婚約破棄して結婚したら、最愛の人が死んだ
「ジャッキー! 何故だ! 何故、こんな事を?!」
報告を受けて寝室に駆け付けたイアンは、変わり果てた愛妻を目にした。
シーツで自らの首を絞めたらしい。
発見した時には、既に手遅れだったと言う。
「ジャッキー! 目を開けてくれ!」
妻の遺体に取り縋り、悲痛な声を上げるイアン。
最近、元気が無いとは思っていたが、まさか、自殺するなんて思ってもいなかった。
「お前達! 何故、もっと早く様子がおかしいと教えなかった?!」
イアンは、ジャッキーの侍女達に怒りをぶつける。
「お、恐れながら申し上げます。私共は、何度も殿下にご報告申し上げております」
「何だと?!」
「殿下は、その都度『気にし過ぎだ』と仰いました」
言われて思い出したイアンは、後ろめたそうに顔を背けた。
「し、しかし、一体、何を気に病んでいたんだ? 子供が出来ない事か? しかし、まだ結婚して一年ではないか」
ジャッキー本人がイアンに悩みを打ち明けていた事を知っている侍女達は、心当たりが無い様子のイアンを怒りと軽蔑の目で見ていた。
「クリスティン・キングスベリー! 貴様との婚約は破棄する!」
五年前、イアンは当時の婚約者であるクリスティンに婚約破棄を言い渡した。
国王主催の夜会の最中だったが、我慢がならなかったのだ。
「何故でしょうか?」
イアンは、近年研究が行われ始めた心の病とやらにかかっていたクリスティンを嫌っていた。
ただの暗い性格と怠け心に機嫌取りの病名を付けて、クリスティンも医者も軽蔑に値すると思っていた。
その時も、王太子である自分が話しかけたと言うのに、病を理由に座ったままだった。
誰も彼も、クリスティンが王太子の婚約者だからと甘やかしていると、苛立ちを強くした。
「惚ける気か!? ジャッキーを階段から突き落としておいて! その前から、ドレスにワインをかける等の嫌がらせをしていたそうだな!?」
言いながらイアンは、クリスティンを恐れて自分の胸に縋っているジャッキーを安心させる為に肩を抱いた。
「恐れながら申し上げます。殿下、クリスティン様がジャッキー様のドレスにワインをおかけになられたとのお話ですが」
そう口を挟んで来たのは、心の病研究の第一人者でありクリスティンの主治医であるルイスだった。
「ジャッキー様の方からぶつかったと言う事で、解決した筈ですが」
「クリスティンが権力を使い、ジャッキーにそう言わせたのだろう。可哀想に」
「お言葉ですが、あの場にはマーガレット王女殿下もいらっしゃいました。王女殿下がジャッキー様を嫌っていらっしゃるとお考えですか?」
「姉上が、ジャッキーを嫌う筈は無い」
心からそう信じているイアンは、では、何故、ジャッキーに救いの手を伸ばさなかったのかと疑問に思った。
「そもそも、ジャッキー様は、何故、あの場にいらっしゃったのでしょう?」
「何?」
「殿下のご婚約者様に、何の御用があったのです? 宣戦布告でしょうか?」
「わ、私は、その……。で、殿下を捜していたんです!」
ジャッキーは、困った様子で説明した。
「ぶつかる位近付かなくとも、殿下がいらっしゃらない事は分かりそうなものですが」
「そ、それは、辺りを見て殿下を捜していたから」
「私は貴女がクリスティン様に近付かれるのを見ておりましたが、真っ直ぐ見据えていましたよね」
「出鱈目を言うな!」
「私にも、そう見えたわ」
イアンが怒鳴ると、聞き覚えがある声が後方からかけられた。
「姉上……?」
味方の筈のマーガレットがルイスの言葉を肯定した事に、イアンは困惑した。
「だから、あの件は、ジャッキーに非があるとして解決したのよ。それなのに、クリスティンの所為にするなんて……」
マーガレットに睨まれたジャッキーは、怯えたようだった。
「で、ですが、姉上! クリスティンはジャッキーを階段から突き落としたんですよ!」
「その件は把握しておりますが、何故、ジャッキー様はあの場にいらっしゃったのですか?」
再びルイスが尋ねた。
「え?」
「帰宅時間は混雑を避ける為、家柄によって決められておりますよね? 男爵家の貴女が、公爵家の皆様の帰宅時間に、何故、あの場にいらっしゃったのですか?」
「……それは」
ジャッキーは、理由を直ぐに説明出来なかった。
「そ、そうです! 呼び出されたんです!」
「何故、それを今頃になって明かしたのですか?」
ジャッキーは、何も言えずに俯いた。
「貴女が階段から転落した件は、他の公爵家の方々の目撃証言から、貴女自身で転落したと言う事で解決しています」
「で、でも……」
「ジャッキーは、殺されかけたショックで何も言えなかったのだろう」
イアンがジャッキーを庇うと、漸くクリスティンが立ち上がった。
「マーガレット様、ルイス先生。私の為にありがとうございます」
二人に感謝の言葉をかけたクリスティンはイアンに向かって一歩踏み出し、貴婦人の礼を執った。
「イアン殿下。この度は、婚約破棄して頂き誠にありがとうございます」
イアンは耳を疑い、呆けたように口を開けた。
「な」
「ジャッキーさん。頑張ってくださいね。貴女ならば上手くやれるでしょうから」
ジャッキーも予想外の反応に困惑し、立ち尽くした。
その後、マーガレットの強い薦めもあり、国王はイアンとジャッキーの結婚を認めた。
二人は婚約し、一年前に結婚した。
順風満帆で幸せ一杯の新婚生活。
しかし、何時からかジャッキーの笑顔は失われた。
まるで、クリスティンのようになったジャッキーを、イアンは根気良く励ました。
「お義母様に嫌われているようなの……」
「何を言っているんだ。気の所為だよ」
度々、王妃と上手く行っていないと思い込んでいたが、その度否定して安心させてやった。
「時々、死にたくなるの……」
「ははは。幸せ過ぎてかい?」
そんな冗談を交わした事もあった。
「恐れながら、殿下。妃殿下は精神的に追い詰められている様子。どうか、王宮を離れてご静養を」
「気の所為だろう。追い詰められる理由なんて無いじゃないか」
ジャッキーを大切に思っている事が窺われる侍女頭の進言は嬉しかったが、精神的に追い詰められている訳が無いので、イアンはそう言って気付かせてやる。
「一度、ジャッキー様をルイスに見て貰っては?」
何故か侍医にそう言われたが、ルイスは信用出来ないので必要無いと断った。
実際、ジャッキーは病気ではないと思っていた。
「恐れながら申し上げます。どうか、王妃様から王太子妃様をお守りください」
「母上がジャッキーに危害を加えるとでも言うのか? 不愉快だ。今回は許すが、次は無いぞ!」
しつこくジャッキーの静養を進言して来る侍女頭が、まるで、母が嫁いびりしているかのように言うので、イアンは叱った。
「貴方は、相変わらず見たいものしか見ないのね。クリスティンが幸せになって良かったわ。病気が治って、結婚して子供まで生まれて」
「何故、そんな事を言うんです?」
マーガレットに非難されても、イアンは物事をちゃんと見ていると自負していたので、何故そう言われるのか解らなかった。
ジャッキーが心を病んでいる事に、彼女を最も愛しているイアンだけが気付かなかった。
「イアン、可哀想に」
「母上……」
白々しく息子を慰める母を、マーガレットは冷たい目で見ていた。