表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にたい君と逝きたい僕  作者: ひとみ
4/5

雨と君


目が覚めたとき、既に彼女は居なかった。当然だろうと考え直して頭を振る。ここ最近は食べてすぐ寝る、ということを繰り返していた。正直に来る睡魔に身を預けたまでは良かったのだが、あまり寝過ぎると頭が痛くなってしまう。昔から、昼寝をし過ぎると頭が痛くなるのは変わらない。他にも変わらないことはたくさんある。口数があまり多くないのも、表情が変わりにくいのも。それと、雨が好きなことも。

ポツリと雫が落ちてくる。雨が降りそうだった灰色の分厚い雲が水を降らす。コンクリートに丸い染みができ、それは徐々に増えていった。冷たい水が頬に垂れる。あっという間に服が濡れ、肌に張り付いた。ノロノロと立ち上がり、扉近くの僅かな屋根の下に入る。季節に似つかわしくない、寒さが襲ってきた。ぼんやりと空を見上げる。少しづつ激しくなった雨はあっという間に豪雨へと変わり、水溜まりを作っていく。その雨を打ち消すように透き通った声が聞こえた。

「やっぱり濡れてる」

彼女が、タオルを片手に微笑んでいた。

「雨が降っているから、絶対に濡れていると思ったの」

薄い空色のタオルが差し出される。僕はそれを、黙って受け取った。広げて、頭に乗せる。掻きむしるように手を動かすと、薄かった空色は濃い青に変わった。

「授業はどうしたの」

頭に乗せたまま、空を見上げる。少しだけ、勢いが弱まったように感じた。

「頭痛で抜けてきたわ」

彼女が隣に座り込んだのが分かった。肩が触れるほど近い。濡れるのでは、と懸念したが狭い屋根の下。これ以上離れては余計に濡れてしまう。

「嘘はいけないよ」

彼女の肩が、微かに震える。ふふ、と漏れでる息は微かに白く靄になった。

「嘘つきの貴方に言われたくないわ」

そう言われてしまえば、言えることは何もなくなってしまうのだけれど。彼女の髪が僅かに頬に触れる。濃淡の黒色の髪は、消えてしまいそうなほど儚く感じさせた。少し、暗いからだろうか。

「君は雨が好きでしょう」

彼女にそれを言った覚えは無いけれど、気付かれていた。

「雨の度に濡れているもの」

それは、

「だから、雨が好きなのでしょう?」

それは、少し違う。

「私は雨を見るのは好きよ。でも濡れるのは嫌」

視線をずらして水が弾けている下に移す。水溜まりに落ちた水は円を描いて溶けていく。

「なんだか、嫌な感じなのよね」

「普通は皆、濡れることは嫌がるものだよ」

タオルを肩に掛け、頭を振る。彼女が、猫みたいとそっと呟いたのが聞こえたが聞こえない振りをした。

「人間の、本能みたいなものだと思う」

あくまで、推測だけれど。

「水は、容易く人間の命を奪うから」

右手を伸ばして、雨に触れる。すぐに手から溢れ落ち、水溜まりと同化していった。

「でも君は、濡れることが好きでしょう?」

彼女がそっと、僕の手を引き寄せる。肩からタオルを引き抜いて、丁寧に包んだ。揉まれるように水分が取られていく。

「どうしてなのかしら」

彼女に向かい合うように姿勢を正す。伏せられた瞳は悪戯を楽しむ子供のように輝いていた。

「君は、雨は好き?」

わざとらしく話を逸らせば、少しむっとした彼女が顔を上げる。

「私が聞いていたのだけれど」

「僕が聞いても良いでしょ?」

彼女は僕の手を離すと、顔にタオルを押し付けてきた。優しく、撫でるように拭かれる。

「雨…そうね、好きよ。さっきも言ったけれど見ることは好き」

タオルを持っている手が徐々に下がっていく。首をゆっくりと這い、冷たさに体が跳ねた。彼女は楽しそうに微笑み、また押し付けてくる。

「雨に濡れた君を見るのは、とても好きよ」

彼女の手を押さえる。これ以上悪戯されるのはごめんだ。タオルを奪い取り、自分で雑に拭き取る。彼女は残念そうに息を付いた。

「だからいつも、ここに来るの?」

聞くと間髪いれずにええ、と返ってきた。悪戯好きで人の弱いところを見ることが好き。出会った頃から変わらない、彼女の少しだけ悪い性格。

「あまり褒められたものではないな」

雨の喧騒に混じってチャイムの音が聞こえた。くぐもったひどく遠くに響いた音だけれど、聞き間違いではないはずだ。

「褒めて貰おうとは、思っていないわ。それに、君しか知らないよ」

濡れたタオルを丁寧に引き抜いて、軽くたたむ。小さな息と共に立ち上がって、僕を見下ろした。

「君は、こんな私でも受け入れてくれるでしょう?」

何もかもを見通すような、分かりきっている瞳。でも何処か不安そうに揺らいでいる。僕は、その不安を見たくなかった。彼女には、何の不安もなく眩しい光を纏って笑っていて欲しい。でも、きっと彼女には笑った顔より泣いた顔の方が似合う。そんな矛盾を考えながら、僕は言うのだ。彼女の不安を、無くすために。僕の前でだけは、隠すことなくありのままの彼女でいて欲しいから。

「もちろん」

彼女は、満足そうに微笑んで去っていった。

扉の閉まる小さな音が聞こえた。僕はふらりと立ち上がり、雨に向かって一歩踏み出す。雨が好きだった。子供の頃からずっと。雨は、嫌なことを覆い隠してくれるから。でも、濡れることが好きになったのは彼女と出会ってから。

だって濡れていたら、君は必ず来てくれるでしょ?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ