強い魔術を唱える方法
「一般なる民草よ、危ないところであった」
嬉しそうな顔で、両手を開いて大きなウサギを見つめる鋼。
どこか怯えた風に、体勢を低くし鋼から目を反らさないウサギ。
「おい、ちょっと。聞きたまえよ、民草」
一人と一匹は、助けに現れた自分のことをこれっぽっちも気にしていない。
「ね、ねえってば! ちょっと聞いてみたまえ、ボクが助けてあげるのだ!
ほら危ないよ魔物なのだ、任せておきたまえ!」
そんな鋼とウサギの視線を独り占めするため、間に割って入る乱入者。
その瞬間、ウサギは脱兎の如く逃げ出した!
いや、脱兎の如くというか脱兎になった。ダッシュで逃げた。
「ああっ、肉が!」
ウサギへの最短距離を突っ込む鋼。
当然間には乱入者が居るわけで
「へやふぁぁっ!?」
突っ込んでくる『一般なる民草』の迫力に怯え、頭を抱えてうずくまる乱入者。
その背に片手をつき、小さな身体を軽々飛び越えてウサギを追う鋼。
一瞬でウサギと鋼は姿を消し、民草を守ろうとした勇気ある乱入者はしゃがみこんだまま呆然とすることしかできなかった。
ユニカとしては鋼を追いかけたかったのだが、鋼の荷物はここにあるし、下手に動くと合流できなくなるかもしれない。
ならばここは、鋼を信じて待つ方がいいだろう。
むしろ、鋼が置いていった一匹目のタテガミウサギの肉を死守することこそがユニカの役割ではないだろうか。
そう考えて、鋼の走り去った方向を見つめて小さく頷いた。
奇声を発した乱入者はきょろきょろとあたりを見回し。
まだそこに残っていたユニカが(鋼の走り去った方向にたまたま立っていた)自分を見ていることに気付いて、わざとらしく服の裾を払った。
「フハ、美しいお嬢さん。
もう大丈夫、危険な魔物は追い払った。この世界最強の魔術師、エリア様に深く感謝したまえ!」
よく分からない名乗りを挙げられたことで、ようやくユニカがその乱入者に視線を向ける。
背が小さいから見えなかった、というわけではないはずだ。もしそんなことを言われたら子供は泣いてしまうかもしれない。
そう、そこに居た世界最強の魔術師は、背の低い子供だったのだ。
ユニカを見上げる眼差しはきらきらと、希望と自信にあふれている。
「えっとぉ、あなたは、迷子なのかしらぁ?」
「ボクの言葉を聞きたまえ!
ボクは世界最強の魔術師だからして、迷子なんかじゃないのだ!」
「世界最強……?」
「そう、世界最強なのだよ!
……となる予定」
目を背けて小声で付け足す一言。世界最強の魔術師は、今はまだ世界最強ではないらしい。
ユニカは自分より背の低い子供に対し、しゃがんで目線をあわせた。
「すごいんですねぇ。
でも森は魔物が出ますからぁ、遊ぶなら街の中で―――」
「ボクがお前達を助けに来たのだよ!
遊びじゃないんだ、ボクはワーカーなのだよ、これを見たまえ!」
黒い手袋をはめた左手の甲に触れ、取り出しましたるギルドカード。
黒いローブから伸ばされた腕には、灰色の鋭いヒレのような突起がついている。
ちなみに、天に翳すように掲げられたカードのランクの欄は、偶然にも子供の指で覆われて見えなかった。
「まぁ、すごい子なんですねぇ」
「ふぎぎ、子供じゃないのだってば!」
子供は強く地面を踏みしめると、度重なる試練のせいで少し汗をかいた目でユニカを睨んだ。
睨みつける瞳と、耳のあたりで切り揃えられたオカッパ髪は黒く、ユニカからすれば鋼と同じ色で羨ましかった。
ローブや手袋と同じくブーツも黒で揃えられている。帽子があれば完璧だったが、頭の角が邪魔だからか帽子はかぶっていない。
そう、角である。
ただし額から前方に突き出したユーディアの角とは異なり、後頭部から斜め後ろにやや湾曲して生えている。
角の色は、腕のヒレと同じく灰色。固い鱗が並ぶ肌はわずかに茶色がかっていた。
世界最強予定の魔術師、エリア。
その子供は、どうやらラプトゥル族であるようだ。
ラプトゥル族の子供を前に、さてどうしたものかと悩むユニカ。
その答えを返すように、鋼が両手にウサギをぶらさげて戻ってきた。
「無事、肉を調達しましたよ。今日は素晴らしい日ですよ」
満面の笑み。大漁である、今日は素晴らしい日だ。
タテガミウサギ達にとっては、厄日どころか命日だったわけだが。鋼の笑顔の前には、そんなのは些細なことである。
「おめでとうございますぅ、お兄様ぁ。
それでは街へ―――」
「あああー!
おっ、おま、おまえタテガミウサギを……!」
「ん?
どちら様でしょうか」
「お前を助けたワーカー、世界最強の魔術師のエリア様なのだよ!」
「そうですか、それはありがとうございました。
では帰りましょうか、ユニ」
「はいぃ、帰りま―――」
「聞けぇぇっ、聞きたまえ、ボクの話を!
だいたいお前、なんでタテガミウサギを倒してるんだよ、魔物なのだぞ? 怖がりたまえ!」
「魔物?
ただの食用肉―――」
「ちがうっ!」
どうやら、世界最強の魔術師様にとってはタテガミウサギはただの肉ではないらしい。
「あ、そうですね、違いました。すみませんでしたよ」
「う、うむ。分かればいいのだよ」
「はい。
ただの食用肉ではなく、おいしい食用肉らしいですよ」
「そこじゃねぇぇっ!」
小さな口を目いっぱい開き、小さな体で声の限り叫ぶ子供。
詠唱の必要な魔術師だからか、高く澄んだいい声をしている。
ただし、その声音に宿るのは理不尽への怒りであり、無力さへの悔しさかもしれない。
仲間が出来たとばかりに、豊かな胸の下で腕を組んで頷くセイミの姿が、どことなく印象的であった。
「そうそう、ウサギはおいしい肉なのですよね、ユニ?」
「あ、はいぃ。ギルドでそう聞きましたぁ」
「ふむ。
ウサギがおいしい、ということは―――もしかしてうさねこ族も」
「食べちゃ駄目ですぅぅ!
あれは人です、ひと! 食べものじゃありませんぅ、おいしくないですぅ」
「……そうですか、おいしくないのですか。
それでは食べるのはやめますよ」
「ほっ……」
『ユニカがおいしいって答えたら、どうなってたのかしら……』
「いつかはハガネさみゃに、食べていただきたいと思ってみゃすわぁ……ぽっ」
「そして骨だけになるのですね。
お嬢様は、ハガネ様の食欲の前に若い身を散らせるのでした」
「そっち!?
その食べられ方は遠慮いたしみゃす、そんなの嫌ですわぁっ!」
両者の意志が一致し、フラグは回避されたのでした。