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死にたい君と逝きたい僕  作者: ひとみ
3/5

いるといない


昨日とは一転した、雨が降りそうなほど暗い天気だ。灰色の雲が空を覆い、心なしか湿気ているような気がする。雨が降っていないからと、いつものように柵に座っていると扉の開く音が聞こえた。

「君」

振り向く前に、いつものように彼女が声を掛けてくる。振り向くと、いつものように袋を持った彼女が歩み寄って来た。

「パンとおにぎり、どっちがいい?」

いつものように軽く手を上げて、掲げて見せる。僅かに揺れた袋はカサカサと小さく音を立てた。

「パン」

答えると、彼女は笑みを深くした。それから、柵から10歩ほど離れたところに座る。袋からパンを一つ一つ出し、自身もおにぎりを一つ手に持って開け始めた。僕は柵から飛び降りて、一度外側に立った。

「早く食べましょう?」

誘うように微笑んで、自身の前を掌で軽く叩く。そこへ行け、ということだろうか。僕は柵に手を掛けて乗り越えると、彼女の言うようにそこに座った。袋の横に並べられているパンを手に取る。すべてのパンが僕の方を向いて揃えられているところが、何とも彼女らしい。

「こんなに食べられないよ」

いつものように、パンの数に嘆く。手に持った1番小さなパンと、あと5個。惣菜パンが3個と、菓子パンが2個。

「だめよ。たくさん食べないと」

袋から覗いたおにぎりはあと1個しかなかった。ここはおにぎりにしておいた方が良かったかもしれない。

「僕はそれほど大食いではないよ」

「知っているわ」

小さく口を開けておにぎりにかぶりつく。その様子は猫を連想させた。愛らしくて、そのくせ鋭い牙を隠さない。それから、してやったり顔でこちらを見てくる。

「昨日も言ったでしょう?君は細すぎる」

また小さく口を開けた。パリッと音がして黒い海苔が欠ける。数度口を動かすと、喉がこくりと上下した。

「私より細いのは、許さないよ」

急かすように瞳で訴えられて、ため息を付きながら包装を破いた。コロネだ。くるくると巻かれている生地でチョコレートが包まれている。いや、くるくると巻かれている生地の中にチョコレートが絞られているのかもしれない。掌ほどの大きさのそれを両手で持って一口齧った。それが1番小さいのだから、色々と察して貰いたい。

「甘い」

思ったより甘かった。ぬったりとした濃厚なチョコレートの味が口に広がる。こういうものは普通チョコレートが少なめになっているが、手にしているコロネは溢れるほど入っていた。

「甘いものは苦手?」

こちらを伺うように顔を覗き込まれる。心配そうなその表情は、まるで機嫌を伺っている子供のようだ。

「苦手ではないよ。……ただ思ったより濃いと思って」

安心させるように言ったあと、彼女はそれだけでは満足しないだろうと付け加えた。理由や原因まで突き止めたがるのは、いつものことだから。

「そう。私の家の近くにあるパン屋さんよ。愛用しているの」

通りで包装の仕方が昨日と似ていると思った。

「ケチしないのよ。そのコロネもたくさんチョコレートが入っているでしょう?」

頷いて、また齧った。口に入らなかった半分からチョコレートが溢れ出てくる。落ちないように気を付けて、噛みついた。チョコレートの飲み物でも含んでいるようだ。口に入った瞬間、溶けてトロトロになる。特に噛む必要もない。喉を滑り落ちていった。

「値段も安過ぎない。私、商品と値段が釣り合っているものが好きなの。変に値段が安過ぎたり、商品が良すぎるものって落ち着かないわ」

パリッと海苔の欠ける音が響いた。昼休み中に食べ終わるのだろうか。そう思わせるほど、彼女の一口は小さかった。

「普通、値段が安くて良いものは喜ばれると思うんだけれど」

パンを頬張ると、半分が千切れてしまった。口に押し込んで、噛む。チョコレートが垂れる前に慌てて口に含んだ。

「そうかもしれないわね。でも、私はそのような商品は信じていないの」

彼女のおにぎりからは、ようやく具材が色鮮やかに見えた。

「ものは、長く使いたいのよ」

ふぅ、と息をついて彼女はビニール袋からペットボトルを取り出した。片手で器用に開けて、軽く傾ける。必要最低限の動きしかしない。

「安いものは、長く使えないの?」

問うと、ペットボトルから口を離してから答える。

「いいえ。でも私は長く使えないもの。昔からそうなの。少しでも安いものを使っていたら、すぐ壊してしまう」

彼女の瞳が伏せられる。悲しそうに微笑んで、またおにぎりを齧った。パリッと海苔の欠ける音がする。

「大切に使っているつもりなのだけれどね」

手にしていたパンの残りを全て口に放り込む。下の方までしっかりとチョコレートが入っていた。

「そう」

彼女の言葉につまらなく返して、パンを見つめる。一つ手に取って、包装を破いた。

「ねぇ、君」

話し掛けられて、前を向く。彼女は真剣な、でも面白がっているような瞳を僕に向けていた。いつもの、何でもないことを真剣に聞く彼女の瞳だ。

「そこにいない人は、本当にいないのかしら」

「…どういうこと?」

パンの間に挟まれていたソーセージに噛みついてから、問い返した。

「ある学校の屋上に、男の子がいました。その男の子は自分を、2年生だと言います。そこでその男の子と友達である女の子は2年生の全てのクラスを見て回りました。しかし、男の子の席はどこにもないのです」

「全部見たの?」

その行動力には、感嘆を通り越して呆れてしまう。パンとソーセージを一緒に食べる。あまり大きくない口は、パンを食べきることは出来なかった。

「ええ、見たわ」

パリッと海苔の欠ける音がした。おにぎりの具材はもうすでに無くなっている。

「でも、男の子の席は何処にもなかった」

パリッ、音がする。口を動かして、こくりと飲み込んだ。僕も大雑把に口を動かして、彼女と同じように飲み込む。少し喉に引っ掛かるような感覚があったから、だめ押しのようにまた飲み込んだ。うまく押し込めても、喉にある圧迫感は残る。軽く咳払いをして、口を開いた。

「クラス全員がその男の子をいないと認識しているなら、いないのではないかな」

「でも、その女の子の前に男の子は確かにいるのよ」

パリッ、海苔が欠ける。食べ始めてからそれなりに経っているが、彼女の姿勢は変わらない。

「それはあまり重要じゃないよ。人の認識によって、人は簡単にいなくなる」

行儀良く、口に含んでいたものを飲み込んでから彼女は言う。

「存在しなくなるの?」

パンに噛み付いて、引きちぎった。ソーセージが露出される。

「クラスに、存在しなくなる」

「では、女の子は何を探していたのかしら」

彼女は、またおにぎりに噛み付いた。だが海苔が湿気ってきたのか、音は徐々に小さく籠って聞こえるようになる。

「女の子は、存在しない男の子を探していたの?」

「女の子にとっては、その男の子は存在するよ」

反対側のパンを引き剥がす。好きなものは、あとに食べたい派だ。しばらく口にその味が残るから、長く味わっていられる。

「そうなってまったら、それは矛盾だわ。存在しないはずの人間が存在するはずの人間になっている」

彼女の口に、小さなおにぎりの欠片が放り込まれた。やっと、1個目が終わる。ガサガサと袋を探り、また一つ手に取った。授業は大丈夫なのだろうか。まあ、ここに時間を確認するすべはないけれど。

「矛盾ではないよ。男の子のクラス全員が認識しているものと、女の子が認識しているものは違うから」

楽しみに取っておいたソーセージを齧った。肉特有の美味しさが口に広がる。肉というのは、ただ美味しいという表現しか出来ない味だと思っている。甘くも、苦くも酸っぱくもない。ただ、美味しい。彼女はおにぎりの包装を丁寧に剥がした。1個目と同じように小さく口を開いて噛みつく。パリッといっそ、心地の良い音が響いた。

「存在というのは、とても曖昧であやふやなものだよ。だから、人間の認識でそれは簡単に変わってしまう」

残っていたパンとソーセージを口に詰め込む。大雑把に咀嚼して、無理に飲み込んだ。ふぅ、と息をつく。彼女はまっすぐにこちらを見つめていた。その瞳を見つめ返して、言葉を放つ。その言葉は自分でも驚くほど冷たかった。

「君の目の前にいる僕は確かに存在しているけれど、僕のクラスでは僕は存在していないよ」

しばらく、時が止まったように感じた。まるで、この世に彼女と2人きりになってしまったかのように。彼女は不意に瞳を逸らすと、おにぎりを齧った。パリッと音がする。それは妙に大きく響いたような気がした。口を動かして、飲み込む。それからこちらを見て微笑んだ。いつもの穏やかで、その癖全てを悟ったような、光と言うには暗すぎて闇と言うには眩しすぎる笑み。

「つまり君は、私の前にしか存在しないのね」

パンを見下ろす。残り4個もあるパンは、食べられそうにない。

「君が僕を、認識しているのなら僕は君の前に存在し続けるよ」

パリッ、海苔が欠ける。彼女の瞳が細められて、口角が上がった。笑みを深くして、彼女は言う。

「そう。それなら、いいわ」

何が良いのか分からないが、彼女は満足したように食べることに集中し始めた。パリッ、パリッと軽い音が何度も響く。今日の僕も喋りすぎた。昨日も今日も、妙に口が回る。少し疲れた。パンを彼女の方へ押す。袋がコンクリートに擦れる音が鈍く聞こえた。

「たくさん食べないと駄目よ」

と、彼女が押し返してきたけれどもう食べられない。腹は満腹感を覚えているし、少し眠たくなってきた。

「もう食べられないよ」

また押し返して、寝転がる。いつもよりひんやりとした冷たさを肌に感じながら、目を閉じた。

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