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死にたい君と逝きたい僕  作者: ひとみ
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おにぎりとお弁当

コンクリートはまだ僅かに湿っていた。灰色の冷たいそこに座り込むと、じんわりと冷たさが伝わってくる。熱を奪い取られるような感覚があった。空は驚くほど青く、澄み渡っていた。彼女はあの日から来ていない。元よりあまり物を食べることをしないため昼を抜いても困りはしないが、続いた雨のために満足に昼寝が出来ていなかった。そちらの方が、大問題だ。ひとつ欠伸をして仰向けに寝転がる。熱の奪われる範囲が増えて、一気に寒くなったような気がした。なるべく温まるように身体を丸める。目を閉じて沈んでいく意識に身を任せようとしたとき、

「君」

彼女の、声がした。記憶の通り、高くも低くもない声。よく響いて、鼓膜を直接揺さぶられるような感じがする。

「久し振り」

目を開くと、彼女が顔を覗き込むようにしゃがんでいた。スカートの中は見えそうで見えない。

「あら、見たいの?」

艶やかに微笑む彼女は、おおよそ女子がする言動ではないことを平気でする。

「見たくない男子がいると思う?」

少しだけ顔を傾けて見ようとしてみる。すると、彼女はスカートを押さえて立ち上がってしまった。完全に隠されたそれに肩を落として見せる。

「変態」

ふふ、と上品に笑って一歩離れる。

「男はみんな変態だよ」

この言葉を男自身が言うのはどうかと思うし、ただの偏見でしかないけれど。身体を起こして頭を掻く。またひとつ、欠伸が出た。

「ご飯を持ってきたの。おにぎりとお弁当、どちらが良い?」

いつもより若干大きい袋を掲げる。中にはおにぎりとお弁当が入っているのだろう。

「おすすめはどっち?」

聞くと、間髪入れずに言葉が返ってきた。

「お弁当」

ごそごそと袋を漁り、ひとつのお弁当箱を取り出す。透明の赤い蓋に薄い茶色の箱。白色のお箸は別売りだったのだろうか。掌より少し大きいそれは彼女にしては珍しく、良心的な大きさだった。

「じゃあ、お弁当」

差し出されたそれを受け取って足に乗せる。丁寧に開けるとたくさんの色が並べられていた。黄色の玉子焼きと茶色のミートボール。緑色のブロッコリーと赤色のスパゲティー。白いご飯の上には黒い昆布が乗っていた。

「いただきます」

手を合わせてから箸を差し込む。彼女はニコニコと笑っておにぎりを取り出した。包みを剥がして一口食む。頬が僅かに揺れて、喉が動いた。

「美味しい?」

きちんとこちらが飲み込むのを待ってから聞かれる。

「とても」

美味しい、と言葉は出なかった。素朴で無愛想な返事をして次のおかずを口に詰め込む。

「良かった。それを作るために私、いつもより2時間も早起きしたのよ。」

見て、と左手が差し出される。人差し指の第一関節あたりと薬指の第一関節あたり、あと親指の先に絆創膏が貼ってあった。こういうものは意図して見せずに、たまたま見てしまったときにときめくものだと思うけれど。

「君は料理が出来なかったっけ?」

意地悪に、彼女が伝えたいだろうこととは違うことを言う。すると、心なしか怒っている彼女はさらに手を寄せてきた。

「他に言うことがあるでしょう?」

責めるような視線に苦笑いを溢す。

「ありがとう」

上げてみた口角は綺麗な笑顔を作れていただろうか。それでもきっと、笑顔を作るのが上手い彼女には無理矢理だとバレてしまうだろうけれど。彼女は、小さく息をついてまた口を開いた。パリッと音がして海苔が欠ける。手作りのお弁当と買ってきたおにぎり。おにぎりの方が作るのは簡単だと思うけれど、それを言うのは憚られた。女子の気持ちは分からない。まあ、彼女はただの女子とはまた違うのかもしれないけれど。

「来なかった理由は聞かないの?」

僅かに下を向いて、目を伏せた。黒い真珠のような瞳が細まり、長い睫毛で覆い隠す。それは、怒られる前の子供のようにも見えた。

「聞いて欲しいの?」

時々、本当に時々、彼女は子供のような言動をする。普段は強気で見栄っ張りだったり哀愁漂う大人な様子だったりするが、たまに見せるその言動がひたすらに愛しい。

「貴方が、聞きたいのではないかと思ったのだけれど?」

だが、それはすぐに終わってしまう。もちろん、普段の彼女も愛らしいけれど。余裕綽々と微笑む彼女も素敵で、美しい。

「うん、聞きたいかな。どうしたの?」

黄色の玉子焼きを箸で挟んで口に運ぶ。彼女はおにぎりを齧ると、しっかりと飲み込んでから口を開いた。

「お祖母ちゃんがね、死んだの」

澄んだ空に似つかわしくない、暗い話。人の死ぬ話はどうしてこうも悲しいものなのだろう。

「病気だったのよ、ずっと」

動物や昆虫はきっと、同族の死を悲しまない。どうして人間だけが悲しむのだろう。

「ここ数年は起きている方が珍しかった」

彼女の大きな目が伏せられる。綺麗な真珠のような黒い瞳が見えなくなってしまった。

「やっと、っていう思いもあるわ」

自身の身近の人間の死に、彼女は悲しそうに口角を上げる。けれど、その声はこれっぽっちも震えていない。

「薬の副作用で辛そうだったし、本人は延命治療なんて望んでいなかったもの」

いつもの、芯の通ったハキハキとした声で、淡々と語る。

「でもね、唯一の血の繋がった家族だった私が泣いてお願いして受け続けてくれたの」

パリッとおにぎりが欠ける。小さな一口。それで、彼女は生命を維持している。そのおにぎりで、彼女の身体は動いている。

「今になってみれば、申し訳なかったわ」

しっかりと飲み込んでから話を続ける。礼儀正しい彼女は、食べながら話すことをしない。

「でも、これで私は独りね」

瞳がこちらを向く。口角がさらに上がって、目が細められた。

「君と同じ」

「…そうだね」

彼女にそのことを話した記憶はないけれど。どうして知っているのだろう。それでも、それを問う気にはなれなかった。彼女と、同じになれたことが嬉しかった。

「さてと、病院に行かなくても良くなったし放課後はどうしましょう」

白いご飯と黒い昆布を箸で挟む。一口にしては多くなってしまったが、まあ食べられるだろう。

「ここに来ればいいよ」

口に放り込んで噛む。少し濃い昆布とご飯は相性が良くて、とても美味しかった。

「僕はずっと、待ってるから」

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