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死にたい君と逝きたい僕  作者: ひとみ
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普通と異常


『こんにちは』

彼女が僕に話し掛ける。

『次の授業はなに?』

体育、と僕は答えた。

『そう、では行きましょ』

彼女が僕の方に手を伸ばす。僕はその手を取らずに自分で立った。すると彼女は分かりやすく頬を膨らませた。

『女の子が手を差し出しているのよ。手を重ねるのが普通だと思うのだけれど』

女子に支えてもらわないと立てないほど、僕はひ弱ではないよ。

『そう見えるの。貴方はとても細いから』

それ、僕のコンプレックスなのだからあまり言わないでくれるかな。

『それじゃあ、もっと太らないといけないわね』

クスクスと彼女が笑う。そして僕の腰に手を置いた。

『本当に細いわね。どうしたらこんなに細くなれるの?羨ましいわ』

あぁ、これは夢だ。その時になって漸くそれに気付いた。

『どうしたの?黙ってしまって』

ううん、何でもないよ。

『そう、そうなら良いのだけれど』

何度、この夢を見たのだろう。数えることはとうの昔に止めてしまった。数を重ねれば重ねるだけ、虚しくなっていくから。

『ねぇ、行きましょ』

僕はここにいるよ。

『あら…普通、授業をサボることはいけないことなのよ』

僕は自分が普通ではないと思っているよ。

『では、なに?』

彼女の曇りのない瞳が向けられる。

『貴方は何なのかしら』

僕は…僕は


「異常だ…」

呆然と呟く。目を開けると青い空が目に飛び込んできた。眩しくて、また目を閉じる。懐かしい夢を見た。いつまでも忘れられないような、忘れたくても忘れられない夢。ふっと息をついて、腹に力を入れて身体を起こす。校庭からは生徒たちの騒がしい声が聞こえてきた。どのくらい寝ていたのだろう。気になったが、ここには時間の分かるものなどないから諦めた。ゆっくりと立って柵に歩み寄る。僕の胸ほどの高さのそれに、手を掛けて身体を持ち上げた。右足を向こう側に放り出して、バランスが取れたら左足も放り出す。いつもしている行為を今もした、それだけのこと。柵に座ると柵は危なげなく僕を支えた。

「はぁ…ねむ」

先ほどまで寝ていた人とは思えない発言をしていると自覚しているが、何となく手持ちぶさたで言ってしまった。大きく欠伸して、手を空に向かって伸ばす。ぐーっと力を入れて、抜いた。こんなことをしてもバランスを崩さない自分は、我ながらすごいと思う。

「君」

声がして振り向く。すると屋上に入れる唯一の扉から彼女が顔を出していた。にこやかに笑っている。

「授業はどうしたの」

返事もせずに、自分の疑問を押し付けた。我ながら図々しい奴だと思うが、彼女はこれだけのことで機嫌を悪くしたりはしない。

「もう放課後よ。寝ていたのね」

呆れたように言って近付いてくる。

「どうして分かったの」

「後ろ髪が跳ねてるわ」

彼女の手が伸びて僕の髪に触れる。優しく撫でられて少し擽ったいような気持ちになった。

「それに、君はいつも寝ているから」

クスクスと笑う彼女は悪戯っ子のようで。むっとして思わず言い返す。

「心外だな、いつもは寝ていないよ」

「そうかもしれないわね。でも基本的に寝ているでしょう?」

返す言葉もない。彼女のこういうところが苦手だった。正論を正論だと思わせることが上手い。黙り込んで、柵から飛び降りる。丁度、人が2人縦に並べる広さのある外側に立って、彼女の方を向いた。彼女はちっとも心配したような顔をせず、

「危ないわ」

と事務的に言い放った。

「そんなこと、思ってもいない癖に」

「そういうことを誰かがしたとき、普通は言うものなのよ」

それにしても言い方があるだろう。演技が雑すぎる。言いはしなかったが、彼女に僕の考えは筒抜けだった。

「こう見えて、小学校の学習発表会では主役をしたのよ」

「何の劇の?」

「シンデレラ」

何となく、彼女には似合わない劇に思えた。誰かに虐げられ、床に這っている姿が想像出来ないから。そもそも、幸せになるハッピーエンドさえ、彼女には似合わない。彼女はきっと、バッドエンドに悲しむ姿の方が似合う。笑顔より、涙を流す彼女の方がどこか艶やかで妖しくて、美しい。

「私、こう見えてハッピーエンドで終わるお話の方が好きなのよ」

彼女は柵に肘を付けて、掌の上に頬を乗せた。

「皆が笑顔で終わるお話って素敵だと思わない?涙を流すのは悪役だけ。主役や主役のお友達はニコニコと笑っていられるの。これまでの悲しさも、これからの楽しさも、美しく表現されているもの。読者も胸を撫で下ろして、良い話だった、と本を閉じる」

細められた瞳は、どこか遠くを見ていた。

「皆がハッピーエンドなのよ。登場人物だけでなく、読者もね。皆が幸せになれるの。素敵でしょ?」

「そうかな」

彼女の瞳が、僕を捉えた。遠い景色から近くの花に視線が移ったように、どこか驚きながら。

「僕は、バッドエンドの方が好きだよ」

「どうして?」

夢と同じように、曇りのない瞳で問われる。その瞳の純粋無垢な輝きに、瞳を合わせていられなかった。外側を向いて、柵に背を預ける。優しい風が、僕の顔を撫でた。

「主役だけが幸せになるのが、我慢できないんだ」

傲慢で、我儘な考えなのは分かっている。でも、心からそう思ってしまうから。

「悪役が涙を流すなら、主役も涙を流すべきだよ。平和、平等、勝手に人が作った綺麗事を並べるならそうでなければならない。物語ってそういう教訓を教えるためのもの。バッドエンドなら、平等だよ」

傾き始めた太陽が眩しい。直視すると、瞳が潰れてしまいそうだ。

「世界は、バッドエンドで溢れかえっているんだよ」

僕にしては珍しく喋りすぎてしまった。喋ることは苦手だ。その場の雰囲気を変えてしまうから。

「君にしては随分と気障なことを言うのね」

だが、彼女との会話はあまり気にならなかった。雰囲気が変わっても、穏やかな空気は変わらないから。

「似合わないかな」

「ええ、とても」

彼女は背中を向けた。扉まで歩いて鞄を手に持つ。

「でも、君のそういうところは好きよ。世界はバッドエンドで溢れかえっている、覚えておくわ。素敵な言葉だもの」

僕の方を振り返ってふわりと笑う。彼女の笑みは、たくさんの感情が織り込まれている。笑顔一つで、とても多くの感情が伝わってくる。彼女のその笑みが、好きだった。

「そう」

でも僕は、素っ気なく言葉を放った。好きな理由が、自分でも分かっていたから。面白くもない、無い物ねだりだと、分かっていたから。

「君のそういうところ、とても君らしいわ」

また背を向けて、行ってしまう。

「委員会があったの、忘れていたわ。また明日」

「うん」

そのまま振り返ることなく、彼女は去っていく。

「僕らしいって、何なのかな」

一人取り残された僕の言葉だけが、虚しく響いた。

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