5:お前はヒロインよりジュースかよ
翌日は宣言通り、侯爵家の騎士をひとり連れて町へ行くことにした。
最初にマダムのお店に行って、ひと揃えのアクセサリーを買い取って貰ったあとは紹介して貰ったお店へ。
そこでも何点か買い取って貰うと、この日だけで300万Lにもなった。
金貨一枚が10000Lなので、なんと三百枚分よ!
全部借金の返済で消えちゃうけどねぇ。
でもこの分だと、宝石貴金属類を全部売れば、借金もだいぶん減るんじゃないかな。
「んー、ちょーっとだけ未来が明るくなりそうな気がしてきたわぁ」
「よかったですねぇ、お嬢様」
「別荘の売却も進めなきゃね。でもどうやって売りさばこうかし──ん?」
通りの向こう側、噴水の脇に置かれたベンチにひとりの女の子が座っていた。
ただそれだけなのに、私の胸がざわつく。
ゆるく波打つ淡い茶色の髪と、濃い碧の瞳の愛らしい女の子。
どうして、なんで?
ここは王都の町中であって、パーティー会場ではない。
私たちはまだ出会うはずじゃないでしょ?
ねぇエリーシャ。
主人公のあなたがなんでこんな所にいるのよ!?
うぅ、ガクブル。
ま、まさか没落コースの前倒し?
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「ナッシュ卿。ううん、なんでも……」
なんでもない……ようには見えないわね。
ベンチに座ったエリーシャの顔色が、少し悪い気がする。それに辛そうだわ。
今日は少し日差しも強いし、熱中症?
うぅ。もう、なんで周りの人誰も気づかないのよぉ。
ほら、天使みたいに愛らしい子が、具合悪そうにしてるのよ?
……ああぁあぁぁぁっ!
私はあの子のせいで、人生没落街道まっしぐらになっちゃうのよっ。
だから声掛けたくないのにいぃぃっ。
「ね、ねぇあなた。具合が悪そうだけど大丈夫?」
もう声掛けちゃったじゃないいぃぃぃっ。
「え、あの……だ、大丈夫です。ごめんなさい」
あ、具合悪そうにしてたんじゃないや。泣いてたんだわ。
でもなんで……。
安物のドレスではあるけど、この恰好、そしてこの時期だと【祝福の乙女】の物語は始まってる頃じゃない。
もう子爵家にいるってことよね?
あ……そういえば、義母と腹違いの姉にいびられて、屋敷を抜け出したこともあるって描写があったわね。
すっごくシンプルに書かれていたけど、もしかして今がそのシーンだったり?
子爵家に彼女の居場所はない。
父親は彼女のことをそれなりに愛してはいたけど、多忙故にほとんど屋敷にはいないっていう設定だったわ。
愛されているからこそ、義母や姉にとっては余計に腹立たしかったのだろう。
知っているだけに、このまま放っておくのは良心が咎める。
「でもこのままじゃ熱中症で倒れてしまいますわ。ね、少し涼しい場所でお話しません?」
「あ……」
「ローラ、どこか涼めそうなお店ないかしら。ついでに喉が渇いたわ」
「向こうの通りにいいお店があります。氷の出るお店なんですよぉ」
「おぉ! それは是が非でも行かなきゃっ」
この世界では氷が貴重品だ。だって冷凍庫がないんですもの。
だから寒い地域から取り寄せるか、あとは氷の魔法を使える者に水を凍らせて貰うしかない。
王都からだと氷の取れる山まで何日も掛かる距離だし、たぶん後者かなぁ。
「あ、えと、私、その……お、お金持っていませんから」
「いーのいーの。ジュースの一杯ぐらい、奢ってあげるわよぉ」
少し強引にエリーシャの手を引いて、ローラが案内するお店へと向かった。
「もう、ナッシュ卿もお座りなさいってぇ」
「いいえ。自分はお嬢様の護衛で付き添っていますので、今は勤務中です」
「生真面目ねぇ」
そこそこイケメンのナッシュは、カフェに来ている若いお嬢様方の注目の的になっている。
しかも騎士のいで立ちをしているし、目立つ目立つ。
まぁ泥棒除けで同行して貰っているから、一目で騎士だと分かるいつもの恰好で来て貰ったんだけど。
カフェに連れてくるにはちょーっと不釣り合いだったかなぁ。
「ナッシュ卿。あなたは私の護衛なんですから、暑さで倒れられたら困ります」
「この程度の暑さ、どうということはありません」
「うるさい、命令よ。ここに座りなさい」
と、私の横で空席になっている椅子をパンパンと叩いた。
「ナッシュ様。お嬢様は言い出したら絶対に退きませんから、諦めてください」
ローラの援護射撃に折れて、ナッシュはふかーいため息を吐いてから椅子に座った。
そんな様子を、エリーシャは目を丸くして見ている。
こちらはお構いなしに店員を呼んで、氷入りのジュースを四つ注文した。
氷入ってないジュースの、十倍の価格よ……氷ビジネスすげぇ。
「お嬢様、自分は──」
「お嬢様命令よ。飲みなさいナッシュ」
「くっ」
「ナッシュ様、諦めましょう」
ローラもにっこり笑う。それから、
「ナッシュ様が飲んでくださらないと、私も飲めないじゃないですか」
と力説した。
身分で言えば、騎士のナッシュよりメイドのローラの方がずっと下。
だからナッシュが飲まなきゃローラが飲むわけにもいかない。
自分が飲みたいからナッシュにも飲め。ローラはそう言っている。
再びナッシュはふかーいため息を吐く。
「あっ、あっ、あの、わ、私はいりませ──」
「どこのご令嬢かは存じ上げませんが、ご令嬢がお飲みになられないのなら自分も飲む訳にはいきません」
おっと、ナッシュ卿。ローラの作戦を利用する気ね。
「ナッシュ様が飲まないのなら、私も飲めませんわね」
ここでローラが哀愁漂う視線で、今まさに運ばれて来たジュースを見つめた。
で、私は構わずストローでジュースをかき混ぜ、一口飲む。
「んん~っ。冷たくって美味しい。はぁ、みんなも早く飲めばいいのにぃ。生き返るわよぉ」
美味しいアピールをしてエリーシャをちらりと見る。
「ぁ……」
グラスに手を伸ばそうとしたけど、引っ込めてしまった。
飲みたいっていうのはあるんだろうけど、お金なんか気にしなくていいのに。
いや高級なジュースだし、私も無駄遣いしちゃいけない立場だけどさぁ。
あ……そうか。アレを気にしているのね。
確か最初の頃に義母や姉の虐めの理由が、それだったもんね。
グラスに刺してあるストローを引き抜き、ぐわしっと掴むと一気飲みする。
「お嬢様、またそんな……はしたないですよ」
「ぷはぁーっ。だって喉乾いてたんですもの。ちみちみ飲んでたら、喉を潤せないわ。ね、あなたもそう思うでしょ?」
エリーシャに視線を送ってから、店員さんにジュースをもう一杯頼んだ。
「さぁ飲んで。なんだったら私みたいに一気飲みしてもいいのよ?」
そう言うとエリーシャは頬を赤らめ、それから首を振ってそっとストローに口を付けた。
「はぁ、冷たい。冷たくて美味しい」
「でしょ? さ、ナッシュ卿。隣でローラが干からびてるから、早く飲んであげて」
「は、はいっ」
ナッシュ卿は流石にストローなんて使ったことがないようで、一気に飲もうとして──咽た。
可愛い奴。いや、二十代半ばを過ぎてるから一〇歳ぐらい年上なんだけどさ。
咽てるナッシュ卿を無視して、ローラは涼しい顔をしてジュースを飲んでいた。
かわいそうなナッシュ卿。
「もう、しようのない方ですねぇ」
ナッシュ卿の背中をトントン叩いて落ち着かせてやる。
「す、すみません」
「殿方はストローではなく、直飲みの方がいいわよ」
「そ、そうさせていただきます」
ようやくナッシュ卿が落ち着き、二杯目のジュースが運ばれてきたところで──
「ぷっ。ふふ、ふふふふふふ」
エリーシャが、原作に書かれた通りの笑顔を零す。
お花畑に舞い降りた天使のような笑みを。
うおぉっ、眩しっ!
さすがヒロインパワー。サングラスでも欲しいわ。
こーんな笑顔を見せられたら、きっと男キャラはイチコロよねぇ。
ナッシュ卿の目がハートになってたりしてぇ──おや?
ヒロインの笑顔パワーを見たのに、ジュース飲んでグラス見つめてる。
あ、顔が緩んだ。
そんでまたジュース飲んだ。
お前はヒロインよりジュースかよ!