年下男子が生意気です。渡り鳥
私は高校の時
沖君のことが好きだった。
もうそれは
動かしようのない事実なんだ───────
そろそろ病院に向かわなければいけない。
わかってはいるのだけれども足が重くて動かない。
担当医である沖君に会わないわけにはいかないし、話だってしなきゃならない。
そんな中で再び膨らみ始めたこの想いをどう抑えたらいいのだろう……
顔を見たらまた自覚してしまう。
沖君のことが好きだって──────
早くしないと入院受付の時間に間に合わなくなる。
ため息を付きながら玄関のドアを開けようとしたら、会社から電話がかかってきた。
佐々木さんが今朝、救急車で病院に運ばれたというのだ。
大きなストレスによる過敏性腸症候群らしく、下痢が止まらないのだと……そんなに嫌だったんだ。
仕方がないので手術はキャンセルさせてもらい、海外出張には私が付き添うことになった。
これでいい。
もう病院も変えよう……
沖君とは、二度と会わない方がいいんだ。
沖君は学校でやたらと私にちょっかいを出してくるようになった。
「りつ先輩一人なの?俺もちょうど今一人だから送るよ。」
「送らなくていいから。」
「りつ先輩一人?お昼一緒に食べよっ。」
「勝手に人のお弁当食べないでっ。」
「りつ先輩一人?どこ行くの?」
「トイレに行くだけだから!」
「りつ先輩、なんか顔が真っ赤だよ?」
「あなたが脇腹をつつくからでしょ!!」
なんなんだあの子は!!
紗奈がニヤニヤしながら私を見てくる。
「沖君て律子にすっごく健気よね〜。」
「どこが?!迷惑行為以外の何ものでもないんだけど?!」
「律子はさあ、年下のイケメンボーイにあんだけ愛されてんのにグラッとこないの?」
「だからどこがよ?!どう考えたって私で遊んでるだけでしょうが!!」
だいたいそもそも前提からして間違えている。
沖君が私のことを好きなわけ─────
「りつ先輩、好きだよ。」
────好きなわけ…な……い…って、あれ?
「だから付き合ってよ。てか、もうそろそろ俺達付き合おうよ。」
なぜそうなる?
ここは電車の中で、沖君はさっきまで昨日見たテレビのバラエティ番組の話をしていなかったっけ?
キラキラ笑顔で私からの返事を待つ沖君を、しばし見つめてしまった。
「……私前に、男女交際は結婚を考えている人じゃないとって言ったよね?」
「もちろん考えてるよ、結婚。」
そんなに真剣に私のことを……?
とはならないっ!
軽いっ軽すぎる!!
「沖君…悪いんだけど、私はアホウドリみたいな付き合い方がしたいの。」
「……アホウドリ…?」
アホウドリは一夫一妻制だ。
そう言われている動物は数多くいるが、詳しく調べてみたら共に育てている子供が夫のDNAではなかったりするのだという。酷い話だ。
でもアホウドリは、一生涯一人のパートナーだけと死ぬまで添い遂げるのだ。
1年の大半、アホウドリは完全に遠距離恋愛なのに不倫も離婚もほぼない。
パートナーが生きているかどうかさえわからずに、時が来たら絶海の孤島で再会することを願い旅をする。
切れることのない絆を頼りに、時間と空間を超えてただ一人を愛し続けるのだ。
複数の人と同時に何人も付き合える沖君にはきっと理解し難い関係だろう。
この話をするとみんなドン引きする。
そんな理想や価値観は幻想に過ぎないと……
でも私はそういう風に両親から教えられて育っているし、今更変えられないし、変える気もない。
さすがの沖君も私に引くかと思ったのだが……
「へーいいねっ!なろうよ俺らもアホウドリ!」
斜め上からの答えが返ってきた。
ちゃんとアホウドリの話を聞いていたのだろうか。
「一生涯に一人だけなんだよ?沖君は付き合った人が何人もいるんだからもう無理でしょ?」
「今までのはノーカンで。まあこれからの俺を見てよっ!」
自信満々に胸を叩いて言うのだけれど、今までの沖君の行動からして到底信用出来るわけがない。
どの口が言っているんだろうか……
あまりにもポジティブすぎて笑けてきた。
本当に、沖君て──────
「なに?俺そんなにおかしなこと言った?」
電車の中なのに笑いが込み上げてきて止まらなかった。
「りつ先輩、笑ったらめっちゃ可愛い。チュウしていい?」
「いいわけないでしょ!もうっ!」
真っ白な羽根を広げて大空へと羽ばたき、絶海の孤島で待つ私の元へと舞い降りる沖君の姿が浮かんだ。
私の中で父と母はまさにアホウドリのような完璧な夫婦だった。
お互いに相手のことを思いやり、尊敬し合う……
その関係は死がふたりを分かつまで続くのだと、信じて疑わなかった。
あの日までは───────
ある日予備校から帰ると家の中が真っ暗だった。
ダイニングのテーブルにはスーパーの袋に食材が入ったままの状態で置かれていた。
すぐに冷蔵庫や食品棚にきちんと入れ分ける母にしては珍しい……
暗いリビングの方に目を向けると、母がまるで抜け殻のように黙って座っていた。
「お母さんどうしたの?気分でも悪いの?」
電気を付けると、明るくなった部屋に何枚もの写真が散らばっているのに気付いた。
その写真には、父が見知らぬ若い女性と写っていた。
これは──────………
「お互い真面目に生きてきたのに…馬鹿みたいだったわ。」
父は最近家を空けることが増えていた。
その行動に不信を抱いた母が、調べてもらうよう興信所に頼んだのだ。
相手の女性は父と同じ高校で働く新人教師らしい。
母もだけれど、父も母しか知らない。
免疫がない分、余計に若い女性から言い寄られて舞い上がってしまったのだろうかと、母は言った。
悲しんでいる母になにも声をかけてあげられない。
頭の中が真っ白だ………
「ごめんね律子。これからはもっと自由に生きなさい。でないと、お母さんみたいに惨めな思いをすることになるわ。」
私はその言葉を
どう受け止めればいいのだろう……
目指している志望大学への判定が、AからCに落ちてしまった。
季節はもう秋だというのに、勉強に集中出来ない。
父の浮気を知った日は取り乱していた母も、その後はなにもなかったように父と過ごしていた。
きっと私の受験が終わるまでは事を荒立てないように我慢しているのだと思う。
気丈な母らしい……
「すっげぇ良い天気!こういうのを小春日和っていうんだよね、りつ先輩っ。」
「……そうね。」
「りつ先輩の手作り弁当、いつ見ても美味そうっ。今度俺にも作ってよ。」
「……そうね。」
「もう予鈴のチャイム鳴ったよ?りつ先輩、教室に戻らなくていいの?」
「……そうね。」
父や母のようにとずっと真面目に生きてきた。
それは間違いだったのだろうか……
これから私に、自由に生きろと……?
……自由ってなに?不真面目にするってこと?
髪を茶色に染めてピアスでも開けてみる?
茶色といってもあまり明るくならない方がいいよね。栗色くらいが柔らかくて初対面の人にも好印象かしら。
髪が痛まないように地肌にも良いカラー素材を使っている美容院でしてもらわないと。
ピアスはちゃんと病院で開けて……その前に金属アレルギーがないか調べとかないと心配だわ。
開けたあとは膿まないように毎日消毒しないと。
ピアスを開けるのに良い時期ってあるのかしら────
────って。
真面目か!
自分の思考回路に突っ込まずにはいられない。
なに不真面目にすることを真面目に検討しているのだろう……
ふと視線を感じて横を向くと、沖君の顔がスレスレなところにあるもんだから驚いた。
「な、なに沖君?」
「りつ先輩、最近俺が話しかけてもずっと上の空。」
「そ、そう?えっと…もうそろそろ予鈴の時間よね?」
「とっくに本鈴鳴ったから。」
周りを見渡したら屋上には私達二人だけになっていた。
チャイムの音が全然耳に届いてこなかった。
慌てて立ち上がろうとしたら沖君に腕をグッと捕まれた。
「いいじゃん。このままサボろうよ。」
いやいや、サラリとなにを言っているの?
いやいや、待てよ……これが自由ってことか?
でも次の授業は私の苦手な数学だから出ておきたい。
暗記物の教科や副教科ならまだサボれるのかもだけど……
でも体育の先生は進路指導担当で、印象を悪くしちゃいけないから除外ね……って。
こんなことを長々と考えているから私は堅いって言われるんだわっ。
結局…私には授業をサボるだなんて無理ね。
「沖君も早く教室に戻るよ。ほらっ。」
腕を引っ張ろうとしたら反対に引き寄せられ、両手で抱きしめられてしまった。
「俺って…りつ先輩から見て、そんなに頼りにならない?」
…………沖君?
「りつ先輩悩んでるよね?辛いんだったら、俺の胸で良かったらいつでも貸すから。」
そう言うと沖君は、私の体をさらに強く抱きしめた……
四月に会った時は私とそんなに背は変わらなかったはずなのに、今では沖君の腕の中にスッポリと収まってしまう……
いつの間にこんなに大きくなっていたんだろう……?
私にとって沖君は二歳下の年下の男の子だ。
みんなは彼をカッコイイと騒ぐけれど、私には手のかかる可愛い弟みたいな存在になっていた。
だからドキッとするようなことをされても言われても、年下のくせに生意気だなあとしか感じていなかった。
なのに──────
今私を包み込む沖君の骨ばった手とか肩とか、筋肉質な胸板とか……
温かな体温も、耳に聞こえる呼吸音でさえグンと大人っぽく感じてしまった。
毎日見ていたから私が気付かなかっただけで、沖君はいつの間にか大人になって……いや、違う……
大人っぽくなったんじゃない。
男になっていたんだ。
そう気付いたら沖君のことを意識せずにはいられなくなってきた。
顔がみるみるうちに赤く染まっていく─────
「……ねえりつ先輩。それっていつもの赤面症?それとも……」
沖君が私の鼻に、自分の鼻先をチョンとくっ付けてきた。
「ようやく俺のこと、男として意識した?」
琥珀色の瞳で私のことを挑発的に見下ろしてきた。
なんなの、この背中からゾクゾクとわき立つくすぐったさはっ?!
「沖君っ、離れっ……」
「離れてもいいの?」
今すぐ離して欲しい。でも……もっとくっつきたいとも思ってしまう。
自分でもこの相反する感情をどうしていいのかわからず、モジモジと落ち着きがなくなってしまった。
「りつ先輩、耳まで真っ赤。いつもは年上ぶってるのに、そういうとこがホント、可愛い。」
これ以上なにか言われたら溶けるかもしれない。
沖君は私のおでこにチュッとキスをすると解放してくれた。
「今日はここまでにしといてあげる。教室に戻っていいよ。」
私の方が2歳も年上なのに、こういうことに関しては沖君の方がずっと先輩だ。
なによっ……生意気なんだからっ……!