女神があられもない状況
「おう嬢ちゃ……うつくしい」
二人の行く手を遮った男は、口を開いたまま閉じることができなくなった。
美しい。美し過ぎる。
値千金、十万石。ユニカの美貌に囚われた男は、膝から崩れ落ちかけたところを隣の仲間に支えられる。
「あ、あにき、あにき!
しっかりして下さい、あの奴隷を連れていくんでしょ?」
「う、うう……サモ、俺はもう駄目だ……」
「あにきが駄目なのは元からですから、大丈夫ですって!」
「誰が駄目駄目なモテないツイてない冴えないと三拍子そろった小悪党だ!」
「心の声までばれてる!?」
関節技を掛けるあにきと、必死で腕をタップするサモ。
どうやらギブアップを意味するジェスチャーは世界共通であるようだ。
そんな、突如目の前に現れた二人を前に、鋼は小さく頷くと
「とりあえず、逃げましょう」
「ふえ?」
ぽかーんと、この空気に取り残されたユニカ。その華奢な身体に腕を回し、鋼は軽々とその肢体を抱き上げ―――
「きゃっ、ご主人様いきなりぃぃぃ!?」
痩せ細っているくせに意外と力強い腕で、ご主人様から憧れのお姫様抱っこ。
―――と思いきや、ユニカの身体は胸の前で留まらずさらに斜め上へ持ち上げられ。仰向けにして米袋のように左肩に担がれる。
鋼の肩がユニカの背骨を反らし、急な事への驚きと息苦しさにじたばたともがくユニカ。
「あ、あにき、あにき! あいつらが!」
「ああっ、あの野郎! 俺のすいーとえんじぇるを!」
「あにきがスイートエンジェルとか気持ち悪いからやめてくださいよ、そんなことよりあの眺め……ぐえええ!」
首を絞められるサモが指さすのは、ユニカを担いで逃げる鋼の後ろ姿である。
いや、正確には鋼ではなく、その肩の上。
仰向けに、米袋のように担がれたユニカ。
その身体の上で、鋼が走るのにあわせてぶるんぶるんと暴れまわる巨大な水風船である。
今こそ束縛から解き放たれて自由を手に入れるんだとばかりに、上下に前後に、ぶるんぶるん、ぽよんぽよんと。
二人のごろつきも、たまたま通りかかった通行人も、唖然とした表情で食い入るようにその動きを凝視していた。
「あ、ああ……めがみよ……」
「あぁにぎいい、じぬぅぅ」
「追うぞサモ、あいつらと合流して俺の女神を救い出すんだ!」
青い顔のサモを放り投げ、二人を追って走り出すあにき。
床に投げ出されたサモも、このまま寝てようかなと誘惑にかられつつ。根が真面目なのかあにきが怖いのか、仕方なしに走ってあにきを追う。
かくして、状況も理由も滅茶苦茶に。川原を舞台に、水風船付き米袋を担いだ浮浪者もどき対ごろつきの鬼ごっこが幕を開けた。
「ごっ、ごしゅっ、ご主人様ぁぁぁ」
「舌を噛むから口を閉じた方がいいですよ」
「ふえ、おろっ、おろしてぇぇ」
後方、あにきとサモからは身体の上で跳ねまわる肌色の水風船|(ポロリもありそう。頼む、あってくれ!)しか見えなかったが。
二人の前方から見ると、後方とは一味違う眺めが展開されている。
今更ながら、今日のユニカの服装を説明させていただこう。
オークション出品時の黒いドレスは、朝食でお代わりしたパンとともに手荷物としてまとめられており、動きやすくも華やかなワンピースを着ている。
肩と背中が大きく開いた襟元は、巨大な水風船を優しく包み込むべく後ろで編み込みとリボン結び。
淡いオレンジの生地の裾は、膝辺りで二段の白いフリルが飾られていた。
その編み込みの隙間、わずかに露出した背中に的確に肩が当てられ。バックブリーカーもかくやとばかりに背骨を責め苛んでいるわけだが。
その痛みと暴れる水風船を押さえつけることに意識を奪われ、ユニカ自身が自分の下半身の状況に気付いていないのは幸せなことかもしれない。
賢明で紳士たる御仁には説明するまでもないことであろう、が。
ユニカが足をじたばたと動かすせいで、いや動かさずとも走る風圧と短い裾のおかげで、腰元までスカートが捲れその奥の白い布地がもろに見えている。
小さな三角形の白い布地。さらに、包み切れずあふれ出た、張りと丸みのある白い素肌。
もっとも、鋼が走っているのは通行人のあまりない川沿いだ。
ユニカの状況に気づいているのは、まくれ上がるスカートが邪魔だなと感じている鋼と、がみがみ叫んでいるのに聞いてもらえない妖精、あとは―――
「止まれ!
止ま……止まれ、止まってもっとよく見せろ!」
あにきの仲間、第三・第四のごろつきだけであった。
足を止めた鋼。
その肩では、仰け反ったままユニカが静かに脱力している。
力を抜いて足を垂らしたのが良かったか、下半身の純白地帯についてはとりあえず覆い隠されていた。
「止まるんじゃねーよ、もっとちゃんと見せろよ!」
「そーだそーだ!」
なぜか止まったのに文句を言い続ける二人に小首をかしげるが、汚い男がそんなポーズをしても可愛くもなんともない。
背後から近づく足音を聞いて、少しだけ困ったような顔をすると
「仕方ない、殺すとしますよ」
「「えっ」」
何のためらいもなく、平然と物騒なことを口にする鋼。
焦ったのはごろつき達だけで、ユニカはぐったりしていて聞いていない。ついでに妖精は、鋼の頭の上でいじけている。
「柏の掟 第七条『借金取りには全身全霊で応対すべし』
―――ヤっちゃって、綺麗に隠すとしますよ?」
「ななななんだよそれ、だいたい俺達は借金取りじゃねーよ!」
「あ、そういえばそうでしたよ。
うーん、これはどうしたらいいんでしょうか」
「こ、殺す以外でお願いします!」
「そーだそーだ!」
眉一つ動かさずに殺しを口にする鋼に、完全に腰の引けた二人。
「借金取りじゃなくても、綺麗に片付ければ問題ないと思うのですよ」
「あるある、犯罪だから! 俺達だって、一応こんなんでもこの街の住民だから!」
「そーだそーだ!」
必死な様子の二人を前に、一度頭をかくと
「分かりましたよ。
では、あなた達を殺したくないので、そこをどいてぼく達を逃がして下さい」
笑顔で告げた言葉も、裏を返せば『どかぬなら殺す』とも取れるわけで。
そう受け取った二人組は、顔をひきつらせ一歩後ずさった。
だが、どんな時にも救いはある。いつでも救世主は現れるのだ!
「ぜえ、ぜえ……お、追いついたぜ、てめぇ! 俺の女神を返せ!」
現れたごろつきの救世主は、ぐったりしたユニカの胸に指を突きつけて、赤くなった顔を背けつつちょっと高い声で叫んだ。
あ、これは駄目だ。
待ち伏せしていた二人は、あにきの発言を聞いてそう思ったと後に語った。




