手ごわい魔物を蹴散らす方法
さほど背の高くないまばらな木々をすり抜け、木漏れ日が大地を柔らかく照らす。
鳥の声らしきものもどこか遠くから聞こえるこの場所は、のどかで平和な自然の中にあった。
地面にできたタテガミウサギの血だまり跡から目を反らせば、だが。
今いる場所は森のそれほど深くない場所。
低級の薬草の採取地とされるこのエリアは、街からそれ程離れておらず、基本的に危険な魔物などは出ない。
とは言え、それはあくまで『基本的』
度重なる森の中に響き渡る、ラプトゥル族の子供の絶叫。
その雄叫びにより、魔物が―――やっぱり、出なかった。
正確には、眼前に姿を現したりしなかった、だ。
だが、何かを感じ取ったように、鋼はわずかに顔を持ち上げた。
「なんだか、生物の匂いがしましたよ」
子供の絶叫の後。
どこかで鳥が飛び、少しだけ騒がしくなった森の中、鋼の鼻がその匂いを捕らえていた。
「これは―――肉質は固く焼き物には向きませんが、その内に秘めた味わいは深く煮込んだり噛み続けることで旨味が際限なく溢れ出すような、そんな肉の匂いがしますよ」
「どんな匂いなのだぞ!」
『どんな匂いだわ!?』
妙に具体的なようでいて実際は『肉』の一言に集約される鋼の評。
たまらず左右から突っ込むのは、セイミとラプトゥル族の子供の二人だ。
片や肘から先くらいのサイズ、片や鋼の胸くらい。いずれもちっちゃい者達の突っ込みを気にも止めず、荷物を担いで歩き出す鋼。その後ろを、ユニカとセイミ、ついでに子供がぞろぞろとついて歩く。
途中で見かけた薬草を回収しつつ、2分ほど歩いた先にいたのは……
「……あれ?」
いた、というか。そこにあったのは、金属球のような何かだった。
複数の切れ目の入った、ボーリングの弾ぐらいの大きさの暗灰色の球体。それが、まるで子供が遊んだボールを森でなくしたように、目立たぬしげみの中にひっそりと転がっているのが見えた。
「メタルマジロだ!」
どうやら魔物であるらしい、その球体。
それを見て、ラプトゥルの子供が喜びの声をあげた。
「やったのだ、ボクはついてる! 任せたまえ、あの魔物は世界最強の魔術師であるボクが、華麗なる大魔術でしとめてみせようぞ!」
「あの、えっと。
見つけたのはぼくですから、ぼくが狩っていいんですよね?」
ワーカーとしては当然の権利を主張する鋼。
それを聞いた子供は、背景にガガーンと言った書き文字や効果音が響きそうな顔で、この世の絶望を見たとばかりに大口を開けて涙目だ。
「切り開き方はよく分かりませんが、大いなる旨味を秘めた肉の匂いがするのですよ。
楽しみでなりません」
「わっ、そ、ま、待って、待ちたまえ!」
腰の剣に手を伸ばしつつ近寄ろうとする鋼を、両手を伸ばして必死にとどめる子供。
「そ、そう、肉は、肉は兄ちゃんにやるのだぞ。だから何もしないで待っていたまえ、待ってて下さい!
あの魔物を倒すのと、肉以外はボクが欲しいのだぞ!」
「ふむ……」
普通に考えれば、魔物を見つけたのは鋼(の嗅覚)であり、少年は勝手についてきただけ。この魔物の権利は鋼にあるというのが暗黙のルールだ。しかし鋼はそんなルールを知らない。
それに、鋼は食肉としてしか見ていないが、本来魔物とは敵対生物であり危険なものなのだ。何もせずに待っているだけで肉をくれるなら、それでいいんじゃないだろうか。
魔物を自分で倒せば、肉も、その他の素材や討伐の証明も、経験値も、全てが手に入る。
だが、鋼は肉以外の価値を知らない。メタルマジロがどれほどの金額となるかを分かっていないのだ。
悪く言えば、初心者の無知をついた、マナー違反な行為である。
しかしメタルマジロは普通の初心者に倒せるような魔物ではないことを考えると、肉を分けるだけ親切であると言えなくもない、かもしれない。
少なくとも、子供から見た鋼にメタルマジロを倒す手段はない様子だったから。普通は剣で叩いて倒すのは不可能な魔物なのだ。
幸か不幸か、ユニカもメタルマジロの価値を知らなかった。そのため、鋼が頷くならばユニカに否やはない。
鋼の承諾を受けたラプトゥル族の子供は、嬉しそうにローブの袖をまくるとメタルマジロに向けて両手の平を突き出した。
「フハ、民草よ汝らは非常に運が良いのだぞ!
見ていたまえ、この世界最強の魔術師エリア様の華麗なる戦いを、剣の効かないメタルマジロを一撃で葬り去る最強たる魔術を!」
その構えとともに、鋼でさえなんとなく感じられる膨大な魔力が、子供の両手を中心に辺りに滲み出す。
それは、本来敵対者が近寄るか攻撃されるまでは微動だにしないメタルマジロをして、少し身体を揺するくらい凄まじいものだった。少し揺すっただけだが。
「いいかね、民草よ。
ボクの魔術が発動するまで、一切の手出しは無用であるからして、ボクの後ろで安全に待っていたまえ! 約束なのだぞ!」
「わかりましたよ。あの肉をよろしくお願いします」
ちらりと振り向く子供。その瞳は戦闘の気配に鋭く吊り上り、大きな口にも笑みが浮かぶ。
経緯はどうあれ、肉さえ取れれば構わない。鋼はユニカと共に下がって距離を開け、子供の魔術師様に頷いた。
「さあ見たまえ、最強魔術師エリア様の、最強魔術を!」
「最有の夕べに聞こえたまう始まりに」
両手を突き出したまま、微動だにせず。
子供は、自ら最強を自負する魔術を放つべく、詠唱を開始した。
「王令定むるは積千の銀階なるかな」
―――それから、およそ、5分が経過した。
「三界に覇を唱える霊士において」
子供は微動だにせず、ただひたすら詠唱を続けている。
ついでにメタルマジロも、もはや身体を揺することもなく、微動だにせずただその場に転がっている。
「ねぇ、ユニ」
「お兄様ぁ、なんでしょうかぁ?」
「戦闘中の魔術の詠唱って、こんなに長いものなのでしょうか?」
「儀式などの魔術を除いてぇ、普通は長くても1分程度かとぉ……」
そもそも、戦闘中に長時間の詠唱を必要とする魔術など、使えるわけがない。
ワーカー、主に魔術を主体とする魔術師と呼ばれる者達は、いかに己の詠唱を短く、早く魔術を完成させるかで腕を磨くものだ。
戦争での軍運用などならばいざ知らず、個人のワーカーの詠唱が長引けば、それだけ魔術の発動までの時間が長くなり、敵から攻撃される時間が長くなるということなのだから。
「魔明が照らす道筋は逆行せし流れを導く」
なお、現状においては全くの余談であるが。
ユニカから鋼への治癒魔術の行使については、ユニカの魔力の残量と、ユニカ自身の鋼分の補給のため、長時間かけて行われている。
しかしあれは、単一の魔術を発動するための詠唱ではない。詠唱それ自体が術と同化しており、繰り返し、持続的に、魔力の続く限り術を放ち続けているのだ。
あれはユーディア族特有の魔術式であり、一般の魔術の行使とは別物と捉えるべきである。
ともあれ、子供の詠唱は長い。まだまだ、終わる様子は見られなかった。
追加で10分程経過する。鋼が子供にいつまで詠唱がかかるのか尋ねたが、子供はちらりと振り返っただけで何も答えなかった。
というか、詠唱し続けているために話をできないようだ。鋼はユニカと共に腰を下ろした。
さらに10分程経過する。ユニカが可愛らしくあくびした。
それから5分経過。ユニカは鋼にもたれて寝息を立てており、その肩のセイミも眠たそうだ。鋼はまだ起きている。
10分経過。寝返りを打ったセイミが肩から落ちて、ユニカの胸で弾んで森の地面に落ちた。ふぎゃっとか声を出した。
1分経過。地に落ちていたセイミが起き上がり、鋼に散々文句を言った。
そうですねしか言わない鋼を素手でぽかぽか殴ると、その膝の上に丸くなって寝なおした。
9分か10分か経過。眠る美少女と妖精美女に挟まれつつ、鋼はその場で静かに待つ。その目はどこか遠くを見ているようだ。
そして―――さらに、10分程が経過する。
合計すれば、およそ1時間。
その間、ずっとその場に居続けたメタルマジロと、手を突き出して詠唱をし続けた子供。
その長い長い詠唱が―――詠唱を待ち続けた鋼の我慢と根気が―――報われる時がついに訪れる。
「我が宣言に従い、今ここに顕現せよ天地を滅ぼす原初の雷よ
界滅神雷竜!」




