奴隷と仲良くなる方法
「絶対に後でしゃっき……奴らが襲ってくるんです、ぼくに追加で払えと取り立てに来るんですよ」
「ですからぁ、このお部屋で一泊することは、ご主人様に既にお支払いただいた代金の一部なんですぅ。
明日の朝までは、このお部屋はご主人様のものなんですぅ!」
契約を終えた二人は、ユニカの賢明な説明と説得により、ようやく壁際のスペースから部屋の中央へ進み出ていた。
いったい、この3メートル程度の距離に、立っているか椅子に座るかに、どれほどの違いがあるというのか?
貧乏人の拘りとして見ればよく分からないが、恐怖ゆえだとするならば人には分からぬ恐れがあるのも仕方ないのかもしれない。
例えば、契約をしなくてもいいと言った鋼に、ユニカが絶望したように。
部屋の中央の椅子に座ってもいいと言ったユニカに、鋼が顔を引きつらせ両手を振ってイヤイヤをしたように。
床の立ち位置を変えるだけならば、椅子に腰を下ろすだけならば、そこまで慄くことではない。総合会場でも席についたのだから。
だが、次に待ち受けるはさらに高いハードルであった。
その行為の名は、食事。椅子に腰を下ろすとは異なり、食べてしまえば戻らない。返せと言われても返せないのだ。
「確かにぼくは、ユニカさんを奴隷として購入しました。それは認めますよ。
でも購入したのはユニカさんご本人であって、なぜそこに食事が含まれるのか全く意味が分からないのですよ」
「もぉぉ、そういうものなんですぅ、食事はちゃんと摂らないと倒れちゃうんですからぁ」
「食事なんて、水と草があればどうとでもなるんですよ!」
「なりませんぅ、死んじゃいますぅぅ!」
こちらについても、最終的に椅子に座るのの七倍程度の時間を掛けてユニカが鋼を説き伏せた。
詳細は割愛するが、結果としてユニカの中に『ご主人様は私がしっかりお世話しないとかなりやばい』という認識が生まれたのはお互いのこれからにとって良い事だったのかもしれない。
ユニカの名誉のために補足すると、しっかりお世話しないと『自分の食生活が水と草になって』かなりやばい、ではないはずだ。あくまで、鋼の体調を想いやっての『かなりやばい』であるはずだ。
そんな、傍から見れば無駄な、当人たちには必死の労力を越えてようやくついた夕食の席。
なおも食べようとせずうじうじと怯える鋼に業を煮やしたのか、フォークを手にしたユニカが無理やり鋼に食事を食べさせる。
極上の美少女が手ずから食べさせてくれるというのに、未だかつてこんなにも心躍らないあ~んがあったであろうか?
そんなことを考える妖精の前で―――
「うーーっ、まーーっ!?」
鋼が吠えた。
……思い返せば長い長い借金生活、最後に人並みの食事をしたのはいつであっただろうか?
家もなく、日雇いの仕事と借金取りとの鬼ごっこを続ける毎日。
食事は大抵、食パン1枚とパンの耳、色々な水と時々草。
そんな現代人にあるまじき食生活を送ってきた鋼にとって、異世界とは言え高級宿の豪勢な夕食は世界を塗り替えるに足る強烈な衝撃であった。
「なんです、ずずずずふぁんなんですよこの食事はぁぐぁぐぁぐ!
こんな、おいしい、がつがつがつ、こんなのまるで、これではその、がつがつがつ!」
「ご主人様ぁ、落ち着いて、落ち着いて下さいぃ!」
食事のマナーなどあったものではない。
いや、ある意味ではこれこそが真のマナーなのだろうか?
目の前の食事をいただく。そのことに、心と命の全てを捧げて食する。
料理を作ったものが見れば、あまりの食べっぷりと必死さに己の料理を認められたと喜ぶか、あるいはドン引き間違いなしの光景であった。
「食べながらでいいですから、もしよろしければ、ご主人様のことを色々教えて欲しいですぅ」
「がつがつがつ、はぐはぐ、うんがつがつがつ」
「……いえ、失礼しましたぁ。
今は諦めますぅ……」
「うんばくばくばく、むぐむぐがつがつがつ」
楽しい食卓から遠くかけ離れ、決死の食事を摂る鋼。
その姿に若干怯えつつ慌てつつ、それでも嬉しそうな鋼の姿にこっそり微苦笑のユニカ。
触れる事が出来ないため、一人だけ食事抜きでふて寝する妖精。
三者三様で出会いの夜は過ぎていく。
「な、なんだこの香りと澄んだ味わいずぞぞぞ」
「紅茶ですぅ、火傷しないように気を付けて下さいねぇ?」
ユニカの淹れた紅茶を、啜るというか吸引し。食後の余韻に浸る。
もちろんカップは2つだ。姿が見えず声も聞こえないユニカが、妖精の分のお茶を用意することはない。
鋼も全然話を聞いてくれないし、妖精さんふて寝続行中。
「雨後の川の水と似たような色なのに、まるで味わいが違うのですよ―――!」
「その比較は、流石に紅茶に失礼だと思いますぅ……」
「どちらかと言えば、こちらの方がおいしいと思います」
どちらかも何も、川の水と比べないで欲しい。
現代日本人としては川の水の味を知っている時点でお付き合いを考えてしまうが、そこは異世界であることがいい方に転んだ結果である。
さらに、ユニカのいれた砂糖に紅茶を吹き出し、吹いたお茶を自分で皿ですくいとって飲み干すという汚い曲芸を交えつつ。
食後のティータイムでさえ、ゆっくり会話を楽しむことができない二人であった。
「それで、さっきの話なのですけど」
「はい、なんでしょうかぁ」
「ぼくは遠くから来た、迷子……みたいなものだと思うんですよ」
「迷子ですかぁ……」
目的のない異世界転移。
なるほど、確かに迷子に似ている。この世界での居場所や立場も、何もないのだから。
「今は、目的も目標もないし、帰るところも住処も立場も何もない。
これから、少しずつそういうのを探したいと思うのですよ」
「わかりましたぁ。
私も、ずっとお供させて下さいぃ」
言葉にしない事情が、鋼にもあるのだろう。
そうでなければ、あれほどの大金をぽんと出せるわけもない。
あれほどの大金を持つ人間が、これほど世間知らずで人間不信でみすぼらしい恰好をしているわけもないのだ。
「うん、そうですよ。ユニカさんにはずっと癒しの魔術を掛けてもらわないといけないので、末永くよろしくお願いしますよ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、ご主人様ぁ。
……ご主人様から私にさん付けとか、不要ですからねぇ? ちゃんと呼び捨てにして下さいねぇ?」
その言葉には答えず手元のカップに視線を落とすと、器を音を立てて雫未満の残りを吸う。
慌ててお代わりを注ぐユニカに小さくお礼を言って、今度は少しゆっくりと紅茶を味わった。
「ああ……やはり、川の水とは比べ物にならない」
「比べないで下さいぃ……」
それでも、鋼はやはり鋼であった。
「ユニカさんこそ……いや、えっと。
趣味とか好きなこととか、得意なこととかなんですか?」
奴隷であるユニカの経緯は、想像に容易い。きっと、借●により身を売ることとなったのだろう。
あるいは、鋼だってこうなっていたのかもしれないのだ。
そんな風に考え、状況を聞こうとした言葉を急遽軌道変更させるのは当たり前のことであった。
お茶を川の水と比べるくせに、借金が絡む事柄については気遣いを忘れない男、柏 鋼。
纏った衣服同様、非常にちぐはぐである。
「え、っと……」
鋼は知らないことだが、ユニカが奴隷になってからまだ一年も経っていない。
捕らえられた時はまだ成人しておらず、輝きを宿さぬ白い角であった。
その後の奴隷生活で、趣味や特技などすっかり忘れてしまっていたけれど。必死に、村にいた頃の事を思い返す。
思わず、あの日を、両親との別れを思い出しそうになり必死でそれを追いやって。主人の質問の答えを探す。
「農作業は、好きでしたぁ……まだまだでしたけど。
得意で言えば、料理や家事と、角のお手入れだと思いますぅ」
「農作業と料理は分かるのですが、角の手入れというのは何でしょうか?」
「魔力を手に纏わせ、その状態で角を撫でるんですぅ。
本来は、契約した主人にしていただいて、お互いの魔力を馴染ませるんですぅ」
この世界には魔力がある。
魔術、魔法を放つ元となる、地球にはない特別な力。
この世界にとっては、なんら特別なことのない、当たり前の力。
「それが得意……ってことは、つまり、自分で自分の角を撫でていたんですよね。してくれる人が居ないから」
なんという寂しい一人プレイ。契約者なきユーディアは、まるで恋人のいない独り身のように
「ちっ、違いますぅ!
お母さんが魔力の扱いと撫で方を教えてくれたんですぅ!」
寂しい人扱いされたことを敏感に察したか、ちょっと強く否定するユニカ。
「い、いつかは……ご主人様に、いっぱいなでなでして欲しいですぅ」
いつの間にかふて寝から起き上がった妖精が、テーブルの上からにやにやしながら少し赤くなったユニカと鋼を見つめている。
それに気づいた鋼は、一度妖精に頷くと。
「ぼくには魔力なんてないですから、無理だと思いますよ」
「そんなっ!?
そ、それじゃぁご主人様の角を、私が心を込めて手入れしますぅ!」
にやけづらを濃くしつつ鋼の腰の方に視線を向ける妖精を、さりげない所作でテーブルから払い落としつつ
「角が生える予定もないんですよ、ごめんなさいね?」
「……ご主人様、あんまりですぅっ」
『ちょっとあんた、さりげなく人の事テーブルから払い落としてんじゃないわよ!』
さすがは鋼、非難轟々である。
だが、そんな美少女と小さい美女の不満を何事もないように受け流すと
「角も魔力もないですから、手入れはできませんけれど。
ユニカさんがやりたいことを遠慮せずできるように、頑張りますよ」
それまでの酷い対応を翻すように。
穏やかな笑顔で、言葉に詰まった美少女に微笑みかけるのだった。




