少女の病苦を消す方法は治癒術師を育てること ①
翌朝、日の出と共に。
ダズレニアの街の各所に立てられていた看板が、新しいものに取り換えられた。
記されているのは、一つの条例。
文字を読めるものがその内容を伝えるにつれ、街中が騒ぎに包まれていく。
ある者は憤慨し、ある者は歓喜し。またある者は、その意味が分からず己に待ち受ける未来が変わったことを理解できなかった。
『賃借対等令』
第一項。金を貸す事業者(以下、貸主)は金を借りるもの(以下、借用者)に対し、その貸借内容に依らず、利子とその仕組み、返済期間、借入額がどの段階でいくらとなるか等を詳細に説明しなければならない。
この時行う説明を『貸借対等文』と呼ぶものとする。
第二項。貸借契約および貸借対等文の説明時には、行政が派遣した役人による立会を必須とする。役人による立会のない貸借契約については、正式な契約として認められず、原則として法的拘束力を持たないものとする。
第三項。貸借対等文に含むべき説明事項は、別途細則に従う。
第四項。貸借契約時の返済期間、利率、返済などの借入条件については、貸主・借用者双方の話し合いによって決定し、別途細則に設定された上限を超える条件は認められないものとする。この話し合いについても、貸借対等文の説明と同じく役人の立会を必須とする。
第五項。貸主は借用者に対し、貸借対等文の説明を十分に理解させ、把握させる努力をする義務を負う。この努力を怠るものには、注意勧告の後、貸金事業者としての免許剥奪を含む法的処分が下される。
第六項。借用者は貸主に対し、貸借対等文の説明を十分に理解し、把握する努力をする義務を負う。この努力を怠るものには、賃借契約を結ぶ資格はなく、借入が叶わぬことによって生じる不利益について異議申し立てを認めぬものとする。
第七項。金を貸す貸主が貸金事業者でなく個人である場合は、貸借対等文の説明に役人による立会は必要ない。ただし、十分な説明がないことによる問題が発生した際には、行政による裁定を行うことができるものとする。
また、事業者以外のものが一定以上の人数に対し一定以上の金額を貸し付けることを禁ずる。
第八項。この条例は、過去に契約を締結し、現在も返済中の借金を有する全ての者を対象とする。
契約済みのものに対しては、この条例が公布された日から一ヶ月以内に貸借対等文の説明を行うものとする。また、貸借対等文の説明を終えずに返済期限を迎える契約については、返済期限を説明終了日の一ヶ月後とする。
第九項。この条例に伴い、先に発令した『返済証明令』については廃令とする。すでに支払われた返済証明金については、契約者に全額返還しなければならない。
今日も鋼は、昼まで寝ていた。
昨夜は遅くまでうさねこと狭い額を付き合わせてにゃんにゃんしていたのだ。ベッドに乗ったのはすでに東の空がうっすら明るくなった頃、睡眠時間はそれほど長くはない。
それでも、自分がやりたいと思ったことを成し遂げられたのだから。目覚めは悪くなかった。
あと、昨日の宿よりも、今日泊まった領主の館の来客室のベッドは恐ろしかった。上に乗った後の記憶が、全くないのだから。
鋼が目を覚ました時間、鋼より遅く寝たギルニャオは既に大量の書類と戦っていた。
二日に渡る条例の交付。為政者としての評価は地に落ち、最悪の場合は領主の任を解かれることだろう。
だが、今のギルニャオは領主だ。己の務めを十全に果たし、混乱した民衆を導き、この街をこれまで以上に風通しの良く住みやすい街とする。
そうしなければ、借金に苦しむのは、自分の方なのだから。
きっと、多分、冗談のはずだけど。
鋼の起床の方を受け、食堂……ではなくギルニャオの執務屋へ関係者一同が集った。
机で仕事をしているギルニャオ、その補佐をするナナンダ。
すでに何の障害もなく至って健康そうなミルニャと、そのメイド。
それに、止まることなく食い続ける鋼と、少し恥ずかしそうなユニカ、物欲しそうな妖精の6+1人だ。
目的は、治療した方法の説明と、ギルニャオによる支払いについて話し合うためである。
鋼は……食べるのに忙しく、もはや一言の説明もしようとしていない。
説明は、鋼に頼まれていたユニカの役目である。
ところで、ワーカーに限らず、人の中には特殊な力を持つものが極稀に存在する。
その力は強みであり生命線、本来は容易く人に明かすものではない。
秘匿すべき必要性を理解しつつも、しかし鋼はギルニャオに説明をすることを決めていた。
そうしなければ、鋼が金銭を要求することに対し、自分自身に正当性を誇れないと感じたからだ。
そんな話をしたところ、秘密の保持についてはミルニャの能力で担保できるとギルニャオから言われた。
ミルニャの能力『契約』
契約書を作成し契約を結ぶことで、契約書の内容に即した制限や制約を設けることができる能力。
現在、奴隷商人が用いる奴隷契約も、元はこの契約の能力を限定し魔術化したものである。
鋼の『借金』の能力と同じく、その効力は特別なもの。千差万別にして絶大であった。
とまぁ、そんな説明を昨夜されていたのだが。
鋼としては、ちゃんとお支払いただけるなら何でもいいとばかりに。その手法については、借用者であるギルニャオに一任した。
この辺り、甘いと言うべきか、人を見る目と言うか。
……鋼に言わせれば、うさぎやねこを見る目と言うべきらしい。さておき。
守秘契約を結んだ後、ユニカは鋼から聞いていた内容を順に語っていく。
一日目。鋼のもつ可能性の能力、その力によりユニカを落札したこと。ナナンダは、ギルニャオが怒りでキレて大変だったと語った。
翌日、ユニカと共に宿を出て、川原で鋼がさらわれたこと。ミルニャは、父親の悪行に怒り心頭とばかりにひげを力いっぱい引っ張った。一本抜けてギルニャオが鳴いた。
ユニカがワーカーのザーラと共に、領主の館に来たこと。鋼がミルニャと出会い、鋼とユニカは無事に館を出たこと。
その日はぶらぶらして鋼とユニカは一日終えたこと。なぜか頬の赤いユニカに、疑惑の視線が刺さった。
ここでナナンダが、その日の晩に、ギルニャオが『鋼に恨みを晴らすために』返済証明令を制定したことを暴露した。ミルニャさん激怒、ギルニャオの二本目のひげが抜かれた。涙目のギルニャオ、父の威厳なし。
こうして、双方の情報が明かされて二日目の話が終わった。鋼はまだ食事中である。この男、一体どれほど食うつもりなのか。
三日目。ギルドで返済証明令を知った鋼とユニカは、領主の館を訪れる。
そこで群衆を乗り越えて敷地に入り、ギルニャオへの面会を断られたこと。鋼が集まった人たちに頭を下げ、一日の猶予を得たこと。
そして、それから。
「それからぁ……」
ちらりと鋼を見るユニカ。鋼は気にせず食べ続けている、これなら大丈夫だろう。
見れば、テーブルの上の妖精も、手の平でゴーサイン。ここを説明せずには終われないのだ、ユニカも力を入れ直す。
「私たちは、借金をしに行きましたぁ」
ユニカの言葉に、ぴたりと止まる鋼の動き。
だが、顔色は悪いが、叫びだしたりはしない。
借金という単語を聞いただけで発狂していた最初と比べれば、随分と成長したものである。
さすがは、異世界のレベルアップ。高められた精神力は、並大抵ではなかった。
……ユニカの話を聞いておらず、ただ満腹で止まっただけかもしれないが。それはまぁ、どちらでもいいだろう。
「借金……にゃ?
にゃぜ、そこで借金が出てくるにゃ」
「そうですわ、鋼様はすでにユニカ様をお買いににゃられてみゃすし、どうして……?」
うさねこ親子が首を傾げる後ろで、ナナンダが納得したように頷いた。
「なるほど、返済してまた能力を使うためでございますか」
その言葉になるほどと気づくミルニャと、まだ分からないので分かったフリだけするギルニャオ。
ぷるぷる震える鋼を見つめ、まだ大丈夫そうかな?と確認するとユニカは説明を続けた。
「はいぃ。
ご主人様はぁ、金貸しの方から借り受けたお金を使ってぇ、ご自身の可能性の能力による借金を返済したんですぅ」
答え合せ回が想定以上に超長くなりそうなので分割。
すみません、仕事が忙しくて執筆する時間がなかっただけです!
短くてごめんなさい!