年下男子が生意気です。再会
男は苦手だ。
否、嫌いだと言っても過言ではない。
「私達もう28よ?周りはバッタバタと結婚していってるのに、こんな良い女に彼氏もいないだなんてなんなのっ!」
幼なじみの紗奈は最近会えばこの手の話ばかりする。
私はいいと何度も断っているのに、合コンや結婚相談所とかをしつこく誘って来る。
今日は歯が少し痛むので歯医者の予約を入れていたのに、電話で紗奈から助けてくれと言われて急いで駆けつけてみれば街コンだった。
街コンとは街ぐるみで行われる大型の合コンイベントである。この街コンは女性陣は食べ物が食べ放題なせいかやたらと女子率が高い。
飲んだくれてくだを巻きまくるアラサー女に話しかけてくる男などいるわけもなく……
「紗奈。男なんて無理に探すもんじゃないでしょ?」
「バカね!良い男がその辺に転がってるとでも思ってんの?!掴み取らなきゃババ掴むわよっ!!」
その掴み取った男にこないだ二股されたあげくに捨てられたんでしょーがと、心の中で毒づいてみる。
一人でだって生きていけるのに、男に左右される人生なんて真っ平御免だ。
ブーブー言いながら酒を飲みまくる紗奈を尻目に、電子手帳を取り出してスケジュールをチェックした。
来週は専務に付き添って海外出張に行く予定が入っている。
参ったなあ……次の歯医者の予約、いつ入れよう。
私、一条 律子28歳。
職業、一般企業の役員秘書。
生真面目、堅実、公明正大、実直、律儀……
全部私を表す言葉だ。
両親共に教師である家に産まれた私はとても厳しく育てられた。
成績は常にトップを強いられ、門限も厳しく、見るテレビでさえ制限された。
周りからはよくそんな生活を我慢出来るねと言われたが、私はそのことを苦に思ったことはない。
私にとって厳格に生きるということは当たり前のことだったからだ。
だから人からどう思われようが言われようが気にはならない。
そう……
気になんかならないのに………
「あんたみたいな女、一番大切に思ってくれる男なんていないから。」
時折、不意に思い出すこの言葉。
なぜあんな年下の生意気なヤツの言った言葉がこんなにも胸に突き刺さったままなのだろうか。
もう…10年も経つというのに───────
「……律子さあ、いつまで過去を引きづってんの?」
ギックぅ!!
「なんのこと?思い当たらない。」
「はいはい。私にはバレバレだからね?本当は男にだって興味津々なんでしょ?」
「ちょっ、紗奈!なに言って……!」
「だって律子ってむっつりスケベじゃん。すいませ〜ん、日本酒追加で〜っ。」
なによそれっ……
人を男好きみたいに言わないでよ!
私は別に……アイツから好かれたいだなんて微塵も思ってなかったんだから!!
「綺麗なお姉さ〜ん。俺らと一緒に飲まない?」
いかにもチャラ男な年下の二人組が話しかけてきた。
なんてタイミングなの……
この女慣れしてる生意気そうな雰囲気。どうしたってアイツと被る………
紗奈がいいよいいよ〜と言って片方の男子に抱きついた。
「紗奈っ止めなさいって、はしたない!」
「まあまあ、お姉さんは僕と一緒に飲もう?」
気安く肩に触れられて、反射的に顔が赤く染まる。
私は重度の赤面症だ。
異性に対してだけ症状が強く出る。
このせいで今までどれだけ嫌な思いをしてきたか……
誤解されないように顔を髪で隠しながら下を向いた。
「このコ律子っていうんだけど堅くってさあ。軽く一発ヤってくんない?未だに過去に縛られてて処女なのよね〜。」
「ちょっと紗奈なんてことをっ!!」
マジで〜?とか言いながら二人がジロジロとからかうように見てきた。
全身がカァっと熱くなる……
とてもじゃないけど耐えられない!!
「紗奈!帰るよ!!」
「ええ〜なんでよ律子お。4Pしようよ4P。」
「シャ──ラップ!!」
べろんべろんに酔った紗奈を引きづりながら帰った。
今度は呼ばれたって二度と来てやんないっ!
──────は、歯が痛い………
私は秘書室では一番の古株だ。
秘書室長といわれる上司はいるのだが、彼の仕事は主に社長の補佐だ。
なので10人いる後輩秘書達は私が統括している。
「来月10日のレセプションパーティーに常務も出席するから新幹線の切符と宿泊の手配よろしくね。」
「明日の役員会議用の資料作成は済んだ?チェックするから持ってきて。」
「来月にアメリカから来るゲストへのおもてなしなんだけど……」
秘書とは経営層が働きやすい環境を整えることで間接的に会社の業績に貢献している縁の下の力持ちだ。
裏方の仕事が主だが、秘書が活躍すれば会社の業績は大きく変わるのだと私は思っている。
「おいおい一条君どした?顔が怖いぞ?」
眉間にシワを寄せていると専務に話しかけられた。
朝から歯が痛くて痛くて仕方がないのだ。
それでなくても目力の強い私は顔が怖いとよく言われる。
この奥歯の痛さは虫歯だろうか?
食後には必ずきちんと歯を磨いているから虫歯になんてなるはずがないのに。
「一条君。悪いんだけど海外出張に同行させたい友人がいて…今から一名増やせるかな?」
「そのご友人は六本木クラブ千維のママですよね?無理です。」
「一条君は頭でっかちだな〜。ブランド物のバック買ってあげるから。ねっ?」
「前に奥様からもう次はないと釘を刺されましたよね?お忘れですか?」
専務があからさまに不満そうな顔をする……
秘書をプライベートのゴタゴタに巻き込まないでもらいたい。なんで男って生き物はこうも──────
──────ズッキィ!!
脳天を突き抜けるようなあまりの痛さに顔が歪んだ。
「い、一条君悪かった!もう無理言わないからっ!」
専務が私の形相を見てビビって逃げてった。
別に怒ったわけじゃないのだけれど……
トイレに行って鏡を見ると、頬がぷっくりと腫れていた。
午後から有給を取らせてもらって会社近くの歯医者へと駆け込んだ。
随分と人気のある病院のようで待合室は混んでいた。
予約を入れてなかったので待ち時間が長い……
疼くような痛さにひたすら我慢しながら名前を呼ばれるのを待った。
ようやく通された診察室は一つ一つが個室のようになっていて、広くて明るく、清潔感のある空間だった。
「ユニット」と呼ばれる歯科治療用のイスに座って待っていると、若くて長身の男の先生がやってきた。
少し長めの前髪が顔にはらりとかかり、透明感のある琥珀色の瞳が涼しげな印象だ。
マスクをしていてもかなりのイケメンなのだとわかる……
待合室が若い女性の患者ばかりなので不思議に思っていたのだけれど、こういうことだったのかと愕然とした。
私がいつも行く歯医者はおばちゃんの先生だ。
耳鼻科でも皮膚科でも女性の先生がいる所を選んでいる。
いつもなら男性の先生に診てもらうだなんて絶対にしない。でももう、この痛さを我慢するなんて限界だった。
この人はジャガイモだ。ジャガイモだと思うんだっ。
背もたれが倒れて寝転んだ体勢になった私に、先生が覗き込んできた。
香水を付けているのか、微かにシトラス系の爽やかな香りが漂ってきた。
こんな良い香りのするジャガイモがいるわけないっ!
「お口、あーんて開けてもらってもいいですか?」
歯医者なのだから口の中を見せなきゃいけない。
わかってはいる。いるのだけれど……それってどうなの?
裸見せるようなもんなんじゃない?
男の人にそんなことっ……恥ずかし過ぎて死にそうって思うのは私だけ?
先生の顔が近いっ!歯医者ってこんなに顔を寄せて診るもんだったっけ?!
痛さとこの状況に思考回路がパンクしそうになってきた。
「見るだけなので痛くないですよ?」
どうも私が怖がっていると勘違いしているらしい。
こんな三十路前の女が子供みたいに歯医者を怖がってると思われるだなんて……
先生は私と目が合うと、その綺麗な瞳を優しげにフッと細めた。
自分の顔が一気に赤くなっていっていくのがわかる。
ああ、もうヤダ……
小さな頃から赤面症なことを、男の子から散々からかわれてきた。
そのせいで異性が苦手になり、なるべく関わらぬようにと避けて生活するようになったのだ。
歳が離れていれば平気なのだけれど、同い年くらいの男性は本当に苦手だ。意識するとすぐに真っ赤になってしまう……
先生は一旦器具を置くと柔らかそうな白いタオルを取り出した。それを細長く折りたたみ、私の目元にふわりとかけた。
「これで大丈夫かな?腫れて痛そうだね。少しだけ…見せてもらっても良い?」
私を気遣う穏やか口調に、緊張していた体が解れていく気がした。
なんだろう…凄く温かくて懐かしい声……
視界をさえぎられて先生の顔が見えなくなったのもあり、意識せずに口を開けることが出来た。
「虫歯のない綺麗な歯だね。炎症の原因を調べるためにレントゲンを撮ってみましょうか。」
先生は私が待合室で記入した問診票に目を通すと、再度確認するように尋ねてきた。
「妊娠の可能性はありませんか?」
「はい大丈夫です。そういう経験は全くないので……」
……って、なにを言わなくていいことまでさらっと言ってるんだ私は!!
寝転んで目を閉じていたせいか頭がぽ〜っとしてしまっていた。
「そこまで答えて頂かなくても大丈夫ですよ。」
笑いを押し殺したような先生の声に、せっかく治まっていた赤面症がぶり返した。
今日は一日中顔が赤いままかもしれない……
レントゲンを撮ってもらうと、炎症部分に完全に埋没している親知らずがあることがわかった。
この痛さはその親知らずの周囲にどこからか細菌が入り込んでしまったことが原因のようだった。
とりあえずは鎮痛剤と抗生物質を出してくれるらしいが、親知らずがある限りまた繰り返すかもしれないのだという……
「じゃあ今すぐ抜いてもらえますか?また仕事を休むわけにも行かないので。」
親知らずは学生の頃に抜いた経験がある。
それは半分生えてきていた歯だったが、ポンと簡単に抜けた。
今回もそんな感じだと思ったのだが……
「抜歯だと、この場合入院になりますね。」
「にゅ、入院?!」
「ええ、全身麻酔による手術となりますので、一泊二日入院して頂きます。」
「たかが歯を一本抜くのにですか?!」
先生の目の奥が鋭くギラりと光った。
「へ〜…たかがねえ……親知らず、舐めてます?」
先生が親知らずについて熱く語りだした。
私の親知らずは顎骨の中に埋没していて横を向き、さらには太い神経にも接しているため、かなりやっかいな代物なのだという……
ポンと抜くなどまず不可能で、まずは歯肉粘膜を切開して剥離し、ドリルで顎の骨を削ったあと、歯を分割して摘出することになる。
手術には一時間ほどかかり、その後も出血や痛みや腫れが伴うため、点滴による薬の投与をして様子を見た方が安心なのだ。
まさかこんな大事になるだなんて……
「今ならちょうどキャンセルが出たので来週に手術の予約を入れれますが、どうされますか?」
来週は海外出張がある。
でもこんな状態で飛行機になんて乗れるのだろうか?
海外でまた痛んできたらどうしよう……
あれこれと考えると不安になってきた。
悩んでいると、腫れた左頬に先生の手がそっと触れた。
「大丈夫ですよ…寝てる間に終わっているし、私は手術が上手いので。」
別に怖がっているわけではないのだけれど、先生の包み込むような優しさに胸がトクンと高鳴った。
私の頬を優しく撫でていた先生の指が耳たぶに触れ、そのまま首筋をなぞり始めた。
これは…触診なのだろうか……?
手つきが妙にやらしくてゾクゾクするんだけど……
私の反応を楽しそうに見つめる先生の瞳にあおられ、顔が茹でダコ状態になってしまった。
「あの先生っ、ちょっと手を……」
「相変わらずですね。りつ先輩。」
えっ………
「すぐ真っ赤になるとこ、変わってない。」
なに……?
この人、誰??
先生はキョトンする私に、ポケットに閉まってあった名札を見せてきた。
それには歯科医師 沖 誠 と書かれていた。
「10年ぶりだね。元気だった?」
そう言ってマスクを外した顔は、私の記憶より幾分大人びた顔立ちになっていた。
「……お…きく…ん……?」
「そうだよ。全然気付いてくれないから忘れられてるのかと思った。」
──────忘れるわけがない。
本当に…あの、沖君なの………?
随分と背が伸びている……
琥珀色の瞳の色は同じだけれど、あの頃とは受ける印象がまるで違う。
年下の生意気な男の子だったのに、この10年で人ってこんなにも変わるもんなんだ……
今目の前にいる沖君は紳士的な青年歯科医師にしか見えなかった。
「りつ先輩、メガネ止めたんですね。」
そう言うとおどけたようにペロッと舌を出した。
「可愛かったからまた見せてね。Hしたあとにでも。」
こ、こいつ……
なんも変わってないっ────────!!
「か、帰るっ!!」
「おいおい。どうすんの歯の治療?」
「近所のおばちゃんとこでやってもらう!!」
「その辺の歯医者で手術は無理だから。下手な口腔外科に当たったら神経切られるよ?」
「ならいいよもう!放っておく!!」
「今回は智歯周囲炎だけで済んだけど、炎症が広がれば重症化する場合だってあるんだぞ?」
沖君いわく、頬部蜂窩織炎にまで発展すると頸部の膨張によって呼吸困難に陥るなどの重篤な症状を引き起こすこともあるらしい。
その後も、歳をとってから親知らずを抜歯することへのリスクなど、散々恐ろしいことを言うもんだから心が折れた。
来週の専務の海外出張へのお供は誰かに代わってもらうしかない……
「腫れが引かないことには手術は出来ませんので、しばらくは酒と男は禁止でよろしくお願いしますね。」
営業スマイルでニッコリと笑って言われた。
こ、コノヤロウ……
わかってて男とか言う?
ああ、もう………
あの頃の記憶が、嫌でも蘇ってくる──────
※親知らずは必ずしもトラブルを引き起こすものではありませんが、正常に生えてくるものはまれです。
完全に埋没している親知らずは自分ではわかりませんのでレントゲンで調べてみましょう。
抜くか抜かないかは、お医者様と相談してね( ´ᐞ` )