妹の相談(1)
「実は私、春休みが始まってから観月さんのお家が経営しているお店でウェイトレスをしているんです」
小夜乃はそんな告白から、話を切り出した。
これには少し意表を突かれた。“観月さん”というのは先ほども出てきた、妹の友人である川内観月のことだろう。実家が喫茶店を経営している、とは以前にも聞いたことがある。ということはつまり、小夜乃は喫茶店でアルバイトをしていることになるのだろうか。妹の気質からいって、この春は高校入学の準備に専念しているものとばかり思っていたのだが。
「急に人手が足りなくなったと頼み込まれ、断れませんでした。それに他にも事情がありまして…高校入学を間近に控えた時期に不心得だと、自分でもわかっているのですが」
「いや、そんな深刻になる必要もないが…」
心底恥じ入ったような小夜乃の表情を眺めていると、やはりこの妹はもう少し気楽に生きるべきだと改めて思った。実際、傍からみても小夜乃が新生活の備えを疎かにしている様子はなかった。反って力を入れ過ぎているようにさえ見えた。小夜乃の学力なら、そこまで予習に励まずとも市立高校の授業に置いて行かれることはまずあるまい。俺でさえ、どうにかこうにか着いていけるのだから。
寧ろそこに喫茶店の作業まで加わったとしたら妹の身体が保つのか、その点は多少心配になってくるが、見た処ではまだ体調を崩した様子もなかった。
「卒業してもう中学の校則もなくなったんだし、無理さえしなければ別に問題ないんじゃないか?社会勉強にもなるし」
「でも労働基準法では、15歳の3月31日が終わるまでは原則として就労してはいけないことになっているのです」
「…そうなの?」
はじめて知った。中学時代、アルバイトで稼いで随分羽振りがいい同級生が何人かいた気がするが、ではあいつらは何だったのだろうか。
「ですからあくまで、アルバイトではなく“お手伝い”という形で入らせてもらってます。それでも手間賃としてお金はいただいているので、言い訳にしかならないのですが…」
どこまでも自分を卑下してくる。俺としてはそこまで慚愧を感じることでもないと思うのだが、そこは自ずと価値観の尺度が違うのだろう。「皆やっていることだろう」と慰めても小夜乃に対しては逆効果になりそうなので、ここは別角度からアプローチすることにした。
「しかしそこまで気を回すお前が、そのバイト…じゃなかった、“手伝い”を承諾したってことは、余程の事情だったんだろう。一体どうしたんだ?」
「はい、そのことなのですが…」
どうやら話の向きを修正することができたらしい。俺は密かに胸を撫で下ろした。
「実は今度、静さんがイギリスへ帰ることになってしまったんです」
安心するには早すぎたらしい。小夜乃が述べたのは中々に重たい情報だった、少なくとも口にした当人にとっては。
融通が利かない性格が祟ってか妹は友人を作るのが得手ではなかったが、それでも現在“親友”と呼ぶに足る相手が2人いる。1人は川内観月、そしてもう1人がその“静さん”こと東江寺静である。どちらも中学の同級生で、3年時に同じクラスだった。小夜乃を交えた3人はグループとなって学校内外でよく行動を共にしているらしい。
先ほども記したが、俺も2人には直接会ったことが何度かある。他者から敬遠されがちな妹の性格を内心案じていた俺としては、この2人の存在を知った時は随分ほっとしたものである。尤も交友関係の乏しさについては、俺も妹をとやかく言えた立場ではないが…
東江寺静はその姓名だけ聞くと純日本的で格式高い印象を受けるが、当人はイギリスからの帰国子女で長いこと海外で暮らしていた。身長は高く髪の色は茶色がかっており、目鼻立ちはくっきりしてやや頬骨が出張っている、という風にその容姿もあまり姓名のイメージに合致しているとは言い難い。小夜乃の方が余程、外から一見する者に和風テイストを感じさせることだろう。
出生地は日本だが、物心つく前に両親に連れられて海の向こうへと渡った。昨年の春、始業式の日に小夜乃のクラスに編入してくるまで、一度も帰国する機会はなかったらしい。
日本の中学に転入して来たばかりの静を、学級委員だった小夜乃が何かと世話しているうちに2人は親しくなった。静はイギリス在住の頃から父母に日本語を教わり、自宅では常用する習慣があったとのことだ。「静さんの日本語はとても流暢で、反って私の方が気後れしてしまいます」と小夜乃が言っていたくらいなので、言葉の壁は当初から存在しなかったようだ。
そこに同じクラスだった川内観月が混ざってきた。2年時までは小夜乃と同じクラスになったこともなく殆ど接点はなかったらしいが、本人曰く
「だって帰国子女と学級委員の組み合わせなんて、漫画みたいで面白そうじゃない!」
…という理由で話しかけてきたとのことだ。
聞き様によっては失礼とも思える発言だが、小夜乃も静も気にすることなく観月を受け入れた。川内観月という女子は普段からあけすけにものを言うが、その癖妙に憎めない性格をしているようだ。身長は小柄で、ややぽっちゃりした体系に童顔を備え、実年齢よりも幼く見られることもしばしばだとか。そんなビジュアルも相手の毒気を抜くのに一役買っているのかもしれない。羨ましいことだ。
こうして3人はグループを形成し、交友関係は卒業まで崩れなかったようだ。観月と静には小夜乃の堅すぎる性格を受け入れてくれたという点で、兄として心から感謝している。何せ妹は未だにスマートフォンを持たないガラケー利用者であり、聞くところによると男女問わずクラスで唯一の存在だったらしい。「スマートフォンにすると料金が高くなって無駄じゃないですか」と言って本人は頑なに変えようとしないのだが、それだと当然同級生とラインなどのコミュニケーションアプリでやり取りすることもできない。周囲にまったく迎合する気がないというのも、考え物である。尤も、観月も静もそこまでスマホやそれを用いたやり取りに執着するタイプではないようで、特に観月は重度の機械アレルギーで、パソコンのブラインドタッチも出来ないほど。スマホも「皆に合わせて持っているけど殆ど使い方がわからない」状態で、結果通話とメールというガラケーでも事足りる機能しか満足に活用していないということだから、ある意味似た者同士なのかもしれない…
余談だが俺も依然スマートフォンは所持していない。これは小夜乃のような倹約思考からではなく、単に長年使っているガラケーから機種変更するのが面倒というだけである。
話を戻そう。ともかく携帯機種の壁も超えて3人は親交を育んだ。観月は料理部、静はバトミントン部、小夜乃は文芸部と言った調子で部活もばらばらで共通の趣味もあまりなかったらしいが、それでも関係が続くというのはどこかお互いにウマの合う部分があったからだろうか。
しかし高校受験を間近に控えたある日、彼女たちに悲報がもたらされた。静が親の仕事の都合で、再びイギリスへ経たねばならなくなったというのだ。