借金取りから逃れる唯一の方法は死ぬこと
「は―――」
たっぷり、数秒絶句して。
「―――はああぁぁぁぁっ!?」
虚空をつんざくように、女神の声が響いた。否、轟いた。
きっと人の姿でいたならば、かくーんと馬鹿みたいに顎を開いていることだろう。
青年はうんと、小さく頷くと
「声、大きいですね」
「ここで言う感想はそれじゃないでしょぉ!?」
女神から盛大に駄目出しをされた。
いったい、何が悪かったのだろうか。正直に、思ったままを答えただけだというのに。
「なんでよ、どうして生き返らないのよ?
異世界よ? ファンタジーよ? 生き返れて特別な能力が得られて自由に生きられるのよ?」
「ええ……そうらしいですよ?」
「そうなのよ!
それなのに、なんでなわけ?
おかしいわよ。あなた達くらいの世代で、一緒に暮らす親族もなく恋人もいない独り身は、アンケートでも100人中93人が是非行きたい・条件付きで行きたいなのよ?」
「どこでどんな風に、そんなアンケートを取られたのか分かりませんが……ようするに、ぼくが7人の側に入っただけですよね?」
「残り7人は!
死ぬが1人、無回答が2人、回答として無効だったのが4人よ!」
「では、その『死ぬ』の1人がぼくだったということでお願いしますよ。
……本当に、そんな胡散臭いアンケート、どうやって調べたんでしょうか?」
「夢よ!
夢の中で、適当な天使を薄着にさせて、あの手この手で拐かしたのよ!」
「拐かしてる時点で、ものすごく不正なアンケートだと思いますよ」
ちなみに、無回答の2人は刺激が強すぎてフリーズ、無効の4人は会話が成り立たず天使に襲い掛かったのだが。今は割愛する。
何がどう刺激が強かったのかも、襲い掛かってどうなっちゃったのかも、申し訳ないが割愛する。だって時間がないんだもん(女神談)
「とっ、ともかく!
なんで生き返るのが嫌なのよ、いったい私の何が不満だって言うの!?」
「不満はないから早く解放して下さいよ。
……家訓を守り、借金取りと戦い、全力で生き抜きました。
ぼくが死んだ事で、ようやく借金取りとの戦いは終了です。心配は残りますが、ぼく自身の生き様としては満足ですよ」
爽やかに、涼しげに。
ボロを纏い、乱雑な髪型でも、明るい笑顔で青年は頷いた。悔いなし、と。
「そ……それは、じゃあ、それでいいわよ!
でも満足したからって、次の人生を諦める必要なんてないじゃない」
「いやぁ……これまではあまり自覚がなかったのですが。
どうやら少しばかり、生きる事に疲れてしまっていたみたいなのですよ。
駆け抜けて、ゴールに辿り着いて。もう、いいかなー、みたいな?」
「み、みたいな? って……!」
なんとなく、虚空で頭を抱える姿が脳裏に浮かんだ。
さらにさらに、なんとなくだが、ぶつぶつと呟く声も聞こえる気がする。
「やばいわこれは想定外これじゃぁ約束も果たせないしそれは存在的にいっそばらすかいやそれは多重だしもっとまずい今からでも適当にあいつらひん剥いて差し出そうかでもそれってここで (なぜかノイズが入ってよく聞こえませんでした) 泣き落としのほうがいいかしら押しには強くてもお人よしらしいしでもここまで話して今からそうするのも変よね仕方ないやっぱりこれはまたやり直すべきかしらでも次はどうすればいいの?こいつに勇者で世界を救ってとか効くのかしら全然勝ち筋が見えないわやっぱり」
なんだかものすごく、ぶつぶつと呟くような声が聞こえる気がする。
気がするだけなので、内容については深く考えないほうがいいだろう。
なぜか青年の表情が苦笑したり目を逸らしたり乾いた笑いを浮かべたりしているが、気がするだけできっと聞こえていないはずだから深く考えてはいけない。
「最初から泣き落としかしらそもそも一回目の時は発狂し出してやり直しになったんだしこれだってこいつが狂ってると思えば大差ないわよね大体こんなに好条件で異世界行きたくないとか本当にもう信じらんないわアンケートに答えたオタク達なんて目が血走って鼻息荒かったし起きて夢だと気づいてから二度寝したり泣き叫んだり天を仰いだり滑稽だったんだからあーあいつら思い出すと少しすっとするわさてこいつよね現実逃避してないでこれからどうするかよねミーちゃんファイトっやっぱり人生の素晴らしさに」
聞こえ続けるぶつぶつぶつとした声。
少し暇になった青年は、小さな声で質問を滑り込ませる。
「そもそもなんでそんなにぼくに異世界に行って欲しいんだろうなぁ」
「ついて熱く語り続ければ決まってるわ相性がぴったりだし異世界に送ってあんたらを助けるって約束しちゃったからよでもこれ言えないから困るのよねどうにか相性だけでなんとか納得してくれないかしらこいつを逃して次に任せるのはかなりやばいし違反になるから私の禁もぴんちだしあーほんとにもーなんでこんなことで悩まないといけないのよやっぱり三回目かしらもうちょっと野郎は夢見がちで単細胞のほうが可愛げがあるし扱いやすいのよまあいきなり襲い掛かってくるようなのは天罰だけど」
ぶつぶつぶつぶつと呟き続ける、自称女神。
なんだか苦労してるのと、多分聞いたらいけない、聞いた事がばれたらまずい事実を知った気がして、青年は
「しかしさっきから何も聞こえなくて困ったなあ」
棒読みで予防線を張っておいた。
何も聞こえないんです。
表情だけは『何かまずいこと聞いちゃったのかなー』みたいな苦笑いをしていますけれど、何も聞こえないんです。
「やっぱりここは委ね先を変えるよりまずはもう一回リセットしてやり直しするし―――はっ!
そそそ、ちょっとお待たせしちゃったわね、ほほほ。
……ときに、何か聞こえたかしら?」
「いえいえ、何も聞こえなかったですよ」
「そう、それはそれは良かったわ。ほほほのほ」
白々しい会話なのだが、お互いが納得しているからいいだろう。
大事なのは、様式美なのだから。いや違うか。
「大事なのは、これでもう、奴らに追われることはなくなったということですよ」
「へ?
な、何の話?」
唐突に切り出す青年に、女神が面食らう。
「ぼくの敵の事です。
借金取りとの戦いについては、ずっと、ぼくが死ぬ以外の終わりはないと考えてましたよ」
「……まあ、そうね」
もちろん女神だって、青年の事情も経緯も理由も何もかも知っている。
借金の完済は、それこそ能力でも使わない限りありえない状況であった。
ルール付けられた取立てとは言え、金額を考えれば現実的には返済できる範疇外。
借金取りとの戦いを終わらせる唯一の方法は、彼が借金取りに殺される事のみだと考えられていた。
「そんな日々には疲れましたし、もう解放されて休みたいと思っていますよ」
「そこをどうにか、異世界に行って欲しいのよね。
人生って、色々あるけど意外と捨てたもんじゃないと思うわ?」
「そうですね。
過去の思い出の中にも、人よりは多くないでしょうけれど、幸せや楽しさは確かにありました」
幼い頃から、過酷な生活だった。
母親から、借金取りから逃れるための術を教わる毎日。
時計に支配され、毎日路地を駆け川を潜り必死で逃げ続けた。
それでも、そんな中にも。確かに、家族と生きる幸せはあった。
「―――条件次第、とは違いますけど、本当にどうしてもぼくが行かないと困るのであれば、考えなくもないですよ」
「本当!?」
「はい。嘘は言いません、柏の掟に誓って」
柏の掟。柏家に伝わる、家訓と呼ぶべき十ヶ条である。作ったのは青年の母親だ。
作成からもう十年以上、立派に柏家に伝わる家訓である。家訓を知り順守して生きたのは今は亡き母とその子供のみであっても。
「もちろん、現状では『考えなくもない』ってだけですけどね」
「いいのいいの、素晴らしいわ!」
突如、眼前にまばゆい光が溢れた。
思わず目を閉じた青年の両手を何かが握り締めて。
「ありがとう、あなたはとっても最高よ!」
目を開ければそこには、なるほど女神様、といった風貌の美女が満面の笑みで立っていた。
かすかにウェーブした、艶やかな深緑の髪。
豊かな起伏を帯びた身体に純白の薄絹を纏い、光を放つ笑顔で青年を見つめる眼差し。
そのほっそりとした指は青年の両手を握り締め。
なぜか左腰には、女神の腕ぐらいある巨大なとんかちのようなものがぶら下がっていた。
ものすごく場違いである。
「……はっ!?」
青年の視線が何を見ているのかに気づき、あわててとんかちのようなものを投げ捨てる女神。
とんかちのようなものは、地面に落ちる前に虚空に掻き消えた。
あれは何だったのだろうか。ちらりと、1×0tとか見えた気がするあれは、いったい何だったのだろうか。
「ほほほ、気にしないでね? ぱちーん☆」
効果音を発言しつつ、ウインク一つ。
外見の美しさと言うのは、内面の残念さもアホっぽさも覆い隠す最強のパッシブ能力である。
なんとなく気恥ずかしくなった青年は、一歩離れてハンマー……とんかちのようなものについて考えるのを止めた。
流される事は、処世術であると思うんだよ。
あんまり突っ込んで、逆上されたら面倒で怖いもんね。