「少ないのですね。男性は二十歳を過ぎても独身の方が多かったですし」
「あー、男ねぇ。若いうちからさっさと結婚するより、遊びまわってからしたいのよきっと」
「ぶふっ。そ、そうなんですか?」
女は二十歳までに結婚してなきゃ売れ残りだと言われてる。
でも男は三十までにって話をよく耳にする。
だから貴族の夫婦は歳の差が十歳なんて、わりとザラだった。
帝国の第一皇子ベンジャミン殿下も、今年で二十五歳。
私は十七歳だから、八歳差だ。
まぁ皇子の場合は、次期皇后となる相手選びだから慎重になるのは当然なんだけど。
あぁ、それにしても。
エリーシャと話していると楽しいなぁ。
平民育ちっていうのもあって、飾らない所がいいのよ。
媚びへつらうこともなく、素直な気持ちを伝えてくれるところとか。
私の──ルシアナの理想の友達像なんだわ。
それでもルシアナは彼女を虐めた。
そうしなければ侯爵家が、弟が惨めな人生を送ることになるから。
きっと原作のルシアナも辛かったんだと思う。
友達になりたかったはずよね。
はぁ……このままだと私、ベンジャミン皇子をあっさり諦めちゃいそう。
二人が出会わなければ一目惚れイベントは発生しない。
だけどいつかどこかで出会ってしまうことだってあり得る。
そう、一目惚れ。
そうよ、一目惚れよ!
よく考えたらさ、婚約者がいる身で他の女の子を一目惚れするなんてあり得ないっしょ!
しかも婚約破棄後は、戦争を吹っ掛けてきた隣国の王女にこれまた一目惚れしちゃう訳よ。
尻かるっ。
え? もしかして婚約破棄しちゃっていいんじゃない?
我が家の没落を避けるためにって思ったけど、もし別荘の売却が上手くいったら借金返済の目処も立つんじゃ。
プランB、考えちゃう?
「──様、ルシアナ様」
「は!? ご、ごめんなさい。ひとりで妄想の世界に入っていたわ」
「ぷふっ。そうなんですね。表情がころころ変わっていたので、もしかしてと思いましたが。何か面白い想像でもございましたか?」
「ん……ちょっとね。でも内しょ──」
にこやかに笑って目を開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは見知らぬ男に口元を押さえられているエリーシャの姿だった。