兄妹の検討(1)
「まず①の可能性だが、これは除外していいだろう」
俺はノートに書いた①の項を指さしながら、小夜乃に告げた。(「妹の相談(6)」内、”表1"参照)
「何故ですか?」
「静がホールと厨房の境目に姿を現したのは観月がメモを記し終えた後だ。観月は最初このメモを小夜乃に渡して買い物を頼もうとしていた。その後静が名乗りをあげて役割が交代したのは、観月にしてみればまったくの偶然で予測することはできなかった。だから観月が静を陥れるためにメモに細工をした、と考えることはできない」
ここで俺は言葉を切った。厳密な推理を志すためには、触れづらい箇所にも言及せねばならない。
「或いは、これはあくまで議論の種として言うことだが、観月は最初から小夜乃、お前を陥れようとしてメモの数を改ざんしていたという考え方もできるが…お前は観月にそんなことをされるような恨みを買った覚えはないだろ?」
「ない、とは思いますけど…どうなんでしょう、知らない内に不興を買っていなかったとは断言できません。自分が愛想のない人間だということくらいは、弁えているつもりですので」
小夜乃が真剣に考え込んでしまったので、俺は慌てて言葉を継ぎ足した。
「も、もし仮に観月がお前に悪意を持っていたとしても、メモに細工をするのはおかしいんだ。店長が観月に買ってくる品を叫んで告げた時、お前もそれを聞いているんだから。まして牛乳を1本から2本に訂正する指示が飛んだ時、お前は厨房の入り口付近にいた。観月もそれを知っていたんだから自分が聞こえたことがお前に聞こえなかった、と考えるはずがない。ならお前は“買ってこなければいけない牛乳の本当の数”を知っているわけで、メモで数を改ざんした処で陥れることはできないんだ。まさか頭の良いお前が買い物に行く途中で店長の発言を忘れる、と期待もできなかっただろうしな」
「私なんか頭が良くはありませんが…言われてみればそうですね。私は厨房の入り口で店長の指示を聞いていました。そんな私を、観月さんがメモを改ざんすることで陥れようと考えることはまずないでしょう。店長の声は決して小さなものではありませんでしたし」
小夜乃が納得してくれたらしいので、俺はほっとした。
「では、観月さんが私を陥れようとした可能性はないことはわかりましたが…これも議論の種として提示するのですが、こうは考えられないでしょうか。静さんが姿を現してから、私と静さんは少しの間2人で話していました。その間、2人とも観月さんには注意を払っていなかった。私たちの会話を聞いていた観月さんが、どうやら買い出しの役目が交代しそうだと予測し、静さんを陥れようと咄嗟にメモの牛乳の数を書き換えたということは…意地悪すぎる見方でしょうか」
「いや、当然考えておくべき可能性だと思う。しかし、その場合もやはり観月の行動はおかしいことになる」
「どういうことでしょうか」
「もし観月が悪意をもってメモに細工をしたのだとしても、買い物から帰ってきた静がメモをなくしていることまでは予想できなかった。それこそ完全な偶然だ。当然メモは書かれたまま店に持ち帰られると思っていた。では静が持ち帰ったメモを見せ、その中の“牛乳”の文字の横に2ではなく10と書かれていたら、瑕疵があったのは自分の記載の方だとすぐにばれてしまう。しかも咄嗟に書き換えたなら“2”を訂正した跡も残っただろうしな、故意の可能性は高まって、苦しい立場になるのは観月の方だ。それじゃ静をひっかけるどころじゃない」
「確かに…それにそんなリスクを冒していたら、静さんが帰ってきた後でメモを見せるように強く主張したことも不自然です。自分が不利になるのがわかっているのに」
「つまり、どんな角度から考えても観月が意図的にメモの数に細工をしたという可能性はあり得ないことになる。ここまで、何か反論はあるか?」
小夜乃が首を振ったので、俺はノートに書かれた①の上にペンで斜線を引いた。