私がなんでこの人に?
「――くん!!また書類に誤字があるよ。これで何度目だね。新卒だからって甘えるのも大概にしなさい!」
「も、申し訳ございません!すぐに訂正したします」
上司の怒鳴り声がオフィス全体に広がる。こんなのは日常茶飯事で、反応するのは私だけ。周りは慣れたも、デスクに向かって仕事をしている。
足早に自分のデスクに戻り、パソコンとにらめっこ。渡された書類と原稿を照らし合わせて、不備を再確認する。言われた通り誤字がいくつも発見してしまう。
もう何度目か分からない書類訂正。その度にこの繰り返し。時間は9時半過ぎ。定時で帰るなんて入社1年目の一日目だけ。「お先に失礼します」と言ったらバッシングを受けるに決まってる。
この会社に入るまで、大学では男と遊んでばかりだった。朝帰りは当たり前で、彼氏だって二ヶ月で別れて何回取り換えたか覚えていない。
そのせいか男癖が悪く、就職してから寄り付かなくなってしまった。心が干してる。
こんなクズな私を愛してくれる誰かは居ないのか。ブラック企業で心身ともに困憊した私を、癒してくれる最高の人は。
「お茶……取りいこう」
体が水分を求めている。席を立って、ゆっくり歩こうとしたら、私の意識がぷちんと切れた音がした。体は前方に倒れて、大きな音を立てて地面と衝突した。
「――さん!そんなとこで倒れたら危ないで――」
部下が倒れたら、心配するのではなく、注意をするなんてどんな上司なんだ。薄れていく意識の中で思ったことはただ1つ。
誰かと、結婚したい。子供と戯れて、綺麗な家にただ家事をするだけでいい幸せな生活をしたい。
――――――――――――――――――
誰かが体を揺すっている。優しい揺すり方で揺れは微かにしか感じ取れない。看護師さんが気遣ってくれてるのかな?
起きれないことも無いので、ゆっくりと目を開ける。ぼやけていた視界が次第に晴れていき、私の意識も完全に復活した。
「奥様!お、おはようございます。よ、良く眠れましたでしょうか……?」
声のした方に視線を向けると、オドオドした口調で見つめてくる小柄な女の子。
看護師には似合わない、メイド服の中でも、ヴィクトリアンと呼ばれる、質素な格好をしてる。どこか不安そうで目逸らす気配がない。
あれ、病院ってこんなに煌びやかなところだっけ? 天井を見れば、今にも落ちてきそうなシャンデリア。窓淵は金で囲まれていて、ベットもキングサイズある。
「あ……あの、具合が悪いのでしょうか? でしたら、すぐに医者を呼んで参ります」
無言に不信を抱いたのか、焦ってソワソワし始めてる。なんか言葉をかけないとまずいかな。
そう思って、まじまじと彼女を見て返事をしようとしたら、頭の中にある単語が浮かんできた。
――――"ペリーナ、おはよう"
私の声じゃない。低い女性の声で、愛想がない。早口でつまらないそう。この声には聞き覚えがあった。
私が高校生の時にどハマりした乙女ゲーム。「Never Love 〜止まらない恋の波動〜」のキャラだ。
彼女はペリーナ。常に不安そうな目付きをしていて、髪の毛も無造作に整えられていて、顔から疲労が溜まっているのが分かる。
そして、彼女が仕えているのが、このゲームの悪役、サドラ・マーシュレト……ではなく、その母親、エルリア・マーシュレトだ。
サドラが悪役になってしまったのはエルリアが原因と言っても過言ではない。
彼女の気性は荒く、サドラにとても強く当たっていた。何事にも完璧を求める性格で、サドラはその犠牲者となり、やがて、社交界に現れるヒロインをいじめるようになってしまう。
「ペリーナ。鏡を、貸して下さい」
ドキドキする心臓を堪えて、ペリーナを見つめた。多分、急な敬語と唐突な発言に驚いて混乱してるはず。私も混乱してるけど。
小走りでドレッサーに置いてある大きな手鏡を取った。
「ど、どうぞ……」
恐る恐る差し出される手鏡を優しく受け取る。ペリーナは更に不思議そうに首を傾げるばかり。
ふうと一息つき、勢いよく鏡を顔の前に出す。間違いない。この顔を見て確信してしまった。
かき分けた前髪、綺麗に揃えた藍色のボブ、つり上がった眉毛に似合わない金色のタレ目。大人しそうに見えるが、間違いなく、この顔は、"エルリア・マーシュレト"だった。
初投稿です。暖かい目でお願いします。