うさねこが侵入を許うされる方法
その姿を一言で表すならば、燃えるイノシシである。
炎を纏った巨躯を四つ足で支え、鋭い牙と眼光をハガネ達に向けている。
三本ある尻尾は細く長く、先端だけが膨らんで火球のような炎に包まれていた。
「食いでのありそうな肉ですね。
しかも、焼く必要もなさそうですよ」
「何を言ってるのだぞ、お前は!?」
「あの動物の、食糧としての価値を考えておりましたよ」
「そんな説明は求めてないのだぞ!」
聞かれたから答えたのに、とぼやく鋼。
それには取り合わず、エリアは続けた。
「それで、どうするのだ。
ご丁寧に、いつの間にか通路にも鉄格子が填められてるのだぞ」
「館には警備の方もたくさんおりましたし、考え方によってはこの部屋が一番安全かもしれませんよ?」
「あの魔物がいなければ、なのだぞ」
「そうですね。
お腹が空いた時のために、エリアくんはあの動物を捌けますか?」
「……お腹が空いた時のためではないが、もう一発か」
自分の背よりも高い位置にある魔物の瞳に睨まれつつも、エリアが落ち着いた様子で答える。
「あと一発なら、どうにか魔力を絞り出してみせようぞ。
1時間、時間を稼いでくれたまえ。そうすれば、世界最強の我が魔術で倒してみせるのだぞ」
「一発で倒せるんですか?」
「もちろんだ、ボクは世界最強なのだからな!」
世界最強かどうかはさておき、森で見た魔術と先程の強風の威力を考えれば信憑性はある話だ。
あとは、1時間という時間が問題となる。
「では、先ほどまでのように、あの焼きに―――」
焼き肉と言おうとする鋼を遮るように、睨んでいたイノシシが突っ込んでくる。
トラック並の重量と迫力を秘めた突撃を、小柄なエリアを抱えて危なげなく躱す鋼。
「焼き肉の攻撃を避けながら詠唱するわけですね」
「焼き肉ではないだろう!?
あとボクの話を聞きたまえ、ぼくはもうへとへとなのだぞ。とてもじゃないが1時間も避け続けることは無理なのだからして、キミが時間を稼いでくれたまえ」
「では、エリアくんが焼き肉になるということで―――」
「ふざけたまえ、絶対にお断りだぞ!」
再度のイノシシを、エリアを抱えたまま躱す。
言葉とは裏腹な鋼の行動に少し安堵しつつも、その横顔を見上げる眼差しは険しい。
「分かったなら、ボクは早速詠唱を始めるぞ。
良いな?」
「焼き肉になる覚悟ができたのですね。立派な」
「違うっ!」
エリアの大声に触発されたか、あるいは突進では当たらぬと思ったか。
今度はうねる三本の尾が、鞭のように鋼に襲いかかる。
距離を開きながら、身を捩り、飛び越え、しゃがんで躱す。
その際に直撃しそうになったセイミがぎゃーぎゃー騒ぐが余裕でスルーだ。
『無視すんな、絶対の絶対にすり抜けだかんね、すり抜けだかんね、だかんね!』
よっぽど怖かったらしく涙目だが、笑みを浮かべつつもちろんスルーだ。
頭をぽかぽか殴り、髪をむしり必死に訴えかけるがスルーだ。
三度言われようと、三度スルーだ。
「詠唱中でも、頷いたり首を振るくらいはできますよね?」
「大丈夫だぞ。会話は無理だが、ある程度身体を動かすことはできる」
「わかりましたよ。
それじゃ、とりあえず詠唱は始めてもらいますよ」
「心得た。
あの魔物を倒すのは、ボクに任せたまえ。
だから、攻撃を凌ぐのは、キミに任せたのだぞ」
鋼の腕に横抱きに抱えられたまま、真面目な顔で頷き。
エリアは、静かに詠唱を始める。
長時間の犬との戦いで身体は疲弊し、また魔力についてももう一発魔術が撃てるか際どいラインで。
けれど今、エリアの心に不安はない。
そのことを、エリア自身が少しだけ不思議に感じながらも。
頼れる前衛に接敵を任せ、己はただ魔術師として敵を倒すことのみに全力を振るう。
あるいは、逞しい腕に守られて、危険の只中で舞うように戦う様を一番近くで見る。
そんな状況に、言い知れぬ高揚を覚える自分に、どこか納得して。
頼れる前衛にばれぬよう、少しだけ口角をあげて微笑むと、より一層気合を込めて詠唱を続けた。
(エリアくんが笑うと、まるで獲物を前にした肉食獣のようですよ)
『あんたそれ、本人には言わない方がいいんだわ』
(おっと。そういえば、妖精さんの特殊能力にテレパシーとかあったのでしたね。すっかり忘れておりましたよ)
『だと思ってたわ。あと、あたしはセイミなんだわ。
さ、あと一時間、きりきり頑張んなさい!』
エリアを抱えた鋼が、炎のイノシシを相手に闘牛士のように舞い続ける。
徐々に上がっていく室温と、全く上がらぬ闘牛士のボルテージ。
闘舞は続く、エリアの詠唱と炎の揺らめきの中で。
じりじりと、ひりひりと。あるいは、ゆうゆうと。
鋼の足取りに変わりはなく、イノシシの勢いにも変わりはなく。
ただただ、静かにエリアの詠唱だけが時を刻み続けた。
そんな、もどかしいような息苦しいような、あるいは飽き飽きな光景が続く最中。
苦々しさと期待を交えた表情で水晶を覗き込むダルナスの元に、突然の、望まぬ来訪者があった。
「―――なんだと!?」
「いかがなさいますか、ダルナス様」
「ぬう、今良いところだと言うに―――」
家令の報告に、忌々しげに顔を歪めるダルナス。
だが言葉を最後まで言い切る前に、突然扉が開け放たれた。
「ダルニャス卿、無事かにゃ!」
「ギルニャオ! ……様!」
開け放たれた扉より入ってきたのは、一匹……一人のうさねこと、執事。
ギルニャオとナナンダであった。
常と変らぬ礼服で、部屋に飛び込んできたにも関わらず優雅な物腰と落ち着いた佇まいが憎い。
流石はナナンダ、出来る執事である。
「なっ、なぜ案内もなく我が部屋へ、返答次第では許しませぬぞ!」
「賊が入ったと聞いて、ダルニャス卿の身を案じるあみゃり飛び込んでしみゃいみゃしたにゃ。
許うされたいにゃん」
しれっと言ってのけ、頭を下げるうさねこ。
こちらは普段よりは簡素な礼服を軽々と着こなし、背筋を伸ばして立っている、が。
お辞儀にあわせて揺れる長いねこみみがとてもチャーミングで愛らしい。つまりナナンダとは大違いで、非常に場違いだ。
というか、許うされたいにゃん、とはにゃんにゃにょか。馬鹿にしているにょか。
「ゆっ……
許されませんぞ! 賊などおりませんし、今すぐお引き取りを!」
流石はダルナス卿、許うされみゃせんぞとは答えてくれない。
チャーミングにゃギルニャオにはそそのかされにゅということか。緊迫しているのでそれどころではないということか。
「その水晶玉に映っているのが賊―――ということですかな?」
「!」
気づかれたと悟るや否や、家令のスージニックが水晶玉に拳を振り下ろす。
しかし一歩踏み込んだナナンダがその手を掴み止めると、軽々と捻りあげて地に押さえつけた。
「屋敷の外を歩いていたにゃがはい達に聞こえるほどの破壊音、思わず飛び込んで正解だったにゃ」
「にゃっ……何を言っているのですかギルニャオ様。
これはその、ペットの様子を見ているだけで、少々運動不足で暴れただけですぞ。
破壊音などと、けっして!」
動揺しているのか、ギルニャオ語に侵食されつつあるダルナスが必死に叫ぶ。
だが、炎のイノシシの映った水晶玉はナナンダに確保されており、映像は途切れない。
「人間とラプトゥル族の子供の二名が……なんと。ブレイボアに襲われて逃げ惑っている様でございます」
言葉の途中に少しだけ驚きを交えつつ、ナナンダが報告と共に水晶玉を放る。
わざと、ギルニャオの斜め上方に。
「にゃっ!」
力強く後ろ足で飛び跳ね、空中でそれをキャッチするギルニャオ。
着地するなり、満面の笑みで地面に置いた水晶玉を手のひらでぐりぐりと
「違うにゃ、にゃにをさせるにゃっ!」
「何もさせてございません、ギルニャオ様。ただ、家令殿を取り押さえており不安定な体勢だったため、手元が狂っただけにございます」
「戻ったら覚えておれにゃ……」
ぐるぐると唸りそうな表情で恨み言を口にし、ようやくギルニャオがダルナスを向き直る。
「さて―――ダルニャス卿よ」
「……なんですぞ、ギルニャオ様」
「爆発音に駆けつけてみれば、本来ダズレニアの地に居るはずのにゃい魔物の姿。
しかも、その魔物が人を襲っている様を観覧しておられた様子にゃわけですが。説明はございますかにゃ?」
「……その動物は、大変美味と聞いたので食用に購入したものだ。
どこかのワーカーがそれを盗むために当家に忍び込み、地下に潜り込んで火を放ち破壊活動を行ったようだ。
私はスージニックからその報告を受けていたところで、ギルニャオ様が当家を訪れたのだ」
おそらくは即興で考えた言い訳を、淀みなく口にするダルナス。巨体の魔物を堂々と動物と言い張るその態度に、先程までの動揺はない。
その辺りは流石貴族というべきかもしれない、が。
「にゃるほど。確かにすじ肉っぽい名前だにゃ」
「そうですね。すじ肉っぽい名前でございますね」
「わっ、私の名前がなんだというのです!」
そんなダルナスの言葉の中身を、ギルニャオとナナンダは聞いていなかった。
彼らが聞いていたのは、ただ一点。この家の家令の名前だけである。
ギルニャオとナナンダは、鋼の証言の裏付けが取れたことに笑うと結論を下した。
「ダルニャス【ファード】ディスタン!
偽りの依頼をギルドに出し、罪もにゃいワーカーを浚ってその命を奪おうとしたこと、にゃがはいは全て御見通しにゃるぞ!」
「さらに申しませば、街中へ違法に魔物を運び込み飼育していたことについても、しっかり調べないとなりませんな」
「なっ……ぐ、ぬ……」
言葉に詰まったダルナスが、よろめくように後ずさる。
「あれほど大きにゃ魔物、独力で仕入れたとは思いにくいにゃ。
色々と、お教えいただく必要がありそうだにゃん」
その開いた距離を、水晶玉を翳したギルニャオが、ゆっくりと詰める。
ナナンダもまた、家令を押さえたままダルナスの様子に油断なく鋭い視線を投げかける。
「わ、私は何も、貴様に聞かれることなどない!」
徐々に近づくうさねこに、気圧されるように後ずさるダルナス。
その瞬間―――
「むっ」
「うにゃっ!」
水晶玉から眩い光が迸ると同時に、館を揺るがす轟音、激震。
一時間におよぶ詠唱が完了し、二度目のエリアの魔術が炸裂したのだ。
激しい揺れに膝をつき水晶玉を覗き込むギルニャオとナナンダ。
だがダルナスだけは、二人の視線が自分から外れた隙に棚の一つに飛びつくと、精一杯の虚勢で声を張り上げた。
「貴様らの妄想など知らん、私は食肉を仕入れただけだ!」
「ギルニャオ様!」
「にゅむっ!」
二人が魔術に気を取られた隙に、ダルナスは叫びながら棚の奥に手を突っ込んで何かを作動させた―――
「お兄様ぁ、お気をつけ下さいぃ」
「あああ危にゃいハガネさみゃっ、そこにゃっ、そこにゃのですわ!」
―――10分後
「……いつみゃで続くのかしら、この鬼ごっこは」
「おそらくぅ、エリアくんの詠唱でぇ、1時間じゃないかとぉ……」
「にゃが過ぎですわっ」
あまり代わり映えのない戦闘シーンに、心配しつつも飽きてくるミルニャ。
しかし、映像がギルニャオ&ナナンダに切り替わり、緊迫した場面になると
「お父さみゃにゃんかいいのですわ、ハガネさみゃを映して欲しいのですわ!」
「お兄様ぁ、どうかご無事で、ご無事で……」
代わり映えのしない鋼 > ダルナスに立ち向かうギルニャオ
「ニャニャンダ。
にゃがはい、泣いていいにゃろうか」
「布団を被ってお静かに、好きなだけお泣き下されば良いかと思われます」