妹の相談(2)
「しずちゃん、日本を離れちゃうの?一緒に白女行こうって約束したのに…」
静から話を聞いた観月はそう言ってから声をつまらせ、涙ぐんだそうだ。
白女というのは白樺女学院の略で、この地域では有名な女子高である。静と観月は一緒にその高校を受けるつもりで、静も既に願書を提出していたらしい。
「ごめんなさい、私も昨日の夜知らされたばかりで…」
そう応える静の声も弱々しかった。
実際、報告された2人より報告者である静の方が困惑は深かったろう。直前に迫った高校入試をクリアする為に受験勉強に励んでいたのに、いきなり方向を転換しイギリスの編入試験に備えねばならなくなったのだから。両親の転勤は余程急に決まったことのようだ。
「静さんが謝ることではありませんよ。観月さんも、少し落ち着きましょう」
そう仲裁したのは小夜乃である。内心では自分も動揺していただろうが、それを表に出すような我が妹ではない。小夜乃の一言で場の熱気が下がり、観月と静も落ち着いたようだ。
「…そうよね、距離が離れても私たち3人が親友なことに変わりはないもんね。しずちゃん手紙ちょうだいね、メールでもいいから」
観月には臆面もなくこういう言葉を口にできる処があった。初めて家に遊びに来た時も、「私たちはさよちゃんの親友です!」などと自己紹介をしていた。大げさというか、激情家というか。
その後観月が静に二言三言質問を投げかけ、静がそれに応えた。そのやり取りによって静が、親の仕事の引継ぎや編入試験の日程などの都合から、5月の半ばまでは日本に留まることになりそうだと判明した。
そうと知った途端、観月は一転して声を張り上げた。
「じゃあさ、しずちゃんがイギリスに行っちゃう前に、私たち3人で遠くに旅行しようよ!私たちの思い出旅行、それもすっごい豪華なやつ!」
その提案は、他の2人の意表をついた。
元々彼女たちは、春休みの内に連れ立って卒業旅行へ赴く計画を練っていたとのことだ。しかしそれは3人で近場の温泉にでも泊まろうかという程度の、15歳女子に見合った慎ましい旅となる予定だったらしい。
「しずちゃんとの最後の思い出だもん、近場で地味に済ませちゃ寂しいよ。思い切って海外なんかいいんじゃない、海外!あ、もちろんイギリス以外ね」
「海外って、私そんなお金ないわよ、観月。お年玉も殆ど使っちゃったし…」
「大丈夫。私もお金なんかないから」
眉をしかめて反駁する静に、実にあっけらかんと観月が返した。
「だからさ、無かったら稼げばいいじゃん。皆で一緒にバイトしようよ!」
「バイト?」
小夜乃と静がまたしても目を丸くした。まるで見てきたように記しているが、もちろんすべて小夜乃からの伝聞である。
「2人とも、あたしンちが喫茶店やってるのは知ってるでしょ?で、今アルバイトで来ている大学生が今度卒業だからってことで2人も同時に辞めちゃうらしくてさ、春休みに入って忙しくなるのに人手が足りないってお父さんボヤいてたんだよね。だから私たちがその時期に働きたいって言えば、喜んで雇ってくれるよ。お店の方も助かって、ウィンウィンってわけ」
観月は悪戯っぽく細めた眼を、小夜乃と静へ交互に向けた。
「今度の春休みはバイトに費やしてお金を稼いで、旅行には5月のゴールデンウィークに行くの。どうかな、しずちゃん。その頃も引っ越しの準備忙しそう?」
「ううん、うちはそういう準備は早めに済ませちゃうし、旅行に行く余裕くらいはあると思う」
そう応えた静は、既に観月の提案に乗り気だったようだ。元々さばけた性格で、思い切りも良い少女だった。家を訪れた時は年上の俺にも気安く話しかけてきて、やや閉口したが。
そんな静の様子を見た観月は1つ大きく頷くと、今度は勢いよく小夜乃の方へ身を乗り出した。
「さよちゃんも、それでいいでしょ」
「え…わ、わたしですか?」
「何驚いてんの。もちろんさよちゃんも、うちの店で一緒にバイトやるんだからね」
観月の中では、それは既に決定事項になっていたらしかった。
「こういうのは目的を達成するまでの苦労を分かち合った方が、一層思い出に残るのよ。それに3人一緒にバイトするなんて、それはそれで楽しいじゃない。それとも、さよちゃんはそんなことしなくても旅行のお金、出せるの?」
「いえ、さすがにそれは…」
小夜乃は普段から決して無駄遣いをするような性格ではないが、それでも中学3年生の貯えでは、急遽降ってわいた海外旅行の資金を捻出するには心許ないだろう。まして高校入学前後の3月から4月にかけては、何かと物入りな時期でもある。
「で、でもやっぱりいけませんよ、アルバイトなんて」
「なんで?あたしたち卒業しちゃうんだから、もう校則は関係ないじゃん」
「校則はなくなっても、中学を卒業してから最初の4月を迎えるまではアルバイトはダメだって、確か法律で…」
「ああ、わかってるって。労働基準法のことでしょ?」
小夜乃の懸念に対して、何でもないことのように観月は応えた。
「だいじょぶよ。自分ちや親せきの子供に仕事を手伝わせるなんてどこの店でもやってることだし、2人ともあたしのいとこだってお父さんが言い張れば絶対バレないって。うちのお姉ちゃんが中学の時も、そうやって自分の友達をしょっちゅうシフトに入れてたもん」
さすが飲食店の娘というべきか、その辺りの事情には我が妹より余程通暁していたらしい。
「それに万が一そういうことがばれても、仲の良い友達が市役所にいて幾らでもごまかしてもらえるって、いつもお父さん言ってるもん。何も心配することないよ」
「それは不正なのでは…」
「もう、相変わらず堅いなあさよちゃんは。今は緊急事態なんだよ!もうすぐしずちゃん日本からいなくなるんだよ、3人で思い出作らないでどうするの。ルールと親友、どっちが大事なの!?」
観月が興奮した口ぶりで身を乗り出してきた…この辺りの話を聞く限り、どうも観月は“親友と別れねばならない”という悲劇的状況に過剰に酔っていた節がある。
「4月まで待ってたらすぐ高校が始まっちゃうし、そしたらあたしらバイトどころじゃなくなるじゃん!お金をがっつり稼ぐには春休み最初からフルでシフトいれまくるしかないんだよ。しずちゃんと思い出つくれるのは、今度の5月が最後なんだよ!?」
「その言い方だと、何だか今生の別れみたいに聞こえるんですが…」
「ねえ小夜乃ちゃん、“アルバイトだ”って堅く考えなければいいんじゃないかな」
そう助け舟を出したのは静だった。日本を離れる当人の方が、観月に比べ随分肩の力が抜けていたようだ。
「友達のお店が人手不足で困っているんだから、私たちがちょっと手伝うだけだよ。それくらい別に構わないんじゃないかな?私なんかイギリスにいた時、小学生の頃からお父さんの知り合いが経営するバーの手伝いに、たまに入ってたよ」
「そうそう、私たちでお父さんを“手伝う”だけ!その後で感謝のシルシにちょっと多めの“お小遣い”をもらったって、ばちは当たらないよ」
観月もここぞとばかりに静の論法に乗っかった。
こうなると妹も反論に窮した。友人たちの方便に完全に納得したわけでもなかったろうが、日本を去る静の為に何かしてやりたいという気持ちも強かったに違いない。また友人から逼迫した実家の助っ人を頼まれ、放っておける性分でもない。
散々迷った末、とうとう小夜乃は友人達の提案に頷いた。その後観月が父親に打診した処、娘の申し出を快く受けてくれたらしい。こうして女子3人は春休みをバイトもとい喫茶店の“手伝い”に明け暮れることとなった。その礼として“手伝い”の期間が開けた後、心ばかりの“小遣い”を受け取ることも既に確約済みだという。
そのことに関して小夜乃はルールを逸脱してしまったという認識を捨てられず、未だに自己嫌悪を引きずっているようだったが…“相談”の本題というのはそこではなかった。