35:夢幻の住人
ゾブリッと肉を裂き骨を砕く強靭な牙。
腰に吊るされた髑髏に、ポタリと一雫の無念が滴り落ちる。
ドクンドクンと溢れ出る血潮。
無限とも思える時の中、夢幻の住人に倒された者達の血を吸いし髑髏。
ズズズッと血を啜る中、目につく丁度良い器。
数多の無念を受けし髑髏に加わるは、主人の無念。
ドクンドクンと溢れ出る血潮をその丁度良い器にナミナミと満たす。
【お館様は、我儘だ】
天高く血の髑髏を掲げ、大きく開いた口へと傾ける。
蘭丸が微かな期待を込めて聞く。
「これで良いのですか?」
【お館様は、とても我儘だ】
「ほら、始まるよ」
蘭丸の言葉と同時にリンがネコに言った言葉。
壁際で正座して、事の成り行きを見ていただけの俺だが、その言葉の先に視線を向ければ、信長が腰に下げていた頭蓋骨、悪趣味だよな。から炎が立ち昇る。
その炎、酒呑童子の発する炎とは毛色が違う。鬼の炎が全てを燃やし尽くす鮮やかな赤オレンジの地獄の業火とするならば、これは消える事のない延々と燃え続ける紅色の、そう、喩えるならば、
紅蓮の炎。
髑髏から溢れ出す炎が、全てを呑み込む。
紅蓮の炎が燃え広がる!
ヤバい、と動こうとしたが、その炎は俺たちを避け燃え広がっていく。
よく見れば、飛び散ったリンの血を避ける様に炎が燃えている。まさか飛び散った血を媒介に結界が張ってあるのか?
考えてみれば、戦闘中の乱入者や俺の殺気、それにリン自体の存在が居ないかのような扱いだった。
意図して無視されていたのでは無く、存在の認識自体を阻害するかのような結界が張られていたのならば納得出来る。
血の結界。あの恐ろしい鬼たちを召喚し得る血。それ自体で張る結界。命を削った強力な結界。
壁のへこみや床に飛び散った血を見れば、意図してこの状況に事を運んだとはとても見れない。
それでも結果としてのソレをやってのける上手さ、そして今の状況、俺ならば同じ様なことが出来ただろうか?
その様な思いを胸に抱きつつ、蚊帳の外から戦いを見つめる。
しかし、炎の種類は違えど、その属性は同じ炎。
髑髏を持つ酒呑童子の手に燃え移る紅蓮の炎は、酒呑童子の発する地獄の業火と絡み合い共に燃えていくのみ、さしたるダメージも窺えない。
紅蓮の炎がヒトの姿を形作ろうとしているが、その頭部が酒呑童子の手中にある限り絶対的不利は覆らない。
斬ッ!!
何の前触れも無く、酒呑童子の腕が肘の部分から断ち斬られる。
森蘭丸。
今まで戦いの外でただ見ていただけの人物が遂に動き出したのだ。
憤怒の形相になる酒呑童子。
見つめる先は蘭丸の持つ刀。それは童子切!
その形相が物語るのは、一度ならず二度までもという思いか。
出しておけと言うのはこの事だったのかと、腰に手をやり、いつの間にか無くなっている俺の童子切を見つめる。
やはり、鬼に対して特攻が発動するのか、と言う思いと俺の腕ではあの結果は出せそうに無いという悔しさと共にその戦いを見つめる。
俺の出せる最大威力の技は、月下の型、その中の三日月。巧く斬ることが出来たならばあるいはとの思いもあるが、そんなことは不可能だということも同時にわかっている。
まず、型を発動してからの技。この様な手順が存在している時点で不意打ちが出来ない。ネコにも指摘されたがスキルというものに頼り過ぎている。
刀を抜いて放つ一太刀。これが最強の太刀でなくては意味が無い。一太刀が百の力でなくては、一の力をスキルで百にしていてはダメだ。地力で負けている。
そして斬るという技術。槍で目玉を突いてもびくともしない耐久力。いや、耐久力というより何か特殊な力かも知れない、それこそ物理耐性スキルの様なもの。それさえも斬る技術。童子切という因縁のある刀によって何かを無効化したのかも知れない。その上で斬る。それは斬るという技だ。それは俺にもわかる。月下の型の三日月、俺はスキルでしか出せないが、これを斬るという動作で成し遂げているという事。
俺の刀術が、魔刀技に進化しない理由もこの辺りにあるのかもしれない。まあ、それ以前に魔刀技というスキルが存在するかという問題もあるのだが。
人の姿を成した紅蓮の炎。
それは、黒い炎の鎧装束に紅蓮のマントをたなびかせた織田信長。
その威圧感は、この場に存在する全てを圧倒するかの様な、先ほどまでとは比べるまでも無く。正に魔王の、いや、第六天魔王の風格。
第六天の天魔の王。
第六天とは天上界の中では最下層。しかし人界を中心とした欲界と呼ばれる欲に染まった世界。その世界では最上に位置する。
つまり天界の中でも欲に染まった天子、堕天子の棲む世界。彼等は悪魔、天子魔、天魔とも呼ばれ、信仰の対象から外れた者達。
その第六天の天魔の王を名乗る織田信長。
対するは、
地獄界に棲むとされる鬼。
地獄の獄卒とされ、力と恐怖の象徴であり、その中でも名を持ちたる鬼。
相対する場所は、
人界。
しかし、ここを人界と称して良いのか?
信長が、手にした酒呑童子の腕を、本人に向かって投げる。
酒呑童子は腕を宙で掴み己の肘に付けると、一瞬で腕が繋がり元の状態へと戻る。
それを信長がニィと嗤いながら見ている。
その嗤いがどの様な意味かなど、考えなくともわかる。
慈悲。
挑発。
真正面から叩き潰し、喰らった者からの慈悲という挑発。
一瞬で怒りが頂点に達する。
「ガアアアアアアアア!!!」
咆哮と共に、今までで一番大きな火球が信長に放たれる。
信長の前に童子切を構えた蘭丸が立ちはだかる。
「退けぃ蘭丸!」
その声に振り返れば、
【信長さまは、とても負けず嫌いだ】
「はい、信長さま!」
楽しそうに笑う信長に、嬉しそうに答える蘭丸。
成ったのだ。
その嬉しそうな顔。
蘭丸の願いが成ったのだ。
お館様から、信長さま。
夢幻の中からつかみ取った現実。これが、森蘭丸の願い。
酒呑童子の火球が、信長に直撃する。
防御も何もせず、真正面から火球を受ける信長。
ドガンッ!
という音と共に、部屋全体を包み込む巨大な爆発。荒れ狂う炎が部屋全体を蹂躙する。
凄まじい炎の奔流。それが晴れると、
「クッ、ハッハッハ! 楽しいのう蘭丸」
笑い声の主はさっきと同じ場所に無傷で立つ信長。そしてその横に立つ森蘭丸。
「はい! 信長さま」
並び立つ。その関係は主従のそれなのか、それとも。
「クックック、次は我の番だな」
言いつつ、信長が天を掴む。その手には、紅蓮の炎を纏った禍々しい剣。
その剣の名は、天魔の剣!
「滅するなよ鬼ども!」
言い放ちつつ、天魔の剣を天から地へと一振りする。
剣から放たれた紅蓮の炎が鬼だけにではなく部屋全てを駆け巡る。




