07:魔人
月明かりの下をゆるゆると歩く。
この都は活気があり、大通りは魔法の灯りで常に照らされ、道行く人達の笑い声がそこかしこに聞こえる。
喧騒から離れ、灯りの無い道に入ったとしても目が慣れれば静かな月明かりが道を照らしているのがわかる。
天に浮かぶ二つの月、その表情は微妙に満ち欠けが異なり、同じような顔でいて与える印象が違う。
生まれ堕ちたる魔人。
どうやら真相を知る者達の間では、その存在自体が禁忌となっているらしい。ヨラン殿も言っていたが、一般的には死んだことになっている。
しかし、そこには矛盾が存在する。
魔人が誕生したというのに、死亡したと偽装できる程度の損害しかでていないということ。いや、魔人の存在自体が無いことになっている。そこまで隠蔽できるものなのか、当然国ぐるみでの隠蔽であろうがギルバートという言葉に店の中で反応した者はほぼいなかった。魔人の誕生で完全に隠蔽できる程度の損害しか出なかったということなのか、それともその程度の魔人でしかなかったのか。まさか、人から魔人への転化による根本的な価値観の変化、溢れ出る衝動をその魔人は制御したのか。
会話の中に【魔人】という言葉を放り込んでみるべきであったか?
何かしらの反応を確認できたであろうが、下手をすれば過剰反応で拘束の憂き目にあっていたかもしれぬ。現に今、巧妙に気配を消しているが後をつけてくる者がいる。撒くのも容易いが尾行者が増えても困る。気を失ってもらおう。
絶っていた気配を解き放つ。
私の気配に触れ、意識を失うのを感じる。
うん?
意識だけではなく命の灯火も消えてしまったようだ。
簡単に死んでしまう。やはりこの気配、人には強すぎるか…
不適な笑みを宿した青年の顔が浮かぶ。
クスッ。やはりあの青年、面白い。
彼ならば、魔人の居場所を知っているかもしれない。思わず、その名を音に出して呟く。
「たしか、フジワラでしたか」
その言葉に反応したのか、唐突にそれと目が合う。
そして、その神秘的な美しさに言葉を失う。
降り注ぐ月の光の中、超然と佇むその姿。
私の気配を気にした風もなく、ただこちらを見つめるその瞳。
よくみればその美しい首元からもこちらを窺う深紅の瞳。
化生の類か。
この美しき化生が意識を向けるまで存在に気がつかなかった。果たして、はじめからここにいたのか、月の光とともに舞い降りてきたのか。ただただ、言葉もなく見つめ合う。
「こんばんは」
唐突に、美しき月光が言葉を紡ぎ、世界に色が戻る。
その身に纏う衣は初めから漆黒であったであろうか、こちらを見つめる黒い瞳、月光に輝く美しい黒髪、その肩には深紅の瞳をした闇のような猫。その何者をも寄せつけぬ佇まいがあのお方と重なる。
「こんばんは、好い月夜ですね」
音も色もなく漂ってくる見えない糸を払う。
「そうですね」
曖昧に微笑みながら、こちらを睨み獰猛に嗤っている猫を撫でている。
「月夜の晩にお散歩ですか?」
「ええ、友達の家に」
ここは都にただひとつだけある魔道具屋の前。
「留守のようですね」
「ええ、残念です」
その微笑みが少し寂しそうだ。
言葉もなく、月を見上げる。
「綺麗ですね」
「そうですね」
どちらがどちらの言葉を言ったのか。
どちらともなく歩き出す。
互いにすれ違う、その美しい少女からはなにも感じない。手を伸ばせば容易く手折れそうなその細い首。いっそのこと折ってしまい、大事に持って帰ろうかと思う。しかし、その思いは強烈な殺意によって阻まれる。
「嫌われてますね」
襲う気満々の猫。しかし、その尻尾がしっかりと少女に握られているため身動きできない。
「困ったものです」
月光の中、曖昧に笑う少女。
月明かりの下をゆるゆると歩く。
いつの間にか巻き付けられた糸を外す。
美しい月を見上げ、誰にともなく呟く。
楽しくなりそうだ。
階段を降り、魔方陣へと入る。軽い浮遊感の後、そこへ着く。
身を整え、主の元へと向かう。
「お館様、只今戻りました」
「楽しそうだな。お蘭」
「兄上!」
「なにか良いことでもあったか」
「はい。久方ぶりの野は、やはり楽しき事に満ちていました」
「話せ」
「はい」
主の求めるまま、楽しき事をゆるゆると語りだす。