06:酒場
その酒場は、ほどよい喧騒に包まれていた。
管理迷宮の近くにあるこの酒場はよく冒険者に利用される。ただ、安い酒をかっ食らう場末の店ではないため入店時に服装のチェックが入る。いわゆるドレスコードというやつだ。帯刀はもちろん鎧装備もNGとなり、迷宮探索装備のまま入れる者は、ほとんどが後衛職の魔法使いや僧侶など装備自体がドレスや礼装を象った者達だけとなる。
しかし何事にも例外はあり、身分の高いもの達に限っては、肩からトゲが生えた鎧とかでない限りはローブやマントを羽織ることで目を瞑る事もある。そこは商売であるため金のあるお客様に優遇をするのは当然ともいえる。つまりここは、メインターゲットを貴族と金回りの良い上級冒険者に絞った酒場。
自然、質の良い客が集まるため揉め事も少ない。各テーブルごとに高めの仕切りもあり大声でなければある程度の密談も出来る。また、それを盗み聴く事を目的で静かに酒を飲みに来ているものもいる。
故のほどよい喧騒。
宮廷魔術師の長であるヨランは、冒険者という職に淡い憧れを持っていた。国主導で行う迷宮探索などに積極的に参加しているのもその現れだ。
冒険の後の旨い一杯というのにも憧れ、冒険者の集まる酒場に繰り出したこともあったが、初日に揉め事に巻き込まれるという苦い経験がある。故に揉め事の少ないこの酒場を迷宮探索などの冒険の締めとして常用していた。
この酒場にも一人で来る者達の交流のためにカウンター席が用意されていて、一人で通っていたヨランにも飲み仲間というものが出来た。
出会いは単純だが、互いに気があったのか待ち合わせをして度々飲むまでの仲になっていた。
「ヨラン殿、こちらです」
「やあ、オラン殿」
そう、単純に名前が似ていた。ただそれだけ。切っ掛けというものはそのような些細な偶然が始まりだったりするものだ。
初めは他愛の無い世間話から始まった会話だったが、宮廷魔術師であるヨランの知識と会話についてこれるオランの博識に意気投合し、ともに飲むようになり、今ではカウンター席ではなく二人でテーブル席に陣取り会話を楽しむようになった。
魔力回復効果のあるローブを羽織ったまま席に着くヨラン。
「遅くなってしまいました。今日は会えないのではないかと思っていましたよ」
待ち合わせといっても、会う曜日と大体の時間が決まっているだけで、互いに連絡を取り会う訳でもなく、都合が悪ければ来ず、その時は一人で飲んで帰るという程度の飲み仲間。当然というべきか、互いの素性も明かしていない。
「私も先程来たところです。ちょうど良いタイミングでしたね」
「ああ、それは良かったです」
気を使ってくれた事に感謝しつつ、軽い食事とビールを頼む。オラン殿もビールを頼み、乾杯をする。
「再会に、」
「この瞬間に、」
炭酸と苦味を喉で味わいながら一気に飲み干す。
「ウーン、旨い」
といいつつ、ワインを頼む。
「ハハハ、ヨラン殿は相変わらずですね」
「いや、やはりこのビールというものはどうにも苦手でして、ハハ」
冒険者達が旨そうに飲み干しているのを見て毎回それを真似ているが、どうにも合わない。最近少しだけその好さがわかりかけて来たところだが、我慢するのは最初の一杯だけで、後は飲み慣れたワインに切り替えている。
一口サイズに切り分けたパンに、肉や魚介を乗せ食べる。ワインを口に含むと肉や魚と混ざりあい、また違った味わいとなりそれを楽しむ。
「今日はよく食べますね、ヨラン殿」
「ハハ、申し訳ない。中々にハードな一日でしたので、これも、まだ魔力が完全に回復してないので脱げません」
魔力回復効果のあるローブの合わせ目を摘まむ。
「ははあ、やはり迷宮ですか? それともなにか新しい実験でもしたのですか? 何やら今日は会った時から嬉しそうな顔をしています。何か良い事があったみたいですが」
「ハハハ、わかってしまいますか」
言いつつワインを口に含み、その甘味と渋味を堪能する。
さて、どこまで話して良いものか、酔いつつも洩らして良い情報と悪い情報の区別を行う。この場で喋った情報は、価値のあるモノとして王都のみならず情報を売り買いする者の間で取引される。オラン殿に話す内容はそのまま周りで聞き耳を立てているであろう者達も聞く事になるのだから。
「ここだけの話でお願いしますよ」
「ええ、もちろんです」
管理迷宮での遠征について語る。
エリック殿下を筆頭に親衛隊と騎士団、そして英雄ラムダ殿を加えたローランの精鋭による迷宮最下層での少数部隊での実戦闘。
通路にポップする魔物に対する速攻連携による掃討作戦。精鋭達による最下層ボスの連続攻略。危険地帯での魔道具による継続キャンプ。
「ほう、凄いですね。国軍だけで迷宮の最下層を維持攻略ですか、迷宮探索に特化した冒険者は同行しなかったのですか?」
「ええ、流石に倒した魔物の素材の剥ぎ取り等は軍では出来ませんので、専門の方達にも同行をしていただきました」
「それは、その方達はひと財産稼げましたね」
「はい、彼ら冒険者に支払われる報酬は相当なものになるでしょう」
「ハハハ、ではその大部分を受けとる国には相当なものが手に入ったということになりますね」
「ええ、ええ、もちろんです。英雄ラムダ殿は今回の遠征で手に入れたドラゴンスレイヤーをメインウエポンとして装備してからは破竹の勢いで魔物を倒していましたし、エリック殿下も騎士団長殿もおそらく今回手に入れた未鑑定品装備の鑑定が終わり次第それぞれの装備を新しくすることになると思います」
「ドラゴンスレイヤーですか、それは素晴らしいですね。たしか、ただのドラゴンから手に入れることは出来なかったと記憶しています。つまり竜王級のドラゴンを討伐したということですね、僥倖です」
たまに見せるオラン殿の識見、常識のように話しておられるがその情報は宮廷魔術師としての知識の中には無い、初耳だ。わざとなのか、常識の基準がこちらと乖離しているのか、判断がつかない。
「はい、これでラムダ殿の名声もさらに広まります」
「……ヨラン殿、英雄というのは、それほど凄いものなのですか?」
「…そうですね。オラン殿は英雄の定義をどのようにお考えですか?」
「定義、ですか。【その優れた才覚により、非凡な事柄を成し遂げた者】といったところでしょうか」
「はい、端的に言ってしまえば、【英雄】的な行いをした者の事です。この定義の英雄は幾らでも存在します。例えば彼、」
カウンター席で盛り上がっている中のひとり、いわゆるザルの彼は飲み比べ勝負をすれば常勝無敗、酒飲みからすれば彼は英雄となる。
「あのグループの中で彼は英雄です。しかし、我々からすると彼はただの大酒飲みでしかなく、彼を知らないものからすれば彼はただの酔っぱらいです」
「はい」
「彼を英雄視する者はごく少数で、酔っぱらいを忌み嫌う者は多数、後は単純な加減算です」
「……」
「命を救われ感謝する。尊敬する。敬愛する。その思いが純粋であるほど加算値が強く、多ければ英雄となる」
「その英雄というのが?」
「はい、ラムダ殿です。正確には英雄の称号を持った者。真の意味で英雄です」
「つまりは、多くの信仰を集めたものが英雄になると、それではまるで」
「はい、そうなりますね」
「では、行き着くところは神ですか?」
「英雄譚では神になることで幕を閉じる物語もそう少なくありません。正直行き着く先が何処なのかはわかりません。ただ今回のラムダ殿の誕生は稀有な事なのです。国の英雄というものはほぼ誕生しませんから」
「そうなのですか?」
「国の危機を救う。これ自体は国家間の戦争で常時発生していることですが、よく言われる戦争で百人殺せば英雄というものはただの幻想で、敵を百人殺した英雄としての加算値と味方を百人殺された殺人鬼として敵からの減算値でほぼゼロ、英雄の誕生にはほど遠い」
「ほう」
それを聞いたオラン殿が楽しそうに笑う。
「いや、すみません。これは推論の域を出ていないのですが、一番有力な説であり、私も賛同しています」
「ヨラン殿も推す説ですか、何か根拠が?」
「はい、詳しくは話せませんが、過去に英雄を人工的に造り出す実験というのが行われています」
「ほう!」
「そこで人を殺した人数は関係ないと結論が出ています」
「そのような実験が行われているのですか、どこで行われたのでしょうか?」
「ローランではないとだけ、それ以上は、」
「ははあ、話し過ぎましたか、私が急かしてしまいましたね申し訳ない」
「いえ、いえいえ、大丈夫です。お気遣い有難うございます」
オラン殿は引き際というのを心得ている。引き出せる最大限まで引き出しそれ以上は困難と解れば会話を終わらせてくれる。非常に話しやすい反面いいように誘導されているのではと考えさせられるときもある。
「ヨラン殿、本題をお聞かせ願います」
何もかもわかっているような顔のオラン殿が微笑しながら聞いてくる。惹き込まれそうなその笑みに気分が高揚するのを感じる。
「オラン殿のその顔はズルいです。何でも話してしまいたくなります」
「クスッ、それは褒め言葉ですね」
「オラン殿、ズルいと言ったのです。褒め言葉ではありませんよ」
「これは手厳しい。ハハハ、おめでとうございます」
「エッ?」
不意打ちをされる。
「ハハッ、流石に予想がつきます。炎魔法、ですか?」
「アッ! オラン殿、それはズルいです」
「すみません、しびれを切らしてしまいました。ハハハッ」
そう、今回の遠征で私の火魔法5が上位魔法の炎魔法1に進化したのだ。どの様に伝えようか迷っていたのだが、オラン殿が気を利かせてくれたらしい。これならば周りで聞き耳を立てている者達には意味がわかるまい。わかるとしたらローラン軍のだれかが炎魔法を手に入れたかもしれないくらいか、私の地位を知っていればそれが私かもしれないと想像はつくだろうがそこまで。外に漏れる情報としてはこれくらいが上々だろう。
酒も進み、他愛もない話も進む。
「英雄の力を発動していなくても今のラムダ殿に勝てる者はいません」
「ほう、それほどの腕なのですか」
「はい、攻守のバランスが素晴らしかったのですが、今回手に入れたドラゴンスレイヤーによって、並の剣士以上の攻撃力を手に入れましたからね」
「個の戦闘に特化した冒険者でも敵いませんか?」
「そうですね、今この国にいる冒険者で勝てる者はいないかもしれませんね」
「ほう、それは凄いですね。しかし、この国には剣鬼とまでいわれた冒険者がいると聞いたのですが、」
「それは、、」
「うん? 何かまずい事を言ってしまいましたか?」
「いえ、そうですね。ギルバート殿は既に鬼籍に入っておられます」
「ギルバート殿というのですか、そうですか既にお亡くなりに、、残念です」
「はい、あ、そういえば、ギルバート殿の一番弟子の冒険者もかなりの使い手と聞きます」
「ほう、弟子がいるのですか」
「はい、彼は前回の遠征に参加していて、そうです! 普通に最下層ボスの攻略パーティーの一員として活躍していましたね。ここローランでは珍しい刀の使い手でした」
「ほう、刀使い、ですか」
オランの頭にある青年の顔が思い浮かぶ。死に面して笑っていられる青年。
「たしか、名前は、、フジ、そうフジワラです」
「そうですか、フジワラ。良い名です」
「そうですか? 変わった名だと思うのですが」
「クスッ、また会いたいですね」
「?」
「何でもありません、もう一杯いきますか?」
「いいですね、付き合います」
こうして酒飲み達の楽しい夜が更けていく。