魔法を証拠にする方法
「ギルニャオさん。
今回のこの事件って、この国の法だとどうなります?」
水晶玉の中で、ぴくりとも動かないエリアらしき子供。
その姿を見つめて、慌てるでも、怒るでもなく。淡々と鋼が問うのは、この国の法。
鋼が見つめているのが、何なのか。
倒れたエリアか、それを取り巻く環境か。
その向こうに見えるこの国の法か、あるいは日本のそれか。
「……そうじゃにゃ。
こにょ魔法によれば、ダルニャス卿がワーカーを誘拐して監禁、場合によっては殺そうとしているということににゃる」
「はい。
害しようとしていることは、間違いないですよ」
「うみゅ……これが事実にゃらばダルニャス卿の行為は紛れもにゃい犯罪、憲兵を差し向けダルニャス卿を確保する。
にゃが、これが事実であるという、確証がにゃい」
「にゃぜですか、お父さみゃ。ハガネさみゃの魔法で、全て見ていたではありみゃせんか」
二人の男が話し合い、ワーカーを誘拐したと告白した。
誘拐されたと思しきエリアの姿も映しだされている。
これの意味するところは明らか、ミルニャはそう考えた。
だが、ギルニャオは、他の者達は違った。
「お嬢様。ダルナス卿の凶行を告げたものは、ハガネ様の魔法のみです。
このハガネ様の魔法が、犯罪の証拠として十分であるか否かが焦点となります」
「そ……ニャニャンダ! それは、ハガネさみゃが嘘をついているということにゃのですか!」
「そうは申しておりません。
ハガネ様。この魔法が映しだしたものは、誓って現在起きている事実でありますか?」
「分かりませんよ」
ナナンダの言いたいことが分かっていたのだろう。鋼は落ち着いた、いつも通りの様子で答えた。
だがその答えがあまりに予想外だったのか、ミルニャはショックを受けたように目を見開き瞳孔を細める。
「テレビを見るのは初めてなんです。
これが今の映像か、それとも過去や未来なのか、ぼくには分かりません」
まずテレビを見るのが初めてと言い切るのが―――いや、今更それを言うまい。
鋼にとっては、テレビとは魔法であり、架空のものだったのだ。
十年、修行し続けてやっと唱えることができたのだ。初めての魔法、初めてのテレビ。それに異を唱える必要はなかろう。
「みょしこれが未来の予知にゃらば、ダルニャス卿はみゃだ犯罪をおこにゃっていにゃいことににゃる。
その状況で憲兵が踏み込んだら、最悪の場合、犯罪者は我々とにゃるにゃ」
「それに、ハガネ様ご自身は信頼おける方ですが、その魔法が本当に真実を映しているのかは検証が必要となります。
残念ながら、現在の『テレビ』の告げた内容だけでは、ダルナス卿に兵を向けることはできません」
「そんにゃ……」
ミルニャが椅子の背に体重を預け、がっくりと頭を落とす。その動きにあわせて長い耳も揺れ、ぺたりと垂れた。
ユニカは不安げな表情で黙ったまま鋼を見つめ、そんなユニカの後ろで起き出したセイミが事態を飲み込めず首を傾げる。
実際には、顔が映らない出演者が本当にダルナス卿であるか否かという問題もあるのだが。
そこには触れずに、大人たちは鋼の返事を待つ。
最初は水晶玉自体を映していたカメラがさらに寄り、球表面ではなく水晶玉の中に映っていた子供自体を綺麗に映し出した後。
ようやく目覚めたのか、倒れていた子供が小さく震え、ゆっくりと動きを見せた。
軽く揺すられる、黒いオカッパ頭。そこから突き出した角は、定まらぬ意識を現すかのように灰色。
同色のヒレが生えた腕で身体を起こし、辺りを見回す。と、その視線に釣られるようにカメラが斜めに向き、子供とその奥から姿をあらわした獣の両者がテレビに映り込んだ。
それは涎を垂らした二匹の犬。けしてモンスターではない、れっきとした動物である。
だが唸りもせずにゆっくりと歩みを進める姿には生物としての格とも言うべき強さが滲み出ており、弱いモンスター程度は食い殺しそうな気配を纏っていた。
「こ、ここ、これはどういうことなのだ?
待ちたまえ君たち、ボクは世界最強の魔術師であるから、ここは大人しく休戦といこうではないか」
明らかに怯えた表情で一歩後ずさる子供。その下の画面に『エリア【ウット】ハーサデン』と日本語の字幕が出る。
離れた距離を埋めるように、ゆっくりと犬が歩みを進める。その犬の下には、シンプルに『DOGS』と字幕が出た。なぜか英語で。
言葉が通じたのか分からない。ただ単純に、餌の鳴き声など気に留めなかっただけかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいい。
ここには、子供と、犬が二匹。きっとお腹を空かせた、犬が二匹いる。それだけが大事であり、問題なのだ。
「ぼ、ボクは、ボクには夢があるのだ。
世界最強の魔術師となって、ラプトゥル族を馬鹿にした奴らを、世界を見返してやるという夢が!」
後ずさるのを止め、子供が叫ぶ。
それでも犬の歩みは止まらず、その距離が少しずつ縮まっていく。
「そうだ、夢があるのだ。ボクは世界最強になるのだ!
だからこのような所で、志半ばで途絶えるわけにはいかないのだぞ!」
一匹ならば。そう思わなくはない。
だけどそんなことを願っても現実は変わらないし、この場所には自分と犬が二匹、それしか居ない。
状況は未だに分からないが、犬達が入ってきてすぐ閉じた穴以外に出入り口は見当たらない。
「ボクは世界最強になる魔術師、ラプトゥル族のエリアだ!
助けなど不要、観客など無用。ボクはボクの心に、ボクが世界最強であることを証してみせるのだぞ!」
やってやる。
自分には夢があるのだ。世界最強になるのだ、そのためには立ち止まっていられないのだ!
どことも知れぬ場所で、今の状況に疑問を投げかけることも出来ず。
遠く離れた館から、魔法で見られていることに気付くこともなく。
ただ一人、ラプトゥル族の子供は、世界最強を夢見るエリアは、飛びかかって来る二匹の犬と対峙した。
「どうすれば、テレビの映像が現在起きている事実だと認められ、兵を差し向けられますか?」
犬達に立ち向かうエリアの姿を見つめていた鋼が、ギルニャオに尋ねる。兵を差し向ける、誰かに何とかしてもらう方法を。
使えるものは使うし、任せるものは任せる。鋼に全てを救うことなど出来はしない。
「それは……そうだにゃ。
ミェイリア」
「私、ですか。
例えば、空が爆発して、それを肉眼と映像とで同時に見ることが出来れば、信ぴょう性は高まるでしょう。
しかしテレビが映すのはどこか監禁された部屋の様子。同じものが映るというのは難しいのではないでしょうか。
手立てとしては、私達がテレビを持ってダルナス卿の所に出向き、テレビと同じ動き・発言を確認するなどが必要になると思われます」
答えたメイリアが、伺うようにギルニャオを見る。それで問題ないとばかりに重々しく頷くギルニャオ。
その表情は力強く、この街を守ってきた男の責任と迫力を感じさせたが、でもやっぱりうさねこで動物的な可愛らしさがあって鋼は吹きだした。
「ギルニャオさん、似合わないです。
真面目な顔をしていても愛玩動物過ぎますよ」
「どういう意味だにゃ!
って言うかそんにゃはにゃしはしてにゃいにゃ!」
訳:って言うかそんな話はしてないにゃ!
にゃはにゃは笑っているわけではない。
ギルニャオさんは、とっても抗議しているんです。なんて言っているのかよく分からず、ユニカは首を傾げていたけれど。
それは鋼も同じだったのか、彼は少し困った顔を傍らの執事に向けた。
「ナナンダさん、猫がにゃんにゃん言ってますよ」
「うさねこにゃ!」
「自称、うさねこ族でございます」
「にゃにゃんだーっ、自称じゃにゃいにゃ!」
しれっと言ってのける執事に、うさねこ領主が牙を剥く。
そんな主の姿にやれやれとばかりにためいきをつくと、執事は静かに言い直した。
「妄想、うさねこ族でございます」
「みょうそうにゃにゃいにゃぁふしゃーっ!」
ギルニャオさん、とうとうキレる。
そんな姿に満足した笑みを浮かべて、鋼は答える。
「それでは、ギルニャオさんの雄叫びも聞くことが出来ましたので。
ちょっとばかし、肉を返してもらいに出かけてきます」
「……ハガネどにょ、それは?」
「そういえば、もしもぼくがこの後でテレビに映ったら、この映像が現在起きている事実だと分かるかもしれませんね」
あ、テレビに向かって手を振ったりすべきでしょうか? どこにカメラがあるか分かるかな、などと呟きつつ。
テレビに男達の悪巧みが、エリアの様子が映しだされた時と変わらぬ調子で。鋼は静かに微笑む。
「ハガネ様。一応確認ですが、ダルナス卿は下級とは言え貴族。もし無罪の場合―――言え、それは有罪の場合でこそでしょうね。
不法侵入者として、排除しようとしてくるでしょう」
「ぼくは肉を取りに行くだけなのですが……まあ、もしも危険なことがあった時は逃げますよ」
相変わらず逃げることに躊躇いのない鋼。
どこまでも平常運転であり、その様子は森へ薬草を取りに行く時と大差ない。
「ニャニャンダ。地図とルートの説明、その後はすぐに手配を」
「かしこまりました」
「ミェイリアはハガネどにょの準備を手伝って差し上げろにゃ」
「私はミルニャ様のメイドですので、旦那様の言うことを聞く気はないのですが……」
「みぇいりにゃぁっ、おみゃえみょかぁぁ!」
ギルニャオ領主様、この後に及んでメイドにまでからかわれる。涙目。
そんな主人の様子に満足そうに頷くと、柔らかい笑顔を浮かべてメイリアが続けた。
「敬愛するハガネ様のため、このメイリアが全力でサポートいたします」
「ではこのケーキのお代わりをお願いしますよ」
本当に、いつも通りの鋼。
ならばこそ。
やってのけるのであろう、と。鋼の反応を、わずかな熱とともに、期待する。
思わず口元に笑みを浮かべたのは、ナナンダか、メイリアか。ひげを震わせたのはギルニャオか。
大人たちと違って、笑みを浮かべる余裕のなかったユニカは鋼の服の裾を掴む。
その指には力がこもっていたが、瞳は弱く、表情は定まらず。角先も揺れ、躊躇うように、けれど突き動かされるように口を開く。
「お兄様ぁ、私も―――」
「ユニは待っていて下さい」
そんな妹の様子に、有無を言わせず兄は同行を断る。
きっぱりと。それでも、ユニカを振り返り、目を合わせて。
「ただちょっと、エリアさんから肉を返してもらいに行くだけですよ?
皆さん大げさですよね。エリアさんが今居る場所だけ教えてもらえれば十分ですよ」
冷たいわけでも、悲壮なわけでもなく。どこまでも平常運転で。
鋼にとっては、それはただの肉なのだろう。そう思わせるだけの、安心感をもって。
「―――わかり、ましたぁ。
それではユニカはぁ、メイリアさんと一緒にぃ、夕食の準備をして待ってますぅ」
「ええ、楽しみにしていますよ」
『良く分かんないけど、あたしがついてるから安心するといいわ』
いまいち状況が呑み込めていないセイミが鋼の肩に乗るのを見て、小さく頭を下げるユニカ。
同行できぬ、力不足が悔しい。
もっと強くなりたい、何でもできるようになりたい。
この程度のこと、何でもないと笑い飛ばせるくらいに。
―――ハガネみたいに。
お代わりのケーキを食べ終え、ナナンダからダルナスの館の場所を聞き、地図を頭に入れ。
冷ました紅茶を2杯飲み干して、鋼は立ち上がる。
「ハガネさみゃ……」
何を言えばいいのか分からない。ずっと黙り込んで言葉を探していたミルニャが、絞り出すように告げる。
その言葉には声ではなく手を伸ばして返す。頭を撫で、頭の上で揺れた長い耳を軽く指でもてあそぶ。
「ふにゃっ、にゃぁぁっ!?」
「信じてくれて、ありがとうございますよ」
困惑し頬を染めるミルニャに微笑む。
もちろんその行為の意味は分からないし、ミルニャが、ギルニャオが何を想ったかも分からない。関係ない。
ハガネの初めてのテレビを信じてくれた。それが嬉しい。それだけで、感謝するには十分だ。
「それじゃぁちょっと、肉を取ってきますので。
もしテレビが現在の事実だと認められたら、その時はお願いしますね」
「……ぐにゅにゅにゅ、わかったにゃ、ふんっ!」
「お兄様ぁ、いってらっしゃいませぇ!」
「「いってらっしゃいませ」」
なぜかご機嫌斜めなギルニャオと、期待や様々な感情を乗せた者達に見送られ。
本当に、何事でもないかのように。
肉を求める時より、なお何の熱も感じさせぬ様子で。
鋼は約束を返してもらうために、軽い足取りで午後の街へ繰り出して行くのだった。
「……あれ?
私、後書き以外で出番と発言がほとんどありみゃせんわ……!」