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死にたい君と逝きたい僕  作者: ひとみ
1/5

サンドイッチとおにぎり

「ねぇ、ねぇそこの君」

背後から掛けられた声に振り向いた。黒のショートカットに同色の大きな瞳、規定のスカートを膝上5センチほど短くして彼女はそこにいた。

「なに」

小さな声で僕は答える。

「授業が始まってしまうけれど、行かなくて良いの?」

学校の屋上。彼女は柵から10歩ほど離れたところで、僕は柵の反対側。初めて出会った場所で、僕はただ微笑んだ。



「サンドイッチとおにぎり、どちらが良い?特別に選ばせてあげる」

大きな瞳が細められ口角が上がる。僕はお昼は御飯派なのだけれど、サンドイッチと答えた。彼女が御飯派だと知っていたから。

「はい」

手渡されたコンビニ袋はずっしりと重い。中を見るとサンドイッチが2つも入っていた。

「こんなに食べられないよ」

1つだけ取ってもう一つを袋に入れたまま返すと、彼女はそれをさらに突き返してきた。

「駄目、たくさん食べて。君は細い、細すぎる。女の私より細いのは許さないよ」

食べたからと言って太るとは限らないのに、彼女はいつもそう言う。

「でも、君は僕より背が高い」

座っていても目線を上げないと目が合わない。すごく悔しい。

「それとこれとは別。とにかくたくさん食べないと」

仕方なく、受けとる。と、言っても食べるかどうかは別の話。このサンドイッチもいつものように僕の晩御飯になるのだろう。

彼女の名前は柏木早苗(かしわぎさな)。初めて会った日に名乗られた。が、僕がその名を呼んだことはない。僕たちが会うのは屋上。大抵ぼーっとしている僕の元に彼女がやってくる。2人しかいないこの場に名など必要ないし、僕は名乗ってすらいない。そもそも彼女は僕のことを"君"と呼ぶ。だから僕も"君"と呼んだ。彼女はお昼にいつもサンドイッチとおにぎりを持ってくる。それぞれが入っているコンビニの袋2つをもってやって来るのだ。申し訳ないから金を払うと言うのだが、彼女は首を横に振る。1度、無理矢理渡したら彼女はそれを、柵から向こう側に落としてしまった。そして、こちらを振り向いて言うのだ。

『これは私が好き好んでしていることよ。だから、お金はいらないの』

屋上から見えるグラウンドにはたくさんの生徒がいた。談笑する者、サッカーをする者、ご飯を食べる者。それらを見下ろして、彼女は言葉を続けた。

『そんなことより、私よりお金を必要とする人にお金は渡るべきよ。それが平等というものではないかしら』

逆光で彼女の顔は見えなかったけれど、でも少しだけ悲しそうに見えたことだけはよく覚えている。どうしてなのかは分からない。その後はいつも通りだったから何も聞かなかったけれど、でも何だか落ち込んでいるような気がした。

「ちょっと、話を聞いているの?」

目の前の光景が鮮明に目のなかに飛び込んできた。

「ごめん、聞いていなかった。なに?」

彼女はそっぽを向いて話始めた。

「猫がいたのよ。名前はノラ」

「飼い猫なのに、野良という名前なの?」

「えぇ、拾ったのよ、野良猫を。だからノラ。黒くて、鼻の周りだけ茶色だった」

彼女に似合いそうな猫だと思った。いや、猫に似合うなどあるのかどうか分からないけれど、少なくともこの時の僕は似合いそうだと思った。

「その猫がどうしたんだ?」

声がした。するとドアの所からひょっこり顔が出てくる。短い黒髪に上がり目、如何にも運動部という感じの男だが、実際はオカルト研究会というあるのかないのか分からない部活に属している。五十嵐山都(いがらしやまと)、彼の名だ。なんとも強そうな名前である。彼は1週間に1度、ここにくる。どうやら僕の目の前にいる彼女に惚れているらしい。何かとあれば絡んでくるから大変だと彼女は言っていた。

「五十嵐くん、今は5時間目のはずだけれど」

「あぁ、そうだな。お、うまそうなの食ってるじゃねぇか。食わないならくれよ」

言われて、大人しくサンドイッチの入った袋を渡す。ついでに今食べていたサンドイッチの余っていた1つも渡した。

「君、食べないとダメだよ。五十嵐くんも彼から取ったらダメ」

彼女は五十嵐から袋を取り上げて僕に渡してきた。

「いいじゃねぇかよ。お前は食わないんだろ?」

こくん、と頷くと満足気に袋を開けサンドイッチを食べ始めた。大きな口を開けて僕がまだ食べ終わっていないのに、あっという間に食べ終わってしまった。さすが、現役男子高校生。

「はぁ、ごめんね」

よく分からない謝罪を受けて思わず頷いてしまう。五十嵐に睨まれた気がするがどうでもいい。五十嵐に嫌われたところで特も損も有るわけではない。

「で、猫がどうしたんだよ」

五十嵐が話を促すと彼女は渋々続けた。

「死んでしまったの」

彼女の表情は意外にも変化がなかった。その瞳は暗闇のように何も写していない。まるで感情を何かに奪い取られたようだ。表情のコロコロ変わる彼女に似つかわしくない瞳だった。

「どうして死んでしまったの?」

聞くと、彼女はおにぎりを一口食べてから話した。

「事故。うちの猫、脱走癖があったの。その日も脱走していていつものことだと思っていたのだけれど、トラックに跳ねられて死んでしまった」

隣で五十嵐が息を飲んだのが分かった。

「即死だったそうよ。でも、ノラは小さかった。可哀想な位小さくて、可愛かったの」

彼女はまた一口、おにぎりを頬張った。僕も五十嵐も何も言えなかった。いや、少し違う。五十嵐は言えなかったかも知れないけれど、僕は言わなかった。意図して言っていないのだ。今の彼女に、掛けるだけの言葉が通用しないことを感じたから。今の彼女を救えるのは無言なのではないか、そう思ったから。

「ノラはね、決して私になつかなかったの。いつも1人、いや1匹で居てね。餌の時だけ、怖々と近付いてきて毎回臭いを嗅いで、少しだけ口に含んで飲み込む。それから安心したように食べ始めるの。可笑しいでしょ?毒なんか入っていないのに」

彼女の口角が僅かに上がった。何かを懐かしむように目が細められ、おにぎりを持つ手に僅かに力がこもる。

「そんなノラを、私は殺してしまったの」

「お前が殺したわけではないだろう?」

彼女の言葉に五十嵐が返した。正論だ。交通事故ならば、誰のせいでもない。特に動物であればなおさら。人間ほどの罪に問われるわけでもなく、ニュースになることもない。でも彼女は本気で自分のせいだと言っているように思えた。

「いいえ、殺してしまったの」

「どうして?」

彼女は漸く僕の方を向いた。その無感情な瞳が僕に向けられる。作り物のように美しい笑みを浮かべて、彼女は人差し指を唇に当てた。

「ひみつ」

チャイムの音が鳴った。無機質な音はこの空間を完全に支配するには充分だった。

「あら、鳴ったわね。私、次は数学なの」

彼女が立ち上がると近くの袋が僅かに揺れた。先程までの無感情さがなくなり、いつものコロコロと表情の変わる彼女が僕に笑い掛けた。

「君は?」

それは授業の内容の話ではなく、ここから離れるのか否かという質問をしていることに気付いた。

「次は、体育」

柵の向こう側を見ながら言うと、彼女は一つ頷いた。

「そう、頑張ってね」

そう言うと、彼女は五十嵐と共に屋上から出ていった。僕は腕を枕にしてその場に寝転んだ。戻るつもりなんて元からない。彼処に僕の居場所はないから。暖かい日差しのなかで僕はゆっくりと眼を閉じた。


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