年下男子が生意気です。約束
終わりのSHRの後、紗奈のクラスへと向かおうとした足が止まった。
そう言えば紗奈…彼氏が出来たとか言ってたな。
野球部だったか弓道部だったか、タクマだったかタクワンだったか……
昨日真夜中に電話してきて嬉しそうに話してたけどなんだったっけな。
まあまたすぐに別れるだろうから思い出す必要もないか。
しばらくは一人で帰ることになるけれど、読みかけの小説があるからちょうど良かった。
今日は生徒会活動も予備校もない。
こんなに早く家に帰れるのは久しぶりだった。
「マコ〜ゲーセン行こうぜゲーセン。」
「ダメー!マコはうちらとカラオケ行く約束してるから!」
「違うよ〜。マコちんは今日は私とデートすんの〜!」
靴を履き替えていると一年生の下足室の方から騒がしい声が聞こえてきた。
マコという子はえらく人気があるようだ。
そういえばあの生意気な年下男子の名前って……
「りつ先輩一人なの?俺もちょうど今一人なんだ〜っ。」
下足室を出るなり沖君から呼び止められた。
沖君の下の名前は誠だ。
一人って……あなたのすぐ後ろで私を恨みがましく見ている女の子達は背後霊かなにかなのだろうか……
沖君は駅へと歩いていく私に、ずっとくっついてきた。
「一人もん同士遊びに行かない?」
「親から寄り道は禁止されてるの。」
「じゃあLINE教えてよ。夜にメールする。」
「スマホは持たされてないわ。勉強の邪魔になるから。」
「もしかして男女交際は一切ダメとか言われてる?」
「結婚を考えている人となら良いと言われてるわ。」
「なんかりつ先輩の親ってさ〜……」
ああまただ。
私の親の話をすると大抵の人は引く。
私に同情の言葉をかけてきたり、有り得ない等と親を悪く言ってきたりするのだ。
私は親には凄く感謝しているのに……
「りつ先輩のこと、めっちゃ大切に思ってない?」
──────なっ………?
「高三の娘のことをそこまで心配してくれる親って、なかなかいないよねっ。」
なによ……年下のくせに。わかったように言ってくれちゃって……
そんな風に返してきた人は初めてだった。
「りつ先輩ってどの駅で降りんの?送るよ。」
「送らなくていいから。」
なんなのだろう……
この胸のフワフワとしたこしょばい感じは。
沖君は一緒に電車に乗り込むと当たり前のように私の横に座った。
いつもならもっと強く言って追っ払ってやるのに、彼といるとどうも調子が狂うようだ。
無視を決め込んで小説を読んでいる私に、構わず話しかけてきた。
「じゃあ当てたら送らせてね。下田駅?三国駅?茨木駅?」
正解の駅名を言われたところで、カァーっと赤く反応してしまった。
「桜坂駅か!わかりやすっ!」
人の赤面症を嘘発見器みたいに使わないでもらいたい。
「ちょっと沖君。いい加減に……」
「俺もちょうど桜坂に用事があったんだ〜。りつ先輩付き合ってくれます?」
付き合ってって……なんで私がっ?
一体なにを考えているのだろうか……
どうやら変な子に懐かれてしまったようだ。
「あ、この場合の付き合うは買い物にって意味ね?」
「それくらいわかってるわよ!!」
沖君は甘えるように私の肩にコロンと頭を乗せてきた。
「俺は男女の付き合うでも全然構わないんだけどな〜。」
髪から漂う甘い香りにますます顔が赤くなる……
日頃から男を避けている私には刺激が強すぎだ。
「沖君離れて。こういうのは彼女にすべきことよ。」
「りつ先輩、俺の彼女になってくれるのっ?」
なぜそうなる。
「私に六人目になれっていうの?冗談じゃないわ。」
「あ〜それなら全部別れた。」
……うん?別れた?
いや、そもそも複数の女性と付き合うこと自体がおかしいから、当然といえば当然なんだけど……
「どういう心境の変化なの?」
「う〜ん…なんか面倒臭くなった。」
「相手の女性に対して失礼だとは思わないのっ?」
「今は良いお友達だけど?てか、りつ先輩堅いから。」
これは私の考え方が堅いのか?全く理解出来ないっ!
イライラする私の横で沖君は、先程からチラ見してきていたセーラー服姿の女子高生達とLINE交換をしたり、後から乗車してきたおばあさんにどうぞと席を譲ってあげたりしていた。
こんなに掴みどころのない子は初めてだ。
一緒に下車した沖君は、駅前のクレープ屋さんの前を通ると食べたいと言い出した。
あると言っていた用事はどこにいったんだろう……
「りつ先輩のも奢るよ。なにが好き?」
「私はいらない。」
「じゃあ当てたら食べてね。イチゴクリーム?塩キャラメル?チョコレート?」
「ちょっ…沖君っ。」
「黒蜜きなこか!わかりやすっ!」
だから人の赤面症を嘘発見器みたいに使わないでもらいたいんだって!!
結局家まで歩きながら食べることになってしまった。
私の黒蜜きなこを頂きと言って横から一口食べられてしまった。
いいともなんとも言ってないのに……
どう育てたらこんな自由な子に育つんだろ……
「沖君の親はどんな人なの?」
「一言で言えば放任主義。」
思った通りの答えが返ってきた。
子供はのびのびと育てる主義のご両親なのだろうと思ったのだが……
「俺にだけだけどね。家族の中では俺って空気?みたいな存在だし……」
触れてはいけない質問だったのだろうか。
透き通るような琥珀色の瞳が暗く陰ったように見えた。
「沖君が空気ってなに?もっとわかりやすく言ってくれる?」
「……凄いなりつ先輩。そこ掘り下げて聞くんだ。」
沖君の親戚はみんな高学歴らしく、二つ上の兄はとても優秀で県内一の私立の進学校に通い、東大を目指しているのだという。
自分は出来損ないの弟で小さな頃から比べられ、今では親からも諦められているらしい。
うちの学校だってそれなりに偏差値の高い公立高校なのに……
「沖君いい?やりたいことも秀でた才能もないのなら、やはり勉強はしとくべきよ。未来の自分のために。」
「……凄いなりつ先輩。普通ここは優しい言葉をかけるとこなのに追い込むんだ?容赦ないな〜。」
沖君は顔では笑っていたけれど、どこか苦しそうに見えた。
もしかして私の親のことをああいう風に言ってくれたのは、自分があまり親からは大切に思われていないと感じでいるからなのだろうか……
だとしたら……
私が以前、あなただけを一番に大切に思ってくれる女性に早く出会えるといいわねと言った言葉は、とても無神経だったかも知れない。
自分の感覚が人とはズレてしまっていることはわかっている。
「……沖君ごめんなさい。言いすぎたわ。」
「えっ、なに急に?!」
正しいことだとしてもそれが人を傷付けてしまうことがあると、何度も学んだはずなのに……
シュンとする私を見て、沖君の頬が赤くなった。
「なぜ沖君が赤くなってるの?風邪?」
「いや、ちょっと……ギャップ萌え。全然平気なんで、大丈夫です……」
クレープを食べ終わる頃にちょうど家に着いた。
とても美味しかったと、沖君に深々と頭を下げてお礼を言った。
「りつ先輩。俺がいつか親に認められる日が来たらご褒美くれる?」
「……ご褒美?」
沖君が眩しいくらいの笑顔で小指を差し出してきた。
「そう、ご褒美。とびきりのやつもらうから!」
そして私達は
小指を重ねて指切りげんまんをしたんだ──────
沖君のあのキラキラした笑顔だけは、今でも私の中で眩いほどに輝いていて………
──────あの約束は
今でも有効だったりするのだろうか……?
仕事中なのにどうしても顔が浮かぶ。
今現在の大人の沖君が、キラキラ笑顔全開でスマイリングしてくる……
どうした私。しっかりしろ。
昨日徹夜で仕上げた資料を手に持ち、デスクからスクッと立ち上がった。
「佐々木さん。これ明日からの出張のタイムスケジュールだから。目を通しといてね。」
「ほ…本当に、私なんかに務まるのでしょうか?」
秘書課に配属になったばかりの佐々木さんが私の代わりに専務の海外出張に同行する。
佐々木さんには荷が重いのではと私も専務に助言したのだが、新人こそ経験が大事なのだと譲らなかった。
ただ若くて可愛い子を選んだだけだと思うのだが……
「私英語もあんまりだし…やっぱり無理です……」
「大丈夫よ佐々木さん。考えられる限りのトラブルへの対処法も書いておいたし、現地では日本語も話せる人に対応をお願いしているから。」
泣きそうな佐々木さんに一抹の不安を感じながらも、私は午後から有休を取って歯医者へと向かった。
かれこれ10分ほど「ユニット」の上に座って待っているのだけれど、沖君がなかなかやって来ない。
というのも……
「マコト先生〜まだ歯が痛ーいっ。」
「そうですか?治療の方はもう全部終わりましたよ。」
「まだ行っちゃダメっ。ここに居て診察してよお。」
「とりあえず薬を出しますので様子を見ましょうね。」
さっきから隣の診察室にいる患者の甘ったるい声が聞こえてくる。
沖君…カッコイイから患者さんからモテモテなんだろうけれど、大変そうだな。
にしてもここの病院の名前──────
歯医者と書いてあったから看板をよく見ずに飛び込んだんだけど、マコト歯科医院って……
「この病院?そうだよ。俺が医院長。」
ようやく来た沖君が、私の質問に今更といった感じで答えた。
26歳の若さで一国の主なんだ……歯医者になってることでさえ驚いたのに。
高校一年生の時の成績は学年で下の方だったのに、それに比べたら凄い出世だ。
「今、逃がした魚は大きかったって悔やんだでしょ?」
私の様子を見て小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「別に私はそんなつもっ……」
「口の中見ますね〜。はい、あーん。」
沖君から毎回、あーんと言われるのが妙に照れる。
子供扱いされているというかなんというか……
さっきの患者さんには言っていなかったから、きっと私にだけわざと使っているんだ。
赤くなってなるものかと、頭の中で般若心経を唱えながら口を開けた。
「元々は親父の知り合いが経営してた病院だったんだ。病気でいきなり倒れて…俺が譲り受けたってわけ。運が良かっただけだよ。」
沖君は私の術前検診の結果に目を通しながら教えてくれた。
検診結果も問題ないし、麻酔科医の説明もバッチリ聞いた。
明日はいよいよ抜歯の手術だ。
「親父がね……おまえなら腕も良いし経営力もあるから大丈夫だろうって勧めてくれたんだ。りつ先輩に言われたように勉強して、ようやく認めてもらえたってわけ。」
そこまで言ってチラリと私を見た。
前髪の隙間から覗く物言いたげな琥珀色の瞳に、胸がトクンと高鳴った。
─────りつ先輩。俺がいつか親に認められる日が来たらご褒美くれる?
あの言葉を思い出し、顔がカァーと赤く反応してしまった。
「……なんだ。りつ先輩……」
沖君は顔を隠していたマスクのヒモに指をかけてゆっくりと外すと、様々な器具の置かれた台の上に置いた。
「ちゃんと指切りげんまんした約束覚えてるんだ。」
………沖君も、覚えてたんだ………
でも……
とびきりのやつもらうからと、キラキラとした笑顔で話していた沖君はまだまだ幼くて……
こんな……大人になった沖君と約束をした覚えは、私にはないっ!
「なんのこと?覚えてないっ。」
「とぼけたって無駄。顔に書いてあるから。」
人の赤面症を嘘発見器みたいに使うところは変わってないようだ。
「約束通りご褒美もらえる?」
やらしい手付きで私の首筋をなぞり、そのまま鎖骨へと降りていく……
「沖君、その触診止めてっ。」
「こんなのが触診のわけないじゃん。今からご褒美もらうから。」
琥珀色の瞳が艶めかしくクスリと笑う……
「ユニット」の背もたれを倒すと、私の目に折りたたんだタオルをかけてきた。
「りつ先輩…あーんは……?」
目隠しされていても、沖君の息遣いが頬にかかり、触れそうなほど近くにいるのがわかった。
ご褒美ってなに?
私に口を開けさせて、一体なにをする気なの……?
血流が全部顔に集まってきてクラクラしてきた。
ダメだ……
あの時必死でかき消したはずの感情が蘇る………
その想いを打ち消したくてキュッとつぐんだ唇に、沖君の指先が優しく触れた。
「……りつ先輩。俺さあ、ずっとあの時のこと────」
沖君がなにかを言いかけた時、個室のドアがガチャりと開いた。
「マコト先生〜。その人奥さん?」
声からしてさっきの患者のようだ。
タオルをどけて見てみると、いかにも水商売をしているっぽい派手な女性が立っていた。
「違いますよ。この方は高校の時の先輩です。」
「なーんか雰囲気怪しい〜。奥さん一筋って私には散々言ってたくせに〜。」
えっ……奥さん一筋って……
「田中さんの診察時間はもう終わりましたよ?」
「だってまだ歯が痛いんだもーん!」
沖君はやれやれといった感じで立ち上がると、私にニッコリと営業スマイルをした。
「手術にはなにも問題なさそうなので、明日の12時までには入院受付にて手続きを済ませて下さいね。」
そう言うと患者さんを連れて隣の診察室へと入っていった。
あんなにカッコよくてしかも職業は歯科医師……
彼女くらいならいるかもなと、予想はしていたけれど……
いつからか男性の左手の薬指をチェックする癖がついていた。
既婚者でも付けてない人が多いけれど、それでもひとつの目安にはなる。
でもそうだよね…お医者さんなんだから、衛生上勤務中に指輪を付けているはずがないか……
沖君……結婚してたんだ──────
きっと……
沖君のことだけを一番大切に思ってくれる女性に出会えたんだね。
心臓をギュッと鷲掴みにされたくらいに苦しくなってきた。
また私は……同じことを繰り返すところだった。
からかわれていただけなのに勘違いして、一人で舞い上がって……
そして裏切られて現実を思い知る。
もう……
あんな思いは二度としたくない。
したくないのに───────……