FUMIE
よろしく。
コーヒーサイフォンがポコポコと音をたてている。
包丁が食材を2つにしてまな板にトン、と着地するのを繰り返している。
光がカーテンを通ってテーブルを温かく照らしている。
男はあくびをしながら、階段を下りてきた。
「あなた、おはよう。」
「あぁ、おはよう。」
男はテーブル沿いの椅子に座った。
寝惚け眼のまま、ニュースを見ている。
「……この大統領も何しでかすか分からんなぁ。俺がなったほうがいいんじゃないか?」
「フフ……寝惚けてる?」
「ハハハ。いや、冗談冗談!」
「はい、あなた。」
女がコーヒーを男の元へ持ってきた。
「あぁごめん、自分でやればよかったな。」
「いいのよ、あなた。最近疲れてるんだから、ゆっくりしてて。」
「ありがとう。」
男はつくづくよくできた妻だなぁと、思った。
妻とは4年前に知り合った。
気立てが良いのは勿論、どこか人とは違うオーラがあった。
会社の上司や同僚からも、お前にはもったいない!と言われ続けてきた。
自分でもそう思った。
「なぁ。」
「ん?どうかした?」
「何で俺と結婚してくれたの?」
「フフフ……なんでだと思う?」
「うーん…………性格?」
「それもある。でも1位じゃない」
「えー!じゃあ顔?」
「アハハハ!違う違う!!」
「そんな否定しなくったっていいだろ!うーん……じゃあ何だろう?」
「答えはお金!」
「えぇ……」
「嘘ぴょーん!だってあなた言うほどお金持ちじゃないでしょ。ほんとの正解はね、」
「うん、何?」
「あなたと居るととっても安心するからよ。ずっと一緒に居たいと思える。」
「へぇ〜〜〜〜。いやぁ何だか照れるなぁ!」
「あなたが聞いてきたんでしょ!でも本当よ。」
「ありがとうなぁ」
「フフ……こちらこそ、ありがとうね。」
一通り食事を終えると、男は支度をした。
「あなた、もうこんな時間よ。」
「おぉほんとだ。急がなきゃ。」
2人は玄関へと向かった。
「はい、靴べら。」
「ありがとう、おいしょっと。あっそういえば」
「ん?」
「今日の夜はシロウ先輩の送迎会だから遅くなる。俺とシロウで片づけやらなくちゃいけないし。そうそう、久しぶりにシロウちゃんが……」
「…………そう。わかった。それより靴の中を見て。」
「え?靴の中?今履いてるこれ?」
「そう。」
「……?いいけど。」
「ほら、早く。靴べら使って。早くしないと遅刻しちゃうわよ。」
「わかったわかった。」
男は靴を脱ぎ、その中身を覗いた。
「んー?見たけど中敷きしかないぞ?」
「その中敷きを見て。」
「え、あぁうん。」
男はじっと中敷きを見た。
「こ、これは……!!あ……あ、ア"ア"ァァァァァァ!!」
中敷きには"聖人が磔にされる絵"が描いてあった。
「あなた……シロウさん。行ってらっしゃい。」
「な、何で……!?ふm、ふみ江ェェェェェェ!!!!」
男は爆発四散した。
その肉片はドロドロと、ゲル状に溶けていく。
女は隠しておいたビデオカメラに手を伸ばす。
すると、レンズを自分の方へ向けた。
「……今のが、"天草四郎"の実態です。
5年前、突如として私以外の全人類は全て"天草四郎"になってしまいました。
待ち行く人も、アメリカの大統領も、男も女も、産まれてくる子供たちでさえ、
皆"天草四郎"の顔をしています。でも顔だけが変わった、ということではありません。
全ての人間がちゃんとそれぞれ別の"天草四郎"なのです。
"天草四郎"同士ではどうやら個人の見分けは付いているようです。
しかし私には分かりません。人間が猿を顔で区別できないのと同じように。
まるで、人間という概念そのものが"天草四郎"に取って代わられたようです。
私は当初、自分の気が狂ってしまったのだと思いました。なぜなら私以外の人間はそれぞれを認識し、
普通に暮らしているのですから。
しかし違いました。狂ったのは私以外の方でした。
その証拠に、"天草四郎"達は踏み絵を踏むとさっきのようにドロドロに溶けて消滅します。
これは人間ではありません。
正確に言えば踏んだ瞬間に溶けだすのではなく、"天草四郎"が踏み絵を"踏んだ"と認識した時点から溶け出します。
私はこの生態を利用して、"天草四郎"達を何人も殺してきました。
もう残された私には、この狂った世界を壊す以外の道はないのです。
しかし私以外の、"天草四郎"以外の人間がもし、残っているのなら……。
それを信じてこのビデオを撮っています。
私はFUMIE。ここで待っています。」
<終>